「死んだのは――相沢祐一です」 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
月に叢雲、花に風 
     〜わたしに捧げる鎮魂歌〜 

二章 - I am not you - 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 この水瀬家に居候してからしばらく経つ。 
 その間にこんなにも表情を変えた秋子さんを見ただろうか? 
 秋子さんの顔には困惑の表情。 
 言っている意味がわかりません、と書いてあるようだ。 
 そして微かな怒り。 
 こんなときに冗談は無いでしょう、といったところか。 
「どういう……ことなんですか」 
「ですから、死んだのは……祐璃じゃなく、俺――相沢祐一なんです」 
 今度ははっきりとした怒りの感情だ。 
「どうしてそんなことを言うんです!? 
 祐一さんはちゃんとここに居るじゃないですか! ちゃんとわたしの目の前に! 
 そんな――そんな自分を否定するようなこと……言わないでください…… 
 祐一さんが居なくなったら私は……私は……」 
 怒りが急に消え、今度はいきなり泣き出してしまった。 
「な、何で泣くんですか……」 
 ……俺が悪いのか……? 
「ゆ、ゆう、祐一さんが…祐一さんが…ぅ……ぅぇ……祐一さんが……」 
 俺が悪いのか。 
 しかし、秋子さんはこんなにも感情を表に出すようなひとだったか? 
 ……情緒不安定な時期、なんだろうか…… 
 秋子さんはぼろぼろと流れ出す涙を両袖でごしごしと拭いながら泣きつづけている。 
「あ、秋子さん……泣き止んでくださいよ……俺が悪いんだったら謝ります。 
 だから、なんとか……お願いします」 
 テーブルに手をつき頭を下げる。 
「いえ……いいえ、いいんです……ゆ、祐一さんが…ぅぇ…悪いわけでは… 
 ないんです…祐一さんが悪いわけでは…祐一さんが…ぅ…祐一さん……ぐす」 
 ようやく泣き止んだようだ。 
 と思ったら、またすぐに俺の名前を連呼しながら泣きだしてしまう。 
「な、なんでまた泣くんですかっ」 
 結局、泣き止むのに三十分かかってしまった…… 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「もういいですか?」 
「はい。ごめんなさいね、祐一さん。 
 ……でも、自分でもなんであんなに泣いたのかよく分かりませんけど……」 
 それは俺も知りたいです。 
 秋子さんの泣いているときの罪悪感といったらもう…… 
「まぁ、ひとには泣きたくなるときもあるということでしょう……」 
 なんとなくそれらしいことを言ってみる。 
「そうなんでしょうか。でも、男のひとの胸で泣いたのは初めてでしたね」 
「そ、それは言わない約束というやつですよ……」 
 どうしようもなかった俺は、なんとか泣き止んでもらおうと秋子さんの隣に来たとたん、こう、がばっと抱きつかれたわけで。 
 仕方なくそのまま背中をぽんぽんと叩きつつ慰めていたというわけだ。やっているこっちが恥ずかしかった。 
「それじゃ……話してくれますか……」 
 ようやく本題に入れるか。 
「わかりました。でも、相沢祐一が死んだというのは、本当です」 
「祐一さんっ!」 
「わかってますって! これからちゃんと話しますってば……」 
 また泣かれても困るし。 
「七年前、何があったのか……話します……」 
 秋子さんはおとなしくなった。 
 さっきまでのほのぼのとした雰囲気はどこかに消し飛ぶ。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ――相沢祐一は七年前の冬、あまりにも深い傷を心に受けたため屋敷に戻るなり部屋に閉じこもった。 
 全てを拒絶するかのように心を閉ざして。 
 それが何日も続いた。食事すらとらず。 
 座敷牢の少女――祐璃には祐一が帰ってきたことはなんとなく分かっていた。 
 何故会いに来てくれないのかとは思ったが、色々と忙しいのだろうと考える。 
 五日も過ぎた頃。 
 深夜、祐璃のもとに祐一はふらりと現れた。 
 そして壁を背に腰を下ろすと祐璃に話し掛る。 
 
 お姉ちゃん。ぼく、ひとを殺しちゃった。 
 
 生気の欠片も感じられない声。 
 暗く、何も見えないこの座敷牢だが、祐一が酷く衰弱しているのは祐璃には分かった。 
 
 ひとを殺したって、どう言うこと? 
 
 その声は祐一に届かなかった。 
 いや、自分が何をしてるか理解しているのかも危うい。 
 自動機械のように延々と自分の過去を、思い出を祐璃に聞かせた。 
 まるで懺悔のように。 
 その間祐璃は何度も話し掛けたが、それは祐一には聞こえないと理解して話に付き合った。 
 祐一の話に合わせ、相槌を打つ。それが聞こえていなくても。 
 休みも無く話し続ける祐一。 
 そして空腹を覚えた祐璃は台所――これも産婆が据えたもの――で簡単な料理を作り、祐一に出した。 
 しかし祐一は手を付けようともせず、話しつづけている。 
 少し困った祐璃は、茄子に挽肉を添えた料理を箸でつまみ、祐一の口の前に持っていった。 
 ぱくり 
 もごもごもご…… 
 差し出された食べ物を実にあっさりと食べる。 
 部屋に閉じこもっていたときは米の一粒すら口にしなかったというのに。 
 祐璃はもう一度祐一の口の前に料理を持っていき、こう言った。 
 はい、あーん。 
 祐一はそれを理解しているのか、口をあける。 
 あーん。 
 ぱくり 
 
