珍しく今日は寒くない。 
 さらりと頬を撫でる柔らかな風。 
 春を感じさせる暖かな陽光。 
 
 あなたがこうしたの? 
 ――祐一。 
 
 後ろでぱきりと枯れ木を踏む音がする。 
 音の正体を確かめようと振り向くより先に、声がかけられた。 
 
 祐璃さん、と。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
月に叢雲、花に風 
     〜わたしに捧げる鎮魂歌〜 

四章 - sing the requiem - 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 今日は秋子さんが寝坊をした。 
 まぁ、昨日のこともあったしな、と俺は考える。 
 
 いや、今は俺じゃないか―― 
 
 わたしは今日、祐璃に戻る。とは言っても今日だけなんだけど。 
 何年も祐一だったから女物の服なんて持っているはずもない。 
 秋子さんに借りるということになったんだ。 
 別に男物でもいいんだけど、それだとばれる危険もある。 
 服を借りようとして一階に下りてみると秋子さんが起きていなかった。 
 仕方なく起こしに行ったらおもいっきり慌ててたなぁ…… 
 ああいう秋子さんもいいかもしれない。 
「祐一さ〜ん、ご飯できましたよ〜」 
「今行きます〜」 
 さて、ご飯食べたら服借りよ。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「それで、秋子さん」 
「はい、何でしょう?」 
「どんな服を貸してくれるんですか?」 
「普通のですよ」 
「……その普通がどんなのか分かりませんよ」 
「そうですね……グレーの薄めのセーターに黒のレースアップジーンズでいいですか?」 
「いいんじゃないですか?」 
 普通だ……よかった。 
「下着は持ってますか?」 
「下着って……男のわたしが持ってたらおかしいでしょう?」 
「……そうでしたね」 
「それに、まぁ、付ける必要性感じませんけどね……」 
 ぺたぺたと胸を叩く。 
 ほんとに、ない…… 
「はぁ……そうですか……」 
「それに今日だけですし、時々戻るとしても一日だけでしょうからいりませんよ」 
 持ってるのがばれたときも怖いし。 
「それじゃ、食べ終わったら私の部屋に来てくださいね」 
「分かりました」 
 わたしはさっさと朝食を摂り、秋子さんの後を追った。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「はい、出来あがりです」 
 鏡の前にはまるで別人になったわたしがいる。 
「これが……わたし……」 
 思わずどこかで聞いたことのある科白が出てくる。 
 着替えを貸してもらったあと、ついでに化粧もしてみませんか? 
 という秋子さんの誘いに乗ったのだが、ここまで変わるのもなのか…… 
 全く相沢祐一とは判らない。 
「完璧です。後は念の為に帽子とマフラーでもすれば絶対ばれません」 
 ためしに帽子を被り、マフラーで口元を隠す。 
「…………誰だ…………」 
「祐璃さんですよ」 
 自分でも判らないくらいに別人だ…… 
「これなら安心して歩けそうですね……」 
「後は祐璃さんがぼろを出さなければ大丈夫ですよ」 
「まぁ、そこは大丈夫でしょう。今まで祐一になっててもばれてませんから」 
「それもそうですね」 
 部屋を出て玄関に移動する。 
「それじゃ、先に行ってますね。秋子さんも来るんでしょう?」 
「えぇ、行きます」 
「二時間後、ものみの丘にいます」 
「はい、いってらっしゃい」 
「いってきますね」 
 ばたんと、ドアが閉まる。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「商店街です」 
 意味も無く言ってみる。 
 日曜日だし、誰か知り合いに会うかと思ったんだけど…… 
「いないね……ひとが」 
 平日並にひとがいない。 
 ここに立ってればうぐぅ辺りがうぐうぐ言いながら突っ込んで来ると思ったのに。 
「つまんないぞ……なんかイベントでもないかな……」 
 例えばアホな不良がいいじゃねぇか俺達と遊ぼうぜぇ?と強引なナンパをしている所とか。 
 
 
 
 
 
 …………… 
 
 
 
