一筋の光すら差すことのない闇の中。
 体を丸め、膝を抱いて、ふよふよと漂う。
 暗闇と、静寂と、孤独に抱かれながら。
 耳を澄ます。
 瞳をこらす。
 神経を張り巡らせる。
 ――感じない。
 ――どこにも。
 まばゆいばかりの光を持つあのひとの影が。
 すべてが幻のように、
 すべてが夢のように、
 すべてが嘘のように、
 ――あなたを欠片も感じない。
 なぜ?
 ようやく、あなたのもとへと行けるのに。
 あなたのそばへ行けるのに。
 心がばらばらになりそうな痛みの中、
 私は意識を闇の中へと沈ませる。
 闇、
 闇、
 ……闇。
 深淵の縁。
 意識のカケラ。
 止まることのない闇色の心。
 求める光。
 影はどこ?
 漆黒に塗り潰される世界。
 そう――
 ここは、私。
 ――光が目覚めた。
 渦巻くように、光は力を取り戻していく。
 あぁ……あたたかい。
 心が涙を流す。
 やわらかく、ぼんやりと、光は瞬く。
 私の体が、ほたるのような虹色の光につつまれる。
 あなたの光が強さを増して、私の心は虹色の光へと消えていった。
 
 ――やっとみつけた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鬼月幻想奇譚
    〜 正しい魔物の屠り方 〜

十五ノ門
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「そういえば、お母さん」
「なに?」
 鞍馬の鬼の討伐のための前準備として、水瀬母娘は情報の収集を主に行動している。
 現在は山の中にあった庵で一服していた。
 庵に住む女性の好意で上がらせてもらっているが、その女性は畑へと出ている。
「鞍馬の鬼って、どういう鬼なの? 見たことないからわからないんだけど」
「……鬼の中でも最凶の鬼、と言ったところね」
 秋子は語りはじめる。
 元々、鞍馬の鬼というのは一個の鬼を指すのではない。
 鞍馬山付近一帯の鬼を統べる、またはそれらを力でねじ伏せる実力を持った鬼のことだ。
 常に代替わりをし、その『鞍馬の鬼』の力を維持し続ける。
 いま、鞍馬の鬼についてわかることは少ない。
 ひとりの男とふたりの女の鬼だということだけだ。
 人相すら知らされていない。
 知らされていない、というより、知る者がいない。
 秋子の知っていた『鞍馬の鬼』は十年前のもので、その時はふたり組だった。
 代替わりしたか、もしくは新しく引き入れたか。
 実際目にすればわかるだろうが、わかったからといってどうなるものでもない。
「あっ、もしかして、香里の家を襲った鬼って……」
「鞍馬の鬼ね。あの香里ちゃんが手も足も出なかったというのなら、ほぼそうでしょう」
「……手も足も出なかった? でも噂じゃ……」
「噂は噂。事実じゃないのよ」
 庵の女主人の淹れてくれた薬草茶を、ずず、と啜り、息を吐く。
「それほどまで力のある鬼は、私の情報網にもまったく引っ掛からないから、間違いないわね。
 すると問題になるのは……戦力差。名雪、香里ちゃんが勝てなかった鬼に勝つ自信ある?」
「無いよ」
 気持ちのいいくらいに即答だった。
「でしょうね」
 秋子の言葉も歯に衣着せぬ物言い。実に深く名雪の心を抉る。
「……もう少し自分の娘を高く評価してもバチは当たらないと思う」
「あら、名雪が自分で言ったんじゃない」
 それはそうだけど、と名雪は呟くが、秋子は気にも留めない。
「そうなるとまず人手が欲しいということ。
 わたし達を除いて、最低ふたりは確保しないと勝てないわね。
 とりあえず心当たりがあるから、一休みしたら交渉しに行くわよ」
「……うん、わかった。で、だれなの?」
 名雪は薬草茶のまずさに顔をしかめながら聞く。
「四天のひとり、倉田佐祐理、そして同じく、天野美汐」
 
 
 
 
 
