「香里様。香里様、居られますか?」
「えぇ、居るわよ」
 ぴりぴりとした香里の声に、女中は少しの間ためらい、深呼吸をしてから足を進める。
 そして目にしたのは、狩衣に身を包み、抜き身の太刀を冷たい瞳で眺めている香里の姿だった。
「なにか、あったの?」
 ぞくりとする声色。
 女の背がふるえる。
「……はい。鬼の動きが、目に見えて活発になってきました。
 理由は不明ですが、その中心となる場所があることがわかりました」
「そう。……それで、そこはどこ?」
 香里の瞳が女中を見据える。
「ものみの丘です」
 ひょう、と太刀が空気を斬る。
 香里は太刀を水平に構え、くるりと回して鞘へと収める。
「――それと、先ほど秋子様が見えられまして……ことづてを。
 『鬼は私たちにまかせて、香里ちゃんはあの子を探しなさい』
 ……とのことです」
 その言葉を聞いて、くく、と香里は声をもらす。
「……ほんとうに、なんでもお見通しなんですね、あなたは」
 香里は妹のことなど話してはいなかった。
 それなのにどうして、とも思うが、あの『水瀬秋子』なのだ。
 知っていたとしても、そう不思議ではないかもしれない。
「でも、栞のいる場所は、鬼のいる場所。それならば――」
 香里は女中から目を離し、屋敷の外……ものみの丘のある方を向き、呟く。
「狩って行くまでです」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鬼月幻想奇譚
    〜 正しい魔物の屠り方 〜

十六ノ門
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「断る」
 無口な伏鬼士が言ったはじめの言葉が、それだった。
 隣に座っていた少女が慌ててたしなめる。
「ま、舞、内容も聞かずに断るのはどうかと思うよ?」
「佐祐理、付き合う必要はない。さっさと帰ってもらって」
 座から立ち上がり、すたすたと去っていく。
「ま、舞ってば〜」
 佐祐理は客人にすいませんと頭を下げながら席を外す。
 ぱたぱたと廊下を駆ける音と、びたんとなにかを叩きつけたような音を残し、屋敷は静寂に包まれた。
 かこーん、というししおどしの音の後に、かすかに、ふぇ〜、と気の抜けた声が聞こえたような気がする。
「……お母さん、どうしよう」
 名雪が母親に声をかける。
 水瀬母娘が交渉しようとしていた倉田佐祐理は既に居なく、ただ冷たくなった薬草茶だけが残っていた。
 主人の居なくなった座に、ぽつんと置いてある茶碗が、いっそうに虚しさを引き立てる。
「……時間が惜しいわ。こちらから説得に向かうわよ」
 ずず、と薬茶を飲み干し、秋子はすっと立ち上がる。
 御簾を押し上げ、外の様子を確かめる。
 しっかりとした作りの廊下は軋みもなく、毎日磨かれているのか状態も綺麗なものだ。
 秋子はふたりの去っていった方へとあたまを巡らせ、ぽつりと呟いた。
「さて……どうやって説得すればいいものか……」
 とりつく島もないあの伏鬼士は、特に手こずりそうな気配が濃厚だ。
 近くを通った女中にふたりの場所を聞き出し、秋子はどうしたものかと考えながら足を進める。
 
 なかなか出てこない名雪はというと、足に走る痺れにもんどり打っていた。
「お、お母さん。あ、足、足しびれて立てないよ……ぉぉぉ……しびれてるしびれてる〜〜」
 
 
 
 
 