 
 ……見たい。すごく見たい。 
 
「なぁ姉ちゃん、いいじゃねぇか俺達と遊ぼうぜぇ?」 
 
 おおおおおおっ 
 いたっ 
 アホがいたっ 
 壁際で女の子を何か間違ったナンパをしている。 
 アホだ。 
 
「……あれ?」 
 しかも相手が―― 
「あんた達に付き合うような時間は無いわ。さっさとどっか行って」 
 香里だし。 
 不良さん、ご愁傷様。 
 それにしてもきついこと言ってる…… 
「なんだとこのアマァ!」 
 
 なんだとこの女ぁ!? 
 ま、まさかこの耳で聞けるとは…… 
 !? 
 もしかして次の科白はっ 
 
「こっちが優しくしてりゃあいい気になりやがって……」 
 
 
 
 
 ………… 
 
 
 
 
 感動すら覚える 
 ありがとう、アホな不良さん…… 
 
「用はそれだけ?それならどいてくれない?あんた達が邪魔で通れないわ」 
「んだと……おいおめぇら……」 
 リーダーらしきアホが仲間に目配せをする。 
 ……そういう行動が命取りだと思うんだけど…… 
「ぐっ!?」 
「なに!!」 
 妙な音とともに香里の腕を掴んだ奴が吹っ飛ぶ。 
 ――すごいです、香里さん。 
 ひとがくの字に折れて飛ぶのは初めて見ました。 
「何しやがった! このアマ!」 
「何って……見た通りよ」 
 香里は掴まれた腕を引きバランスを崩したところを、鳩尾に踵を突き込んだみたいだ。 
 ……容赦の無い。急所だぞ、鳩尾は…… 
 あれは暫く死んでるな。 
「この……!!」 
 不良達は何とか香里を押さえようとするが、次々と倒れて行く。 
 残ったのは一番威張っていた、あのアホ。 
 ……わざと残したな、香里…… 
「さて……あなたは? ここに転がってるのと同じようになってみる?」 
「くっ……」 
 
 哀れな。 
 !? 
 あの科白が聞けるかもっ 
 今まで感動的な科白を多々残したアホだ。 
 言ってくださいっ 
 さぁっ 
 
「くそっ、覚えてやがれ! いつかこのかりは返してやるぞ!!」 
 
 
 
 
 ………… 
 
 
 
 
 聞けた…… 
 もう思い残すことは無いかもしれないよ、祐一…… 
「あなた!! 逃げなさい!!」 
 ……不良がこっちに猛ダッシュしている。 
 逃げるにしてもこっちに来るか? 
「どけ、こら!!」 
 ふんっ 
 よける振りをして後ろ回し蹴りを顔面に叩き込む。 
 すごくいやな音がして、アホの体はぐるりと回転して顔から地面に突っ込んだ。 
 思いっきり走ってるところに蹴り。 
 ボクシングのカウンターなんかメじゃないぞっっっ 
 当たり所悪ければ死ぬしね。 
「………」 
 香里はあっけに取られている。 
 まぁ、ひとが縦回転するところなんて、そう見れるものじゃないか。 
「天罰じゃ」 
 びしりとアホに指を突き立ててそう言う。 
 そして懐をまさぐる。 
 これも天罰じゃ。 
「何……してるの……?」 
 いつの間にか香里が後ろに来ていた。 
 かなり距離あったと思うんだけど……? 
「ん……慰謝料を」 
 わたしの手を煩わせた罰だ。 
「お、あった……五万か。結構持ってるね。わたしは二万でいいや、はい」 
「はい……って、それは強盗と言うんじゃない? ……しかも傷害付きの」 
「正当防衛だし、これはその慰謝料。問題なしっ」 
「はぁ……いいわ。あなたが全部取って……私は捕まりたくないから」 
 捕まんないって。 
「そう? じゃ、慰謝料にこれはもらっておくからね、不良さん?」 
 起きかけているアホの頭をぐりぐりと踏みつけながら言う。 
「この……!?」 
 さらに強く踏む。 
「いいいたたたたた!!」 
 さらさらに強く踏む。 
「なに? 口答えする?」 
「あなた……かなり、あれね……」 
 あれって……なんですか、香里さん。 
「わかった! やる! やるよ!」 
「始めからそう言ってればいいんだよ、不良さん?」 
 頭から足を離し、鳩尾に蹴りを入れる。 
「ぐぇっ!!!」 
 ピクリとも動かなくなる。 
 うむ。すっきり。 
「容赦のないひとね、あなたは……」 
 知り合いに手を出した罰でもあります。 
「そうですか? でもそちらも結構容赦なかったですよ?」 
 香里はふっと鼻で笑って、言った。 
「こんなのに容赦する必要ある?」 
「ないねっ」 
 即答。 
 香里もいい性格してるよ。 
「それじゃ、私は行くわね……あなた、名前は?」 
 
