「え〜と、昨日の報償は……四両か。まぁまぁですね」
 ふわふわと髪留めを揺らす少女――佐祐理は巾着の口を覗いて呟く。
「これで舞に新しい太刀買ってあげられるかな〜」
「……別に、今のでも問題ない」
 舞はにべもなく言う。
「それよりお腹空いた」
「それじゃ、そこ入ろ――」
 うか、と続けようとしたところ、思ってもみなかったものが目に入った。
「ままま、舞っ、あれっ、昨日のっ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鬼月幻想奇譚
    〜 正しい魔物の屠り方 〜

三ノ門
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 道の端に寄り添うようにして小声で話す。
「どうしてこんな昼間に……」
「……鞍馬の鬼? 佐祐理、私の後ろにいて……後を付ける」
「う、うん……」
 舞は札を取り出し、短い呪を唱える。
 基本的に伏鬼士は呪を使うことは出来ない。
 力の全てを肉体の強化に使うからだ。
 ただし『結界』と呼ばれる呪だけは、ある程度技を修めれば唱えることが出来る。
 呪というよりは技術だろう。
 力の一部を体に留めたまま飛ばし、索敵、防御などを行う。
 五感を任意の場所まで拡大できる、と言えばいいだろうか。
 逆に力を体の内側ではなく、外に放出させられる者を呪士、又は呪符士と言う。
 符というのは呪を込めた札のことだ。
 これは呪を使えない一般人でもある特定の言葉に反応して発動するため、いたるところで重宝されている。
 そのため符の作成を生業にしている者もいる。
 使用者の力に関係なく込められた力を使うので、作成者の力が大きければ大きいほどに符の力は増す。
 舞の使った符は呪士である佐祐理の作成したものだ。
 効果は不視。その場に居ても居ることに気が付かなくなる呪である。
 はじめから対面していれば効果はないが、使用した後であれば大抵は効果がある。
「あ、舞。そこの食事処に入っていったよ」
「…………」
 鞍馬の鬼と呼ばれた男はのれんをくぐり、中の給仕に声をかけている。
「鬼もご飯食べるのかな……」
 鬼は見た目こそ人に似ている者もいるが、体の構造は大分違う。
 基本的に精気を糧に生きる。
 それを大地や草木などの自然物から摂るか、人などの生き物から摂るかの違いはある。
「なんか話してますね……」
 佐祐理は壁に耳を寄せ、聞き耳を立てる。

 な、頼むよ、女将さん。
 う〜ん……でもねぇ。
 なんだ、相沢殿、またか?
 またって言うなっ。
 でもついこの間もじゃないですか……
 う……それは、まぁ……
 いいかげん、真面目に働けばいいのではないか?
 祐一様ほどの腕であれば帝に仕えることもできると思いますよ。
 俺の知り合いも帝に仕えているが……紹介してやろうか?
 あ〜……心遣いは有難いが、ここを離れるつもりもないし、なにより堅苦しいのが一番嫌いだしな……
 ま、俺もそうだけどな。
 おまえは仕えたくてもその実力がないだけだろ。
 ……ま、それもある。
 で……だめか、女将さん?
 仕方ないですね、いいですよ。まけましょう。
 あ〜、いくら相沢殿がいい男だからといって贔屓はいけないな、贔屓は。
 うむ、それならば俺もまけてくれ。
 だめです。祐一様だけです。
 ……取り付く島もないな。
 うむ、まぁ、相沢殿にはいろいろと世話になっているからな、俺も引いておこう。
 女将も何度か世話になっているんだろう? どうせならただでもいいと思うんだがな。
 ふむ、どの様に世話をされたか聞いてみたいものだ。
 あぁ……女将さん、顔赤くしてないで否定してくれ。俺の立場が危ない。