「舞、舞ったら。待ってよ、どうしたの? ねぇ、舞〜」
 ずんずんと無言のまま歩く少女のあとを慌てて追いかける佐祐理。
 鼻の頭が少々赤くなっているのはご愛敬。
「……別に」
「別にって……全然別にじゃないよ」
 佐祐理が隣に並んでも、舞の足は止まらなかった。
 なぜこんなに機嫌が悪くなっているのか、佐祐理には理解出来ない。
 水瀬母娘が来るまではいつも通りの午後だった。
 のんびりとお茶をすすりながらふたりで和んでいたとき、御免下さいと門を叩く音がした。
 そこに居たのが、あのふたり。
 そのときから舞はしかめっ面だったが、水瀬秋子がある鬼の名前を口にしたとき、それは絶頂に達した。
「ほんとうに、舞、どうしたの? おかしいよ? 鬼退治なんて、いつものことでしょ?」
 それに……と佐祐理は続ける。
「……鞍馬の鬼にだって、舞は勝ったんだし。もう一度やったって、結果は変わらないよ」
 その言葉に、舞はあたまが真っ白になる程の感情を憶える。
「……そんなこと、やってみなければ、結果はわからない」
「でも……」
「あの鬼は……鞍馬の鬼は本気を出していなかった。明らかに、私を試していた」
「……え?」
「今回はおまえの勝ちにしておこう」
 舞はぴたりと足を止める。
「あいつはそう言った。そう言いながら笑った。腹に太刀を突き立てられて、それでも笑っていた」
「…………」
「佐祐理、あの鬼だけは駄目。もうあの鬼に関わらないで」
 舞は俯く。
 その姿は、脆く、壊れやすい薄氷のような雰囲気を漂わせている。
「そんなの……舞、そんなの舞じゃないよ。あの鬼だけは駄目? あの鬼に関わらないで?
 そんなこと言ってたんじゃ、勝てるものも勝てないよ!」
「…………」
「舞……佐祐理ね、舞には強くいてもらいたい。弱気な舞なんて、見たくないよ」
「佐祐理……」
「それに、舞。佐祐理のこと……守ってくれるんでしょ……?」
「……うん」
「だったら、大丈夫だよ。佐祐理達に勝てる鬼なんて、居ないよ」
「うん」
 佐祐理は私が守る――舞はそう誓った。
 それはどんな誓約よりも、守るべき誓い。
「二五〇両、頑張ろうね」
「うん……?」
「ちなみに、都からの報奨金とは別に、美坂家からその倍――五〇〇両の報酬があります」
「やります」
 足音もなく現れた秋子の言葉に、素晴らしい程の速さで佐祐理は頷いた。
 友情よりも金なのだろうか。舞は悲しい気持ちでいっぱいだった。
 
 
 
 
 
 場は一触即発の緊張を持っていた。
 ぴんと張った細い糸のように、わずかにでも負荷を与えればぷちんと切れてしまいそうな雰囲気。
「……あれ?」
 そんな中、声を発する少女。
「祐一さん……え? なに? ……だれ?」
 祐一を体の下に敷いた栞が、自分の背後で凄まじい殺気を放っている四人の少女に気付く。
「誰……ですって? あなたこそ、誰ですか? ……と言っても」
 天野美汐がじろりと、突然出現した少女を睨む。
「いきなり空中から飛び出してくるなんて、人間にはできない芸当ですしね」
 美汐の放った符が、まるで鉛の固まりを撃ち出したかのような勢いで栞に向かう。
「え――」
 ずぉっ。地面が抉られる。
 しかし栞と祐一の姿はそこにはない。
「……まったく。なんてすばらしい登場だ」
「祐一さん……」
 栞を抱きかかえた格好で祐一は呟く。
「今のを避けますか。確実に仕留めたと思ったんですけどね」
 その言葉に、祐一は寒気を憶える。
 これが、天野美汐なのだろうか。
「ちょっ……あなた、いきなりなにするんですか!」
「なに、ですか? 別に、ただ消そうとしているだけです」
「消す? なにを……?」
「栞」
 祐一が緊張した面もちで声を出す。
「あ、祐一さん。なんですかこの女、感じ悪すぎます」
「……いや、本当はこんなやつじゃないはずなんだがな……いまはそれどころじゃない」
 じり、と祐一は美汐と間合いを取る。
 そう、いまはこんなことをしているときではない。
「天野……それと、うしろの三人もな。こんなご時世でもなければ、もう少し付き合えただろうよ」
「鬼と付き合うような世の中は、いつまでたっても来ることはありません」
 晴れていたはずの空が、ゆっくりと霞みだす。
 雲ではない。突然霧が出始めた。
 美汐は祐一に視線を向けたまま、あたりの様子を探る。
「……霧? 違う、この気配……呪の霧!?」
「あたり」
 先程まで遠くまでよく見渡せた平原が、まるで別の世界に迷い込んでしまったかのような景色に変わる。
 真っ白な視界に、わずかに祐一の影が見え隠れするが、それはすぐに塗りつぶされてゆく。
「くっ……!」
 符を取り出し、言霊により封じられた呪を解放する。
「紅玉!」
 ばっと放り投げた符が真っ赤な炎に包まれ、あたま程の大きさの火球を作り出す。
 しかし、それすらもまわりの霧に押しつぶされ、しゅんと消えてしまう。
「……炎すらも消してしまいますか」
「まぁ、そういう効果があるからな。炎でこの霧は晴れない」
「それなら……」
 美汐が印を組み、呪を唱える。
「強き風、切り刻みて舞え。風牙!」
 ひょぉっ、と美汐の周りに鋭い風が生まれる。
「そう、それが正解」
 莫迦にしている。美汐は唇を噛む。
「残念だ。非常に残念だよ、天野美汐。もう少し一緒に居たかったんだが、もうそれも叶いそうにない」
「当たり前です、誰が鬼などと!」
 鬼などと……一緒に居られるはずはない。
 ――あなたが鬼でなければ――
 ざわりと美汐の心を掻き乱す。
「……やはり、なにも知らないのか。はっ、帝も隠し事がお好きなようだ」
 その言葉を最後に、祐一の気配がふっと消え失せた。
 あたりを覆う霧も風にうたれて徐々に薄くなってゆく。
「隠し事……?」
 つぶやきは、霧のように風に呑まれていった。
 