 
 
 
 
 ………… 
 
 
 
 
 
 名乗ってもいいのか? 
 ……ばれてなさそうだし、いいか。 
「祐璃といいます」 
「そう、私は美坂香里。香里でいいわ」 
「香里さんですか。じゃ、わたしも祐璃で」 
「祐璃さんね。覚えておくわ」 
 あまり覚えてなくてもいいぞ。 
 
 
 
 完璧でした、秋子さん。 
 香里は全然気が付いていなかった。 
 香里にばれなかったということは誰にもばれる心配は無い訳だ。 
 上出来。 
 さて、ものみの丘に行きますか。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「秋子さん……」 
「ここが……そうなんですか……」 
「えぇ、そうです。ここに……祐一が眠っています」 
 緑の柔らかな草の上にある名前も刻まれていない小さな墓標。 
 この下に祐一はいる。 
「祐一、久し振り。一月振りかな。今日は秋子さんも来てくれたよ」 
 買っておいた百合の花をそっと置く。 
 わたしの名前。 
 あなたも好きといってくれたこの花。 
「この格好でここに来るのは初めてだね。今日はわたし祐一じゃないんだ。祐璃なんだよ。 
 どう、可愛いかな? 変じゃないかな? ……祐一はこういうのは好きかな」 
 さぁと風が吹く。 
 似合っているよ、とでも言いたげに百合の花は揺れる。 
「……そっか。ありがとう、祐一。……秋子さん」 
 秋子さんを振り返り、場所を譲る。 
「祐一さん、もうひとりのあなた――祐璃さんはよくやっています。 
 安心してください。これからは私もいます。ちゃんと祐璃さんを守ってみせます。 
 もう……祐一さんも、祐璃さんも、ひとりじゃないんです」 
「秋子さん……」 
「さぁ、祐璃さん。帰りましょう。私達の家へ」 
 
 もう、ひとりじゃない 
 
「えぇ、帰りましょう。わたし達の家に」 
 
 だから大丈夫 
 
 わたしは生きていける 
 
 あなたがいなくなっても 
 
 ひとりじゃないから 
 
 もう寂しくは無い 
 
 あなたを知る人だって増えた 
 
 あなたも寂しくは無いでしょう? 
 
 あなたも、ひとりじゃないんだから 
 
 わたしがいる 
 
 秋子さんもいる 
 
 二人だけだけど、寂しくは無いでしょう? 
 
 ちゃんと知っているんだから 
 
 あなたがいるということを 
 
 わたしはもう泣かないよ 
 
 ひとりじゃないんだから 
 
 わたしの三つ目の願い事、叶ったかな 
 
 もうひとりのわたし――祐一 
 
 わたし、今、幸せかな 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 わたしはうたを唄う 
 
 あなたに教えてもらったうたを唄う 
 
 あなたはひとりじゃないのだと 
 
 あなたは寂しくはないのだと 
 
 死者をなぐさめるうた 
 
 もうひとりのわたしに捧げる鎮魂歌 
 
 わたしは唄う 
 
 あなたに教えてもらったうたを 
 
 あなたのために唄う 
 
 ひかりの降り注ぐ、この大空の下で―― 
 
 
 
 
 
 
 

 
あとがき 
 
完 
とでも付きそうな終わり方ですね 
というか、これは前振りなんですけどねぇ……思ったより長くなったようで 
でもとりあえずひと区切りつきました 
うむ 
 
 

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