 実にほのぼのとしたやりとりだった。
「……あの鬼さん、なんか普通じゃありませんね、舞」
「…………」
「普通の人間みたいに振る舞ってますし……この辺のひと達とも仲良さそうです」
「…………」
「あっ、お茶こぼしましたっ」
「…………」
「む……熱がってます。反応も人っぽいです」
「…………」
「なぜか謝り方も堂に入ってます。予想するに、何度もやったんでしょう」
「……佐祐理」
「ご飯食べてますね……」
「……佐祐理」
「実に幸せそうに食べてます。よほど今までの食生活が大変なことになってたんですね」
「佐祐理」
「女将さんもそれを見て頬染めて……あ、あ、あ、『ほっぺにご飯ついてますよ』!?」
「佐祐理」
「離れて〜、離れなさ〜い、その男は危険です〜」
「…………佐祐理っ」
「あ、え……あ、なんですか、舞?」
 舞はそっと立ち上がり、佐祐理に背を向ける。
「……帰ろう、佐祐理」
 それを聞いた佐祐理は、なぜそんなことを言うのか、という表情を浮かべる。
「たしかにこんな所で呪は使えませんが……」
「違う、違うの。私には分からない……感じない」
 顔を伏せているのでその表情は窺うことは出来ない。
 符の力を解き、舞はその場から離れるように後退る。
「舞……どうしたの?」
「分からない……分からないよ、佐祐理」
「なにが?」
 ざわざわと賑わう通りの真ん中で舞はひとり困惑している。
「昨日はそんなことはなかった……はっきり感じた。あの男は鬼。
 それも、とびきり強いのを二体分合わせても足りないくらいの鬼気を感じた。
 でも……でも、今は感じない。全然感じない。何度も『眼』で見たけど」
「そんなことは……そ、そうだ、今は昼間だからだよ。鬼は夜の一族だから」
 舞はふるふると首を振る。
「鬼は鬼。隠そうとしても隠せるものじゃない」
「それじゃ……どういう事なの、舞……?」
 ひとつため息を吐いて、通りを北に進む。
 佐祐理も早足で舞に追いつき、隣に列ぶ。
「……昔、聞いたことがある」
 呟くように話し出す。
「鬼と人との間に生まれた子。そしてその子供は三つの内どれかに分けられる。
 鬼に傾くか、人に成るか、そして人であり鬼……つまり『鬼人』であるか。
 鬼人は人のままで鬼の力を使える変種。一番危険な種だと……聞いた」
 佐祐理は眉をひそめ、声を小さくして舞に話し掛ける。
「鞍馬の鬼は……鬼人なの?」
「……分からない」
 ため息を吐いて首を振る。
「今まで鬼人に会ったことは無いから。でも、さっきも言ったけど鬼は鬼。
 感じないのはおかしい……あれだけの鬼気を消せるはずはない」
「そう……なんですか」
 舞はぐっと胸を張り、佐祐理に言う。
「夜、会って話す。鬼人じゃなくても危険なやつであれば……斬る」
 ち、と腰の太刀が嬉しそうに鳴った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ほぅ、と梟が鳴く。
 その体に似合わないほどの静かな羽音を残し、闇の中へ飛び去る。
「ごめんね……迷惑掛けてるよね、私……」
 寝台に寝そべり、か細い声で傍らに付いている姉へ謝る。
「……そんなこと、ないわ。栞がいるだけでも、あたしは幸せだから」
 上擦りそうになる声を抑え、平静を装う。
 香里は知っている。妹の命が幾ばくもないことを。
 先程発作で倒れた時、栞は血を吐いた。
 様々な薬師や呪士に診せたが、答えは一様に同じ。
 ――もう二度も発作を起こせば、次はない。
「そう……? よかった……」
 こぼれ落ちそうになる涙を拭い、自分に言い聞かせるように、妹へ言う。
「絶対……絶対、お姉ちゃんがいい薬見つけてきてあげるから。待っててね、栞」
 勢いよく立ち上がり、寝所を立ち去る。
 衣擦れの音を聞きながら栞は目を閉じた。
 そろそろ春も終わりだ。
 庭の木々は濃い緑の葉を付け、月明かりに妖しく照らされている。
 時折吹く生温い風はまるで血の匂いのよう。
「もう……間に合わないよ、お姉ちゃん」
 日に日に弱っていく自分の体。
 残された時間が多くないのは、誰よりもよく知っている。
 月が雲に隠れ、一層闇が濃くなった。
 涙が目尻から流れ落ちる。
 もっと生きていたかった。
 もっといろんなことをしたかった。
 もっとお姉ちゃんと遊びたかった。
 でも……それも叶いそうにもない。
 こみ上げてくる悲しみを抑える術を、栞は小さな時に身に付けた。
 だから姉は妹が死の病に侵されてことを最近まで気が付かなかった。
 ただ生まれつき体が弱いだけだと思っていたのだ。
