強くなりたい。 
 
 それだけの動機で始めた武道は何の慰めにもならなかった。 
 俺は守るための力が欲しかったんだ。 
 でも、その守るべき人は武道を始める前に、いなくなっていた―― 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
月に叢雲、花に風 
     〜わたしに捧げる鎮魂歌〜 

一章 - death or imprisonment -   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 それが無意味だと気付くのにかなりかかってしまった。 
 あの時はどうかしてたんだな、と思う。少し考えれば気づくようなことだ。 
 まぁ、そのときの武道は護身程度には使えるから無駄と言うわけではないか。 
 最近は何処も物騒だし、使えて損なことは無いだろう。 
 
 薄くなったグラスに氷を入れ、ウィスキーを注ぐ。 
 グラスを回すとカラカラと音がする。意味も無く回しながら、思う。 
 今日で、何年目だ? 
 六年、いや七年か。 
 時間が経つのは早いと思うべきか、遅いと感じるべきか。 
 
 グラスの三分の一ほどの量を流し込む。 
 琥珀色の液体は強烈に喉を焼き、胃へと落ちてくる。後に残る微かな酩酊感。 
 慣れたつもりだったけど、やっぱりこれはきついな。 
 酔い難い体質とはいえ、これは少々強すぎた。 
 ミネラルウォーターを飲んだ分ほど足す。 
 こんなもんか。 
 今度は先程の半分くらいを口に含む。 
 いいな……これ。 
 ラベルを見ながらそう思う。高いだけのことはある。 
 味に見合った値段というわけだ。ストックにもう一本買っておくか。 
 そんなことを考えながら三杯目を空けた。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 五杯を空けた頃になると少しあきがきた。いくらうまいとはいえ、これだけじゃぁつまらん。 
 ……探すか、買うか。 
 