 天野美汐一行はなにをするでもなく、ただ雑談に興じていた。
 調査が行き詰まり、とりあえずは鬼の被害の多い場所を調べさせてから動くしかなかった。
 数刻やそこらでわかるようなことでもないので、いまは待つことしかできない。
 美汐はため息を吐く。
 ――もどかしい。
 祐一と三人の少女は楽しそうにおしゃべりをしている。
 美汐は進んでその輪の中に入ろうとは思わなかった。
 同年代の少年少女達となにを話せばいいのかわからないのだ。
 振られた話には答えもするし、純粋な疑問には質問もする。
 しかし、自分から話題を提供したり、気軽に笑いあったりはできなかった。
 それに、と美汐は思う。
 身分の差というのは、自分が思っているよりも根深いものだ。
 都にいた頃の周りの反応は判を押したように同じ。
 ――胸が悪くなりますね。
「ほ〜らほらほら、すごい反りだろ? 自慢の一品だぞ〜。こんなモノ持ってるやつはそう居ないぞ〜」
「す、すごいね、すごいね。わたし初めて見るよ」
「たしかに……うん、これはすごい」
「ふーん。結構使い込んでるわりには綺麗だね。触ってもいい?」
 ぶはっ、と吹き出す美汐。
「なにやってるんですかぁぁっ!」
 美汐は勢いよく振り向いて祐一達のほうを見る。
 が、期待していたような光景はなく、鞘の払われた太刀を珍しそうに眺める少女達が居るだけだった。
「なにって……見たいっていうから見せてただけなんだが……」
 いままで自慢げに見せていたが、なにかまずかったのか、と祐一は不安になってきた。
 美汐は顔が赤くなってゆくのを感じる
 あ〜んなことやこ〜んなことを想像してしまった美汐は、自分の想像力(妄想力とも)を恨めしく思う。
 わ、私はこんなふしだらな娘では、決して、ええ、決してありません。
「いや、そんな顔真っ赤にして怒んなくても……」
「み、美汐様、見せて欲しいと言ったのは私のほうで……」
「そうです。祐一殿は……それに応じて下さっただけですので……」
「だ、だめだったの? だめだったの?」
 慌てたように祐一をかばう三人の少女に、美汐は再び広げようとした想像(妄想とも)をなんとか閉じる。
「だめとかそういうことではなく……いえ、なんでもありません。
 ただの勘違いですから、気になさらないでください」
 一様に、よかった、という表情を浮かべ、それじゃ見せてもいいよな、と一応美汐に断りを入れた。
 どういう勘違いか、などと問いつめられなかったことに胸をなで下ろし、美汐はため息を吐く。
 そこではっとなる。
 ――まさか!
「相沢さん、その……その太刀はもしかしてとは思いますが……」
「ん? これか?」
 き、と鍔を鳴らし、祐一は太刀を収める。
 嫌な予感。美汐はごくりと唾を飲み込む。
「……どこで、手に入れられたものですか?」
「知り合いに貰ったんだ」
 知り合い? 莫迦な!
 美汐は困惑にまぶたを閉じ、三人の少女を祐一の側から離し、自分の後ろに下がらせる。
「……どうしたってんだ、天野」
 祐一は表情を引き締め、今まで見せていただらけた雰囲気は微塵も感じない。
「答えて下さい。……あなたは……」
 美汐は言葉を切り、再び口を開く。
「――鬼、ですか?」
 ぴくりと、美汐の後ろの空気が揺れる。
 祐一の表情は変わらない。
「……どうしてそんなことを聞くんだ? 俺は見ての通りの、人、だろ?」
「見た目なんて、いくらでも変えられるのが鬼です。それに――」
 美汐は祐一の右手に握られている太刀に視線を移す。
「やはり、鬼鍛冶の太刀ですね。特徴的な反り、波紋、装飾……」
「鬼鍛冶? だからなんだってんだ?」
「……私がわからないとでも思っているんですか? 莫迦にしないでほしいものですね」
 ――鬼鍛冶。
 その名通りの、鬼の鍛冶。
 人の業を上回るその技術は、圧倒的なまでの破壊力を秘める。
 それ故、鬼鍛冶により作り出された物は、例外なく都で厳重に保管される。
 物が鬼によるというだけに、所持しているのは鬼。回収できるのは主に鬼の死後だ。
 しかし、鬼であっても鬼鍛冶の逸品を手にすることは希。
 現在都に保管している鬼鍛冶の『作品』は、わずかに二本。
 つまり、『人』にはほとんど手に入れることができないということだ。
「先程言いましたね。知り合いに貰ったと。その知り合いは、鬼、でしょう?」
「…………」
