妖狐真琴は胸騒ぎを感じていた。
 両親を失ったその日も感じた、ざわめくような胸騒ぎ。
「なにが……」
 呟く声に覇気がない。
 まさか。
 まさか、また誰かを失うというのだろうか。
 だとしたら、それは誰?
 真琴には身内と呼べる者も、友人と呼べる者もいない。
 今まではただ復讐にだけ生きていたから。
 なぜかふと、あの変な人間に会いたくなった。
「祐一……」
 そう、名前は相沢祐一と言った。
 人のくせに、鬼を恐がりもしない、変な人間。
 顔はいい。目つきも柔らかくていい。唇も思わず噛み付きたくなるくらい、いい。
 声もいい。服の下に隠れているけど、引き締まった体もいい。指もしなやかでいい。
 それに、なんといっても、あの匂いがとてもよかった。食べちゃいたい。
 だから思わず、結婚して、なんて言ってしまっていた。赤面ものだ。
 初対面の、それも人間なんかに結婚を迫るとは。
 鬼は鬼らしく身内同士でちちくりあっていればいい。
 でもあの人間は、嫌だとも、なんで貴様なんかととも、この女狐がっ、とも言わなかった。
 真琴がもっと美人になったらな、と言ってくれた。
 『もっと』ここ、一番重要。
 つまり今も美人と言うことだ。
「…………」
 にへら〜、と頬がゆるむ。
 だからもっと美人になって言わせてやる。真琴は誓った。
 真琴……綺麗になったな。結婚しよう。
 そのときのことを想像して、顔を赤くする真琴。
「…………待ってなさい、祐一っ。絶対綺麗になってやるから〜っ」
 ものみの丘で、一匹の狐の鬼が青い空に向かって吼えた。
 感じていた胸騒ぎなぞ、とうの昔に忘れていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鬼月幻想奇譚
    〜 正しい魔物の屠り方 〜

七ノ門
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 天野美汐は考えていた。
 さきほどの、あの状況を。
 三人組を見送り、さてと歩き出して数刻。
 なぜか不穏な気配を感じて足を止める。
 自分を中心に、鬼が三体。
 見た目はひとより少し大きいくらいで、筋肉質。
 頭はいびつにゆがみ、額から一本、ねじくれた角が生えている。
 瞳はまさに、獲物を前にした肉食動物。
 口の端からは牙が覗き、涎が垂れ落ちている。
 爪は鋭く、人の肌などなんの抵抗もなく切り刻めそうだ。
 しかし、そんなことは、ある事実の前には、なんの意味もなさない。
 あまりにも醜悪。
 あまりにも巨大。
 あまりにも人間離れしたソレ――
「どうして……」
 鬼の知性は人とさほど変わらない。
 だからだろうか――
「…………どうして、全裸なんですか」
 ときには露出狂の変人――もとい、『変鬼』も出現する。
 特に季節の変わり目とか。
「そんな酷なことはないでしょう」
 華の十六歳があんなものを突きつけられて、思わず地面ごと消滅させてたとしても誰が責めようか。
 ――まさか私が派遣されたのは、あたまの温かくなった鬼どもの処理?
 嫌すぎます。
 美汐は祈った。違いますように。
 それにしても、と美汐は思う。
 ――お父様より、大きかった。
 当たり前である。
 
 
 
 
 
 鬼の発する、『鬼気』というものは独特な気配なのだ。
 ある特別な訓練を受けた者か、鬼の血を引く者しか感じることはない。
 前者は『伏鬼士』、後者は『鬼人』とその子孫。
 鬼気というものは消すことは出来ないし、絶つ方法もない。
 鬼気とは鬼の生命そのものだからだ。
 いや、だからこそ、ひとつだけ絶つ方法があると言うべきか。
 生命の停止――死だ。
 例外としては、『美坂家』のように、血が薄まれば鬼気を纏うこともなくなる。
 鬼気は血に依存する。力は血筋に。
 そして伏鬼士である舞は、再び迷っていた。
 『鞍馬の鬼』
 その男が、目の前を通り過ぎていった。
 なんでもないように、自分に気付きもせず、ただ通り過ぎた。
 莫迦な。舞は思う。
 あの夜、たしかに鞍馬の鬼は私たちに刃を向けた。
 凶悪なまでに強い、二匹の鬼を従えて。
 その男が町中をふらふら彷徨っているはずがない。
 舞はそう思ったが、目の前をふらふら彷徨っているのは、たしかに鞍馬の鬼だった。
 そして、再び、驚愕した。
 鬼気が、無い。
 つまりこの男はただの人だということ。
 そんなことはあり得ない。
 あの夜感じた鬼気は、紛れもなくあの男から発せられていたもの。
 しかしそれが感じない。
 では、私はただの人間に、太刀を向けたというのだろうか。
 そんなことは考えたくもない。
 舞が珍しく苦悩の表情を出して立ちすくんでいると、鞍馬の鬼――祐一は舞に気が付いた。
 『げ』という顔をして、後退る。
 待って。舞は声をかけようと一歩踏み出して――祐一は回れ右をして逃げた。
 突き出した腕を所存なさげに揺らし、ため息を吐いて下ろす。
 ――それもそうだ。いきなり斬りつけられたりして、逃げない方がおかしい。
 自分の思考のほうがおかしいことに、舞は気付かない。
 今度会ったとき、はっきりさせよう。舞はそう考えた。
「舞? どうしたの?」
 買い物を終えた佐祐理が舞に話しかける。
「……なんでもない。行こう」
「うん。あ、舞。くまさんの刺繍の入った織物、買っておいたよ」
「くまさん……かなり嫌いじゃない」
 