 ………… 
 
 探索隊、結成。 
 隊長相沢祐一、以上。 
 
 これから家捜しをしようとしていたところ、後ろで床の軋む音がする。 
 音の正体を確かめようと振り向くより先に、声がかけられた。 
 
 
 祐一さん、と。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「どうしたんです? こんな夜中に……お酒なんか飲んで」 
 秋子さんは俺の前の椅子に座っている。ウィスキーはまだそのままだ。 
「眠れなかったんで……寝酒、ですよ」 
 あからさまな、嘘。 
「嘘……ですね。声が変ですよ」 
 ほら、ばれてる。 
「それに、そんなに悲しそうに寝酒を飲む人なんて、いませんよ」 
「いや、いるかもしれないじゃないですか」 
 そんなに悲しそうな表情をしていたのか……自覚は無いが。 
 でも、悲しくないかと聞かれれば、悲しいと答えるだろうけど。 
「……そうですね……いるかも、知れませんね……」 
 秋子さんはあっさりと同意してしまった。 
 ……なにかあったんですか? 
 と聞くのは、マナー違反なんだろうな。 
「でも、未成年が寝酒と言うのはいただけませんね」 
 ごもっともで。 
「たまにはいいじゃないですか。飲むと言っても年に一度くらいですよ」 
 言ってからしまったな、と思った。 
 秋子さんは察しの良い人だ。この言葉でなにか気付いたかもしれない。 
「その一度が、今日なんですね」 
 微妙な突っ込み方だ。 
 ランダムに選ばれた今日なのか、今日限定なのか、どちらとも取れそうな言葉。 
「まぁ、そうですね……」 
 無難に答えてみる。 
「何かの記念日とかですか?」 
「記念日に悲しそうな顔で寝酒を飲みますか?」 
 こちらも思わず突っ込む。 
「それは……そうですね。なら、どうして今日なんですか?」 
 多分、秋子さんには俺にとって今日が特別な日だと言うことは分かっているんだろう。 
 その特別な日が何かと言うのは分からないようだけど。 
 まぁ、それはあたりまえか……俺しか知らないんだし。 
 いや……正確には違う……俺の両親も知っていた…… 
 俺がむっつりと黙っていると秋子さんが身を乗り出してくる。 
「飲み過ぎて具合でも悪くなってきました? 急に俯いて……」 
 そう捉えましたか。 
「いえ、違いますよ。ちょっと考え事を……」 
「そうですか。……でも、あんまり考え込まない方が良いですよ。考えても答えの出ないことだってあるんですから」 
 話すべきか…… 
「まぁ、それはそうなんですけどね……」 
 このまま隠しつづけるべきか…… 
「それじゃあ、私はもうそろそろ戻りますね」 
 そう言い残し、秋子さんは席を立つ。 
 やっぱり、このままなにも言わず…… 
「祐一さん」 
 秋子さんはいつの間にかキッチンの入り口にまで移動していた。 
「……なん、でしょう」 
 言葉が詰まってしまう。後ろめたさからだろうか。 
「一つ、いいことを教えましょう。 
 ひとは、いつかは死ぬんです。それが早いか遅いかの差があるだけで。 
 私だってあと50年生きるかもしれません。 
 40歳になる前に死ぬかもしれません。 
 もしかしたら明日死ぬことになるかもしれません。 
 死なんていうのはほんとうに何処にでもあるものなんです。 
 けど、それに怯えていてはなにも出来ません。 
 今日何もしなければ、明日も何も無いんですよ? 
 ひとは、明日があるから頑張れるんです。 
 よく聞く言葉でしょう? 
 今日頑張れば、明日何かあるかもしれない。 
 今日何もしなければ、そのツケは明日に回ります。 
 ひとりで出来なければ、手伝ってもらえば良いんです。 
 ですから――」 
 秋子さんは、すぅ、と大きく息を吸って、 
「ふぁいと、ですよ」 
 そう、言った。 
 俺は…… 
 あいつは…… 
「秋子さん」 
「なんでしょう」 
 いつもの笑顔。 
「聞いて……くれますか」 
「話していただけるなら、いくらでも」 
 秋子さんは再び椅子へと座る。 
「秋子さんは何かの記念日か、と聞きましたが…… 
 まぁ、ある意味では記念日でしょうか。 
 ――命日、なんです」 
 秋子さんはある程度は予想していたのだろう。 
 お友達ですか、と聞いてきた。 
 俺は、一番大切だった人です、と答えた。 
「こんな話を知っていますか?」 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ――あるところに仲睦まじい一組の夫婦がいました。 
 その夫婦はだれもが羨むような美男美女で有名な夫婦でした。 
 生まれる子供はさぞ美しいに違いない。男か女は関係無い、どちらにしても人目を引く容姿に育つだろう。 
 だれもがそう思っていました。 
 しかし、早くに結婚したはいいが、なかなか子を授かることが出来ない。 
 結局、懐妊の知らせが出たのは二年後のことだった。今か、今かと待ち続けていた周りの人間にとっては二年は長かった。 
 夫はお抱えの医師団に囲まれている妻を気遣いながら出産を待った。 
 この男はいわゆる御当主と呼ばれる存在だ。 
 古くから続く名家の頂点に立つほどの人望も、財力もある。その気になれば出産前に性別も分かるし、変えることだって出来る。 
 だが夫婦はそれを望まなかった。機械類を一切使わず、自然での出産を望んだ。 
 しかし、それが生まれた子供には仇となってしまった。子供は双子。ひとりは男、ひとりは女。 
 この一族に伝わる文献にこう記してある。 