 美汐は眉を寄せ、懐から符を取り出し、言う。
「否定しないのですね」
 三人の少女が、身を固める。
「なにが目的です? ……まぁ、それがなんであれ、私の取る行動はひとつですが」
 左手を引いて印を組み、右手に符を構える。
 しかし美汐は未だに、この少年が鬼だとは信じたくなかった。
 ――夢であればどれほどいいか。
「……最後に、もう一度聞きます」
 美汐は祐一を見据え、絞り出すように言葉を紡ぐ。
「あなたは……鬼、ですか?」
 違うと言って欲しい。
 冗談だと笑い飛ばして欲しい。
 その苦い微笑みは嘘だと、言って欲しい。
 しかし、帰ってくるのは沈黙のみ。
 否定も、肯定も、ただ祐一は佇んで、美汐の言葉を待つようにまぶたを閉じている。
「……そうですか」
 美汐はくちびるを噛む。
 ――なぜですか。
 なぜ、私に優しくしてくれたんですか。
 美汐にとって祐一は、初めてといっていい男の友人だった。
 隔離された屋敷。
 見たこともない母と名乗る女。
 感情のない教師。
 言われたとおりにただその知識と力を振るい、今の地位についた。
 この調査は、美汐の初めての『外』での仕事だった。
 『外』で出会った、自分を自分として見てくれた男性。 
 勘違いだったとしても、それは初恋だったのかもしれない。
「天野」
「なんでしょうか」
「俺は、そんなことでお前と戦いたくない」
「そんなこと。そんなことですか? 鬼だということが、そんなことですか?」
 鬼は絶対悪。
 存在を許してはならないと言う。
 鬼は、すべからく抹消すべし。
 誰もがその思想に囚われている。
「鬼だから、なんだというんだ? 人だから、なんだというんだ?
 俺には違いがわからない。鬼も人も同じ心を持っている。
 鬼が人を喰らうから、人は鬼を殺すのか?
 人が鬼を殺すから、鬼は人を喰らうのか?」
「……なにを」
「たしかに鬼の中には好んで人を喰らうやつもいる。
 しかしそれは狂気だ。ほんの少数の狂気に取り付かれた鬼。
 そして人もそれは変わらない。なまじ権力という概念がある人間には、特にな」
「……なにを言っているんですか」
 祐一はゆっくりと目を開き、美汐の瞳を見つめる。
「なぁ、天野。鬼は、どこから来るのか、知ってるか?」
「なにを言っているんですか!」
 美汐は耐えられず叫んだ。
 祐一の言葉は、美汐の心に小さな芽を生む。
 ――なにを、言いたいのですか。
「……そうだな。意味がないな、こんなこと言っても」
 祐一はだらんと下ろしていた両手を持ち上げる。
「本当は嫌だけど、もうなにを言っても無駄だしな。それじゃ――」
 飾太刀の柄に手をかけ、腰を落とす。
「始めようか」
 ――虹色の光が、祐一の眼前に生まれた。
 それは徐々に収束し、円を描くように回転し続ける。
 美汐は油断なくその光を見据えるが、その先にある祐一の顔には疑問の表情が浮かんでいた。
 まさか別のなにかか。美汐は警戒する。
 ――そして、そのまさかの通り、弾けた光の中から少女が飛び出してきた。
「祐一さぁ〜ん!」
「ぐはぁっ!」
 少女の腕は、見事なまでに、祐一の首を刈っていった。
 
 
 
 
 


あとがく

「な、なんか出てきたよ? 出てきたよ?」
出てきません。

深淵<しんえん>
庵<いおり>

え?
展開が急?
美汐が変?
……さらっと流して下さい(汗

さて、なんかいろいろと、このお話しの核である鬼について出てきました。
鬼自体の設定は、昔からある話とあまり変わりません。
筋骨隆々、角があり、恐ろしく強い異形の怪物。
人の言葉を解し、人を喰らう破壊の権化。
あと、あまり知られていないかもしれませんが、美男美女に化け、才能に優れた者として人間界に現れることもしばしば。
昔話などでは、人が鬼をだまして利益を得るという話もありますね。
それは人というものがどれだけ狡賢いか皮肉ってるようなものだと思うんですが……どうなんでしょ。
まぁ、とりあえず、鬼が悪として書かれ、人はそれを退治するという図式が殆どです。
私が知っているものはそうでない話もあるので、微妙ですけど。

興味のある方は広辞苑などで鬼の項を調べてみて下さい。
このお話しに使う設定の一部がちょこっと出てます。

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