 
 
 
 
「鬼退治……か」
 表通りを歩きながら、名雪はため息をひとつ吐く。
「嫌なの?」
 秋子は問いかける。
「ううん、そうじゃないの。鬼はいない方がいいから、嫌じゃないけど……」
「けど?」
 名雪は、心配そうに母を上目遣いに見上げる。
「……お母さん、危ないこと、しないでね」
「大丈夫よ」
 大丈夫であるはずなど無いのだ。
 そのことは微塵も感じられない笑顔で、秋子は言う。
「危ないことなんて、ないから」
「……うんっ」
 その笑顔につられ、名雪にも笑顔が広がる。
 しかし、秋子の内心はそう穏やかでもなかった。
 鬼狩りが本格的に始まったということは、つまり、鬼の被害が予想以上に多いということ。
 民間の鬼狩りでは、被害を食い止めることは出来なかったようだ。
 このままだと、鬼は町そのものを破壊するまでに力を付ける。
 先手を打つために出した策が召集令。
 力のある呪士を集め、大規模の鬼狩りをするのがその内容だ。
 これで一気に鬼の殲滅をはかる。
 何度も行われた鬼狩りで、その効果は期待出来る。
 しかし、人間側の被害も尋常ではない。
 名雪はそれを心配しているのだろう。
「そういえば、最近よく聞くけど……鞍馬の鬼が、出たんだって」
「鞍馬の鬼……厄介ね。束ねているのがその鬼じゃないといいんだけど」
「……そんなに強いの、鞍馬の鬼って」
 秋子は目を伏せ、大きなため息を吐く。
「強いわ」
 名雪にはこの一言で十分だった。
 あの母に『強い』と言われることが、どれだけ異常なことか。
「……そっか」
 名雪の表情が曇る。
「でも、大丈夫。お母さんがいるでしょ?」
「うん、そうだねっ」
 水瀬親子は話しているうちに、目的地である美坂家へ到着した。
 
 
 
 
 
 ごぽり、ごぽりと、気泡が水を掻き分ける音がする。
 波紋に揺らめく木の葉を摘み取り、消す。
 水面に映るその顔は幼く、そして大人びていた。
 年の頃は十七ほどだろうか。
「もうすぐ……だよ」
 その顔に似合わない、冷たい声。
 唇に張り付いた笑みは、見る者に不安を与える。
「もうすぐ会える……」
 ぴちゃ
 少年は微笑み、水面に脚を伸ばす。
 するすると飲み込まれていく自分の脚を、恍惚の表情で眺める。
 膝のあたりで、指先が水の底に付いた。
 ゆっくり、ゆっくり、水の中を歩く。
 少年と同じ顔をした少女の元へ。
「もうすぐだよ」
 ちゃぷ
 歩みが止まる。
 水面に浮かぶように、少女は横たわっている。
 目を閉じ、息もせず、鼓動もない少女を、少年は見守る。
「姉さん」
 そっと、頬を撫でる。
 冷たく、なめらかなその肌。
「そろそろ……夏だよ」
 少女の額にかかった髪の毛をかき上げ、呟く。
「もうすぐ、門が開く」
 
 
 
 
 
 


あとぶき

5段活用(違
場面短すぎ、切り替わりすぎ。


水面<みなも>
 ”すいめん”に非ず

ネタばれ。
ラストのやつは今回のラスボスで。
それ以外は決めてなかったりしますけど。
てか、この展開だと言うまでもなく分かりますね。
おそまつ。

八話のはじめは栞、以降九話までは佐祐理メイン。
んで、十話は舞メインのお話です。
十一話はまだ途中ですが全鬼護鬼と真琴のお話。
次あたりから徐々に戦仕様です。
全部が全部じゃないですけどね。
でも、う〜ん、どうなることやら。
真琴も戦わせないといかんし……十二〜三話あたりに入れようか。
美汐も戦闘に参加するだろうし。
むむ……書かないといけないことがありすぎるような……
まぁ、なるようになるでしょう。
戦わせてみたい組み合わせとかありましたらメールでも。
真琴×美汐というのもありかも。
……なんかこう書くと百合の香りが漂うのは気のせいでしょうか。

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