 同じ顔を持つもの、災いをもたらす。 
 さらに深く読み解けば、男女の双子が生まれた家の没落は免れない、とまである。 
 迷信だ、と切り捨てればいいのだが、そうもいかない。 
 事実、この一族内で双子の生まれた家はことごとく、何かしら起きている。 
 当主の急死、変死。事業の失敗などはザラ。 
 系図に記されている頃からの記録だ。略式だが、経歴の最後に死因まで記してある。 
 幸い、出産に立ち会ったのは産婆と夫婦の三人。男は産婆をすぐさま軟禁状態にした。 
 そして妻に言った。 
 おまえはどちらを選ぶ、と。 
 双子が災いを起こすのは世に出てからというのが殆どだった。 
 ならばその前に殺してしまえばいいのだ。 
 男はそう考えた。 
 そんなことはできません、と妻は言った。 
 ならばどうしろと言うのだ、と男。 
 世に出て災いを起こすなら世に出さねばよい、と妻。 
 話し合いの結果、今は使われていない座敷牢に幽閉、ということになった。 
 流石に赤子ひとりというわけにもいかず、産婆にその任を言いつける。 
 これで事実を知る人間は三人だけだ。 
 あとはどちらを選ぶか。 
 男は言った。わが子はこの家を継がねばならない。次から男が生まれるとは限らん。ここは男を選ぶのが道理だろう。 
 妻は言った。その通りでございましょう。 
 こうして次の日、女の赤子は座敷牢へと移される。 
 座敷牢といっても、そこは一軒家に近い広さがあった。 
 ただ、窓も無く、中は暗い…… 
 そしてその夫婦の間に生まれたのはその双子だけだった―― 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ――その後。 
 二親の愛情を一身に受けた男の子はすくすくと元気に育っていった。 
 やはり周囲の予想どおり、大変に可愛らしい姿となって。 
 対して、女の子は光もささない座敷牢の澱んだ空気の中、独り孤独に生きている。 
 三歳まではあの産婆がついていたものの、必要最低限の知識 
 ――言葉などではなく、ただ生きる為だけの知識を教えられ、あとは捨て置かれた。 
 三食十分な食事は用意されていた。その食事を運ぶのもあの産婆。 
 用を足す所だけはきちんとした設備が備え付けられている。 
 三日に一度、湯浴み用の桶と着替えも運ばれた。 
 清潔かと聞かれれば、まあまあだと答えが返る程度。 
 四歳になろうかというとき。 
 産婆の良心からなのか、同情心からなのか、牢の一部を使用した浴室などが作られた。 
 総檜造りの湯船、勿論四方を囲む壁も檜だ。さらに洗面台、身だしなみのための道具。 
 成長に合わせてか、サイズの違う洋服数十着、それを洗うための洗濯板などをごろごろと。 
 広さだけはあるのでこれらを設置してもまだまだあまってる。どうやら口止め料としてかなりの額をもらったようだった。 
 それより驚くのは全てが産婆の手作りだということだ。 
 勿論、浴槽も。 
 何故産婆をしていたのかが少女には不思議だった。 
 たったひとりの手によって座敷牢が見る間に姿を変えていくのは壮観ですらある。 
 こんなことをしても大丈夫なのかと聞きたかった。 
 けれど少女は喋り方を知らない。考えることは出来てもそれを表せない。 
 産婆は言った。大丈夫だよ、どうやらおまえのことを覚えているのは私だけみたいだ。 
 それは両親にすら忘れられていると言うこと。 
 少女は産婆の言っている意味は分からなかったが、悲しい内容だと言うことはわかった。 
 そして、はじめて産婆の声を聞いたことを思いだす。 
 口止め料には会話も禁じるということが条件にあったのだ。 
 そしてこれ以降、産婆の声を再び聞くことは無かった。 
 五歳も過ぎたとき。 
 少女の精神は既に大人と同程度に成長していた。 
 ――異常なほどに、とつけるべきか。 
 そしてこの座敷牢に不思議な侵入者が現れた。 
 自分とまったく同じ人間。 
 双子の弟、と言っていいのか。精神年齢からすればそうなるだろうから、弟ということでいいだろう。 
 あの双子の弟が少女の前に現れたのだった。 
 二人とも言葉を失った。 
 少女の方は話せなかっただけだが。 
 見た感じはまったく同じ二人。 
 違うとすれば少女の伸ばすままに任せた長い髪。 
 それに日の光にあたることなく過ごした、透き通るほどに白い肌だろうか。 
 少年は好奇心に満ちた目で次々と質問を浴びせ掛ける。 
 しかし少女には通じないと言うことが分かったらしい。 
 その日はそれで帰っていった。 
 そして、少女はなぜ自分がここにいるのか少し分かった。 
 同じ人間が二人いるのはおかしいのだ。 
 だから出来損ないの自分はここにいるんだ、と。 
 次の日少年は大量の本をもって座敷牢に現れた。 
 ……既に鍵すらかかっていないらしいが、それでも少女は出ようとは思わなかった。 
 ――自分は出来損ないだから―― 
 少年は少女に言葉を教えると言う。 
 意味は分からなかったが少女は従った。 
 少年は少女のことをだれにも話していなかった。 
 自分だけの秘密。そういうことらしい。 
 そして奇妙な勉強会は半年続いた。 
 その間に少女は苦も無く話せるまでに言葉を覚える。 
 そしてそこからは質問合戦。あとは実践で、ということだった。 
 そんなことが四年ほど続いた。 
 しかし二人はお互いの名前を知ることは無かった。 
 少年は少女をお姉ちゃんと呼び、少女は少年をあなたと呼ぶ。 
 それだけで良かったから。 
 そして五年目にしてようやく少年がこう言った 
 