 はい、あーん。 
 あーん。 
 ぱくり 
 
 はい、あーん。 
 あーん。 
 ぱくり 
 
 はい、あーん。 
 あーん。 
 ぱくり 
 
 はい、あーん。 
 あーん。 
 ぱくり 
 
 作った料理を全て平らげると、祐一はまた話し出す。 祐璃はそれを洗いものをしながら聞いた。 
 
 祐一は丸二日、睡眠すらとらず話し続けた。 
 そして祐璃は寝ずにそれに付き合った。 
 
 二日後の夜。 
 全て話し尽くしたのか、祐一は立ち上がり、ぽつりと呟き去っていった。 
 
 
 ありがとうお姉ちゃん 
 さようならお姉ちゃん 
 
 
 ええ、さようなら祐一 
 
 
 祐一の居なくなった座敷牢でそう呟いた。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 祐璃は願った。 
 祐一が元気になりますように。 
 祐一が幸せでありますように。 
 わたしの三つ目の願い事、叶えてくれるよね? 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 次の日の夜。 
 祐璃は祐一が来るのを待っていた。 
 来るような気がしたのだが、祐一は来ない。 
 昨日までの様子から心配になり、祐璃は初めて座敷牢を抜け出すことにした。 
 
 初めて見る外の世界は何もかもが鮮やかだ。 
 しかし祐璃にはそんなものに興味は無かった。 
 祐一、どうしたの? 
 そればかりを考えていた。 
 
 大体の部屋の位置は聞いていた。 
 暗闇の中で育った祐璃には苦も無い道のり。 
 
 祐一は居た。 
 大きなベットに横になっている。 
 そしてその隣で男女が言い争っている。 
 
 そんなことだからこの子は 
 なんだとおまえのほうこそ 
 だから何だって言うの 
 うるさいおまえは俺の 
 
 少しは黙っていられないのだろうか? 
 祐一が起きてしまう。 
 
 すると今度は二人とも泣き出した。 
 
 なぜなんだ何故こんな 
 あぁわたしの可愛い坊や 
 おまえだけが唯一の俺の 
 どうしてなのあなたなぜ 
 
 そして理解してしまった――祐一が死んでいることを。 
 祐一は心を閉ざし、未来をも閉ざした。 
 男と女は壊れたように笑っている。 
 ――いや、壊れてしまったのだろう。 
 心が耐えられないほどの傷。 
 祐一もあの時壊れていたのだろうか…… 
 
 座敷牢に戻ろうと振り返ったとき、立て掛けてあった脚立に足をかけてしまった。 
 がしゃん、と静かな屋敷には大きすぎる音が響く。 
 
 誰だ! 
 
 先程まで笑っていた男は形相を変え、窓をばんと開ける。 
 まず先に驚愕、そして優しい笑みを浮かべた。 
 
 どうしたんだ祐一、そんなところで。 
 
 男はそう言い、祐璃の体を抱き上げ部屋の中にいれた。 
 
 ちがう、わたしは祐一じゃない。わたしは祐璃 
 何を言っているんだ祐一。おまえが祐一以外の誰だというんだ 
 そうよ。変なことを言うんじゃありませんよ 
 じゃああれは? あれはだれなの。祐一でしょう? 
 あれ? 何処にいるんだ、そいつは? 
 どうして、そこにいるよ 
 あなた、この子転んだときに頭でも打ったのかしら? 
 うむ。少し混乱しているのかもしれないな、一晩休めば治るだろう 
 さ、ゆっくりとお休み 
 
 男と女には祐一は見えていない。 
 いや、見えていないというより、理解できていないのかもしれない。 
 祐璃の体を祐一の隣に横たえさせ、部屋を出て行く。 
 
 じゃあね、おやすみなさい、祐一。 
 おやすみ、祐一。 
 
 祐璃は祐一の体を抱きながら泣いた。 
 傷一つ無い祐一の体はまるで生きているようだ。 
 自分の存在を投げ出しても叶えたかったこと。 
 
 祐一のしあわせ。 
 
 祐一からもらった名前は取り上げられ、祐璃という少女は消えた。 
 そして祐一という名前の存在は幸せとなるだろう。 
 本人が望む望まないに関わらず。 
 
 祐一……わたしはこんなことをお願いしたんじゃない 
 あなたをずっと見ていたかった。いつまでも、いつまでも 
 もう一度お姉ちゃんって呼んでほしいよ 
 もう一度あなたとお喋りをしたい 
 あなたに、言いたい…… 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「少女の願いは叶えられました。祐璃は消え、祐一は傍から見れば幸せに……」 
 そう、これが俺の…… 
「それじゃあ……あなた……は……」 
 今度の秋子さんの受けた衝撃は俺が双子だということよりも、遥かに大きい。 
「ええ、多分秋子さんの思っている通りですよ……」 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「俺は―――相沢祐璃です」 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
あとがき 
 
どうでしたでしょうか「月に叢雲、花に風 〜わたしに捧げる鎮魂歌〜 二章」 
略して「月花」 
……今日、気が付きました…… 
今回は短め、話の内容が急です 
話をさっさと先に進めたかったので細かいところは抜きました 
そのうち時間出来たら改訂版出します…… 
秋子さんの泣き 
これがこの雰囲気じゃなかったら 
萌え 
って連発してるのにな…… 
 

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