 
 
 
 
「祐一さぁ〜ん」
 ぎゅぅっと栞は祐一に抱きつく。
 ぐすぐすと鼻をすすり、祐一の狩衣にこすりつける。
「祐一さ〜ん、祐一さぁ〜ん」
「ぐあ……栞、どうしたんだお前」
 祐一は霧に紛れてあの場をすたこらと”走って”退散した。
 栞を抱えたまま町へと足を運び、現在は祐一の住んでいた家屋に戻ってきている。
「どうしたじゃないですよ〜」
 単の袖でぐしぐしと目元を擦り、きっと祐一を睨む。
「うそつきっ。町に行けば会えるって言ったじゃないですかっ」
「いや……こうして会ってると思うんだが……」
 栞はぶんぶんと首を振る。
「三日! 三日です!」
「三日? なにがだ?」
「……私が祐一さんを探していた時間です」
「……探してた? 俺を? ……なんでまた」
「え……?」
 祐一にそう言われ、その理由を思い出す。
 不安だった。会いたかった。
 ただそれだけのことだったが、それを口にするのはあまりにも恥ずかしい。
 今更ながら、栞は自分のしていたことがどれほどのことか思い知る。
 ――まるで、恋人に捨てられそうになって必死の女みたいだ。
 自分でも顔が赤くなってゆくのを感じて、栞は祐一に背を向けた。
「な、なんかそんな気分だったんですっ」
「そ、そうか……」
 栞の勢いに押され、祐一はそれ以上追求しなかった。
「まぁ、それはいいとして、栞」
「……なんですか?」
 顔に上がった熱を冷まそうと、ぐにぐにと頬をこねながら栞は返事をする。
「力、使えるようになったんだな」
「あ! ……そうです、そうでした。聞いてくださいよ祐一さ〜ん」
 目が覚めたあと、あることを考えていたら急に景色が変わった。
 何度も何度も違う景色を見たが、捜し物は見つからない。
 そうしているうちに――闇に支配された場所にたどり着いた。
「そこで三日過ごしました。祐一さんの光が見えるまで、ずっと」
 栞は祐一を見上げる。
「なんで、急に祐一さんが居るところが分かったんでしょう。なにか、あったんですか……?」
 祐一はぽりぽりとあたまをかく。
 栞は祐一を捜していた。
 しかし、力に目覚めた栞が”跳んだ”のは、祐一が倒れたあとだった。
「まぁ、あったと言えばあったんだが。……ちょっと意識不明で三日間寝込んでた」
「……え?」
「いまは大丈夫だからな? 栞が見つけられなかったのも、それが理由だろ。それよりもだ」
 ずい、と祐一は栞に近づく。
「な、なんですか?」
「栞、お前、呪が使えるのか?」
「いえ……使えません。からきしというか、使ったこともないです……」
 祐一は盛大にため息をつく。
「目覚めればもうけもんだと思ってたんだが、まさか原種とは……」
「……原種? なんですかそれ」
 原種。
 鬼をも上回る力を秘める鬼をいう。
 神話の世界に存在するような鬼は、すでに途絶えて久しい。
 鬼は徐々に弱体化し、それを呪などで補っている。
 弱体化の理由、それは、あまりにも強大な己の力に滅ぼされるためだ。
 伝承にしか存在し得ない程の力を持つ鬼。
 呪の力を借りずに、その体に秘められた能力を自在に行使出来る。
 それが、鬼原種。
「ん〜、あまり気にする必要はないな。呪を使わずに力が使えるというだけだ」
「……それってすごいんですか?」
「いや、貴重なだけですごいというわけでもない」
「貴重っていうのはすごいのとは違うんですか」