 そういえばお姉ちゃんの名前ってなんて言うの? 
 
 少女は困った。元々名前が無いのだ。言いようが無い。 
 それに少女は嘘をつく、ということはできなかった。 
 お姉ちゃんはね、名前無いの。 
 だから、そう言った。 
 
 無いの? なんで? 
 
 お姉ちゃんはね、要らない子だから名前がないの。 
 
 なんで? 何で要らない子なの? 
 
 お姉ちゃんはね、出来損ないだから要らない子なの。 
 
 どこが? そんなことないよ? 
 
 ううん。だって、あなたがいるもの。 
 
 どうして? どうしてぼくがいるとお姉ちゃんは出来損ないなの? 
 
 同じ人間は二人も要らないでしょ? 
 だからあなたより出来の悪いお姉ちゃんが捨てられたの。 
 
 ちがうよ! お姉ちゃんはぼくと同じじゃないし、出来損ないでもないよ! 
 
 いいの、私は出来損ない。ここに私がいるのが何よりの証拠でしょう? 
 
 どうして! ずっと不思議に思ってた、何でお姉ちゃんはここにいるのか。 
 屋敷のだれに聞いても知らないって言うんだ。あそこにはだれもいないはずだって。 
 そんなこと無いのに! ちゃんとお姉ちゃんがいる! 
 
 ううん、私はいないの。だれも私を知らない。だれも知らない人間がいるはず無いでしょう? 
 
 ぼくは知ってる! お姉ちゃんがここにいるって! だからちゃんとお姉ちゃんはここにいる! 
 
 ありがとう……あなたはいいひとね。うん、お姉ちゃんはここにいる。それでいい? 
 
 だめ……お姉ちゃんは要らない子でもない、出来損ないでもない……ぼくと同じ人間でもない。 
 
 そうね、わたしはだれに必要とされているの? 
 
 ぼく! 
 
 わたしは出来損ないじゃないのね? 
 
 うん! ぼくよりもあたまいいし! 
 
 あなたと同じ人間じゃないのね? 
 
 うん! 顔とかはおんなじだけど、全然違う! 
 
 ありがとう……ほんとうに……ありがとう。人って悲しいだけじゃなく、嬉しくても涙が出るんだね。 
 あなたに出会ってから、はじめてがいっぱい……本当に……ありがとう 
 
 なかないで、お姉ちゃん……そうだ! 始めに名前聞いたよね? 
 
 ええ、きいたわね。 
 
 名前無いんだよね? 
 
 ええ、だから呼ばれたことも無いわね 
 
 ならぼくの名前をあげるよ! 
 
 名前……を? 
 
 そう! 
 
 どうやって名前をくれるの? 
 
 うーん……ぼくの名前のここを取って……こう……お姉ちゃん、好きな色とか花はある? 
 
 そうね……百合とかが好き。白い百合。図鑑とかでしか見たこと無いけど…… 
 
 んー……できた! 
 
 ほんと? 
 
 ほらこれ。この字がぼくの字、で、百合のゆに入るから当てはめて、 
 りはぼくの一番すきなり。祐璃ってかいて、ゆり。どう? 
 
 素敵な名前……あなたの名前は? 
 
 ぼく? ぼくは相沢祐一! 
 
 あなたも素敵な名前ね。じゃあわたしは今日から相沢祐璃ね? 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「双子……だったんですか……」 
 今まで身じろぎ一つせず聞いていた秋子さんの第一声はそれだった。 
「えぇ……知っているでしょう? 二人の忌子。災いを成す鬼子……」 
 これについては本当に様々な伝承などがある。 
 秋子さんも一族の出身だ。話さなくとも知っているだろう…… 
「一番大切な人の命日と言うのは――」 
「今から七年前、俺、相沢祐一はこの街に来て心に深い傷を負い、屋敷に帰りました。 
 そしてその一週間後――」 
 静寂が辺りを包む。 
 キィンと耳鳴りがするほどに、物音一つしない。 
 ここまで言ったんだ。あとは―― 
「祐璃さんが……亡くなったんですか……」 
 秋子さんの表情は始めの頃とは替わって、精彩を欠いている。 
 相沢祐一が、あの忌子だということ。 
 秋子さんには内容が重過ぎるか…… 
 でも―― 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「違います……」 
「え……」 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「死んだのは―――相沢祐一です」 

 
 
 
 
 
 
 
 

あとがき 
 
 
なんとか暴走せずに書き終わった…… 
祐一の言動が幼いのは甘々な両親に育てられたということで。 
感想、誤字脱字、内容の矛盾、表現のおかしなとことありましたらメールでもお願いします 
かなり適当ですので……… 
さて、このあとはどうしようか…… 
 
 

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