「死んじゃうんだよね……」
 ぽつりと呟く。
「死にたいのか?」
 音もなく庭に人影が現れた。
 雲が流れ、影は月に照らされる。
 目立たないが、美しく装飾された狩衣を纏った少年がそこにいた。
「祐一さん……」
「死にたいのか?」
 同じ言葉を繰り返す。
 栞は唇を噛みしめ、悔しそうに声を絞り出す。
「死にたいわけ……ないじゃないですか」
「……だろうな」
 ふわりと欄干を飛び越え、寝所へ足をつける。
 傍らに跪き、熱を計るように額へ手を乗せた。
「あ……」
「…………熱はないか。しばらくは大丈夫だな」
 その言葉にぴくりと反応する。
「大丈夫って……どういうことですか?」
「意識がなくなるほどに悪くなることはないってことだ」
 安心したように息を吐く。
「それで……今日もお話ししてくれるんですか?」
「あぁ、それもあるけどな。今回はちょっと違う」
「わ……なんですか?」
 祐一は少し真面目な顔を作る。
「栞の体のことだ」
 とたんに栞は真っ赤になる。
「そ、そんな急にですか……こ、心の準備というのが必要なんですよ、女の子は……」
「……そういうボケは置いといて」
 ボケじゃないのに、という栞の心からの呟きは祐一に届かなかった。
「栞は……自分の体に起きていることがなんだか分かってるか?」
 す、と目を伏せる。
「……えぇ。死に至る病と言われているものでしょう」
「そして原因も治療法も分かることはない」
 断言する。
「寄生だ」
「……寄生?」
「鬼というのは精気を喰らって生きている。そして人というのは精気の固まりだ」
 祐一はとんとんと栞の胸を指でつつく。
「……なにするんですか」
「指の先ほどの鬼が胸の中にいる。鬼は精気を喰らい続け、宿主は衰弱死。
 その前に弱った体が本当の病に罹って死ぬのが大半だけどな」
 栞は驚いたように目を見開く。
「鬼が……私の中に居るんですか……?」
「寄生鬼。なんの力もないが、確実にひとを殺せる。
 人にはこの鬼を見つける術はないし、見つけられないものを退治することも出来ない。
 よほどの力を持った呪士や伏鬼士なら別だけどな」
「祐一さんは……見えるんですか?」
「見えると言えば、見えるけどな」
「……どうして今まで黙ってたんですか? 祐一さんなら私を治せたんですよね」
 怒りを声にしたような言葉だ。
「答えは簡単だ。今までの栞は生に執着がなかった」
「え……」
「生きようともしないやつを生かす義理はないからな」
 その言葉を聞いた栞は放心したように祐一を見つめる。
「ま、時間は掛かったが、合格だ。一年待つのも疲れたぞ?」
 そして栞に笑顔を向ける。
「ゆ、祐一さん……」
 祐一は真面目な顔を作り、栞に言う。
「力を送り込む。死ぬ一歩手前くらいには苦しいからな、我慢しろ」
「え、ちょっと待ってくださいよ。聞いてませんよそんなこと」
「大丈夫だ。痛みで『いっそ殺して』って思う程度だから」
「それなら死んだ方がマシじゃないですかっ」
「死にはしない。死にたくなるくらい痛いだけだ」
「い、いや〜、おね〜ちゃ〜ん、た〜すけて〜」
「あ、そう。じゃいいや。血ヘド吐いて苦しみながら死ね」
「あ、うそうそ。冗談です。ごめんなさい祐一様」
「……もう少し素直になれ」
「はい……」
 咳払いをひとつ。
「……それじゃ、いくぞ」
「…………はい」
 祐一の左手が栞の胸に置かれる。
「開きてひとつ。放ちてふたつ。縛りてみっつ。還りてよっつ。閉じていつつ」
 右手で五芒星を描き、呪を唱え続ける。
 じわり、と何かが染み出すように気配が濃くなる。
「禍き鬼、我が理にて滅す。蒼光」
 鈍く光る蒼い闇が手のひらから滲み出す。
「うぐ……」
 栞が苦痛に顔を歪める。
 眉間に皺を寄せ瞼はきつく閉じ、額には大粒の汗。
 激痛が胸を覆う。
 闇は収束し、まるで蛸のように端が何本もの束になる。
「はっ……ぅ……」
 ぐねぐねと蠢き、何かを探すかのように栞の胸の上を這う。
 禍々しい闇の触手はやがて何かを探し当てた。
 そしてその全てが、くい、と鎌首をもたげ、勢いを付けて栞の胸に突き刺さる。
 どすどすと肉を突き裂く音。
「っ!!」
 びくん、と栞の体が跳ねる。
「く……ぁ……」
 触手は止まることなくずぶずぶと栞の胸に吸い込まれる。
 それは、栞の白くなめらかな肌に突き立てられ、いやらしく蠢く。
 ――どくん。
 触手が大きく鼓動した。
「ああああああぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」
 