「いくら貴重な力でも、その内容が使えないものだったら意味無いだろ?」
「まぁ……それはそうですね。それじゃ、私のは?」
 栞の能力――空間転移。
 呪では再現不可能なその力は、たとえ鬼であっても使えるものは居なかった。
 鬼人の子孫でしかない『人間』に与えられる能力ではない。
 あまりにも大きな力だ。
「……一言で言えば、すごい」
「ほ、ホントですか!?」
 嬉しそうにはしゃぐ栞。
「だから、使うな」
「えーーーー!!」
 不満そうに頬をふくらます。
「せっかく使えるのに、使わない手はないじゃないですか〜」
「危険なんだよ、その力は。だからよっぽどのことがない限り使うな」
 祐一の真剣な表情に、栞は目を奪われた。
 自分のことを心配して言っているのだということが、栞にはよくわかる。
「……まぁ、祐一さんがそう言うんなら、使わないようにします」
「よし、それならいい」
 そう言った瞬間、祐一が表に視線を向ける。
「……そうだった、くそ、色々ありすぎて忘れてた……」
 そんなことを呟く。
「護鬼、念のために聞いておくが、あの気配は当主殿か?」
《そうです》
 突然自分以外のなにかに話しかけた祐一に、栞は不思議そうな顔をする。
「そうだよな……俺の顔を知らなくても、栞の顔は知ってるわけだ。
 栞が三日もの間行方不明、でもってその前には鬼の事件。
 当主殿は腕がいいときているから、まちがいなく俺の匂いと気配は憶えてる。
 くそっ……いまこの時期に戻ってくるのは迂闊すぎたか……」
《巡回中の検非違使に、栞の顔を知っているのがいたみたい》
「栞を帰しても素直にありがとうといってくれる女じゃないのはよく知ってるし……
 かといって帰さなければさらに怒りを買うのは目に見えているし……
 引いてもだめ、押してもだめ。さて……どうするか……」
 外のざわめきが増す。
 どけどけと大きな声を張り上げて押し進む様子が感じ取れる。
「祐一さん? あの、どうしたんですか……?」
 栞の心配そうな声に、祐一は顔を上げる。
「…………」
「ゆ、祐一さん? あの……そんなに見つめられると……」
 がばっ、と祐一は立ち上がり、胸の前でぐっと握り拳を作る。
「よし、逃げよう」
 しゅぅん――
 表の戸が、軽い音と共にばらばらと吹き飛ぶ。
「わわっ、なんですか!?」
「……思ったよりお早いお着きで」
 なんだなんだと騒ぎ立てる隣人達。
 なにが起きているのか、把握できていないのだろう。
「……どうやら、秋子さん、あたしの方が一足早かったようですね……」
 瞳が燃えているかのように、深紅に輝く。
「鬼ぃ……」
 嬉しそうに、嗤い――
「殺してやる!!」
 
 
 
 
 


あとがけ

「よ、四次元なの? 四次元なの?」
アナザーディメンジョンです。

霞み<かすみ>
鬼原種<きげんしゅ>
検非違使<けびいし>

うが……自分でなに書いてるかわかんなくなってきた……
一応大まかな話の流れは作ってますが、細かい設定はそのつど考えてたりします。
にしてもこの形式(一言、漢字、あとがき)、気に入ってきた。

今回はなにも考えず、ささっと書いてみました。
多分変なところあると思います……ぬぬ……
なんかあたまが回らない。
バトルはあとでまとめてすると思うので、次回は祐×香ではなかったり。

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