 
 
 
 

あとがき兼解説兼漢字のおべんきょ

触手プレイ(笑

巾着<きんちゃく>
呪符士<じゅふし>
生業<なりわい>
贔屓<ひいき>
鬼気<きき>
鬼人<おにびと>
薬師<くすし>
さほど難しい漢字はありませんね。
造語はわかりづらいと思いますけど。

このSSは年号が寛弘、西暦でいうと1000年あたりが舞台。
……いまいち定まらないので1000〜1050年頃にしておきます。
分かりやすく言うと「源氏物語」の書かれた年代ですね。
そこを舞台にファンタジーな世界が広がっているわけです。
私が考えた世界観よりは実際の日本を舞台にした方が分かりやすいかと思ったんですが……
素直に異世界ファンタジーにした方が楽でした(泣
所持している参考文献類がほとんど無い上に、調べても欲しい情報が出てこない。
分かる範囲で書いていくしかないです……

さて、今回は平安貴族の生活をちらりとご紹介。
日本の貴族にはどんなイメージがあるでしょうか。
蹴鞠とか、囲碁とか、歌を詠んだりしてのんびりとすごしている。そんな感じ。
……かと思えばそうでもなかったらしいです。
詳しく書くとえらく長くなるので省略しますが。
ひとつこんな話があります。
『枕草子』に伊周(これちか)が「声、明王の限りをおどろかす」という詩を朗詠する話がある。
この場面は、右近衛の役人が「丑四つ(午前二時過ぎ)」と時を奏するのを聞いて、眠たくてたまらない清少納言が「夜も明けてしまったようですわ」とつぶやいたら、伊周は「この時刻になって今さら横になるわけにもいくまい」と答えている。
寝ないのが当然という貴族の感覚である。睡魔に襲われたら柱にもたれて目をつぶるわけである。

――国語便覧より(笑
唯一の資料です、国語便覧。
高校時代の資料がこんな所で役に立つとは……人生不思議が一杯です。
でも、のんびりすごしていたりもします。
よく分かりません、平安。
 
次回は「かおりん、怒りの○○○○」をお送りします。
あなかしこ(←間違った使用例
 

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