「あ、あれ……?」
 佐祐理はきょろきょろと辺りを見渡す。
「……見失った」
「うん……この角曲がったと思ったんだけど」
 左は堀、右は高い塀。そしてまっすぐに続く道。
 どこにも隠れるところはない。
「……気付かれたのかな」
「多分違うと思う」
 舞は高い塀を見上げる。
「気配はこの向こうに続いてる」
「ここって……」
 佐祐理も舞にならって見上げてみる。
「……美坂のお屋敷ですよ?」
 こくりと舞は頷く。
「じゃ、ちょっと覗いてみるから。舞、肩車して」
「……わかった」
 舞がしゃがみ、佐祐理はそれにまたがる。
「…………ふんっ」
「あ、舞。今のはなに?」
「……ただの気合い」
「気合い入れないと持ち上がらないほど佐祐理って重いのかな、舞〜?」
「…………全然そんな――」
 ――ああああああぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁあ!!!
 佐祐理は突然の悲鳴に身をのけぞらせ――後ろの堀に落ちた。
 派手な音が夜の町に虚しく響く。
 舞はそんな佐祐理を無視して塀を乗り越えていった。
「ま、まい〜〜〜〜っ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鬼月幻想奇譚
    〜 正しい魔物の屠り方 〜

四ノ門
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「栞!?」
 屋敷に悲痛な叫びが木霊する。
 今のは……まさか!
 香里は簀子の床を蹴り、栞の寝所へ駈ける。
 もどかしいほどに足が進まない。さっきまで居た寝所がひどく遠く感じる。
 その間も怖気をふるうような叫びが続く。
「栞……! お願い、栞、栞!!」
 乱れる髪も気にせず、走る。
「誰か呪士を呼んできてっ!!」
 何事かと顔を出した老人に叫ぶ。
 香里自身も呪士ではあるが、自分が無力であるということは嫌というほどに思い知らされた。
 呪士にも得意な分野と苦手な分野がある。香里は破壊に長け、癒しは全くの苦手だった。
 そして近付くほどに、ある独特の気配が濃くなっていく。
 鬼気と呼ばれる、鬼の放つ気配だ。
「そんな……!?」
 悲愴な表情が張り付く。
 鬼というのは、最強の生物なのだ。
 並の人間ではまるで相手にならない。
 それでも香里は足を止めることはなかった。
 香里もまた、最強の生物の血を引く一族。
 忌まわしい血に秘められた力は鬼には遠く及ばないものの、人としては、それこそ最強の部類だ。
 一族の鬼の血は既に無に近いほどに薄まっている。
 しかし、一度もたらされた力は薄まることなく今代まで続いている。
 そしてその力は、栞には無い。
 寝所に辿り着いたと同時に悲鳴が消える。
「栞!!」
 御簾を跳ね上げ、愕然とする。
 見知らぬ男の前に胸をはだけた栞が横たわっている。
 そしてその胸は、動いていない。
「貴様ぁっ!!」
 香里は印を組み、怒りにまかせて呪を唱える。
「吹き飛べ、鬼ぃ! 雷崩!!」
 瞬間、見えない何かが畳の一部をごっそりと抉る。
 男は既にそこには居ない。続けざまに五つの呪を撃つ。
 それらもかわされ、男は庭へと転がっていった。
 香里は寝台に横になっている妹のもとへ駆け寄る。
「栞、栞!?」
 被さるようにして肩を揺するが、反応はない。
 一筋、口元から血が流れる。
「ああああああぁぁぁ!!!」
 
 
 
 舞が庭に降り辺りを見回して悲鳴の出所を探していた時、前方にある壁が爆発した。
「……?」
 立ちこめる土埃の中から、例の鞍馬の鬼が転がり出てくる。
 ――居た。
 太刀の鍔を押し上げ、ゆっくりと近づく。
 やはり感じる。
 間違いなく、この男は鬼だ。
「ばかやろう……まだ閉じてねぇんだぞ……!!」
 そう呟き、再び寝所に上がり込もうとする。
「止まれ」
 舞はすらりと大刀を抜き、静かに言う。
「確かめるだけと付いてきたけど……やはりおまえは鬼。ここで斬る」
「……またおまえか。邪魔するなと言ったはずだ。殺すぞ」
 ぎ、と舞の口の端がつり上がる。
「やれるものなら」
 正眼に構えた太刀を祐一へと向ける。
 ぼごぉっ。
 再び壁の一部が吹き飛び、鬼女――もとい、香里が姿を現す。
「よくも栞を!」
「くそっ」
 香里の呪を紙一重で避ける。
「聞け、まだあいつは死んでいない!」
「うるさいっ、自分で殺したくせに、何を!!」
 舞は何が起きているのかよく分かっていなかった。
 太刀を構えたまま頭を捻る。
「????」
 しかし今のやりとりを聞けば、どうやら鬼は栞というのを殺したようだ。
 つまり、人の敵だ。斬るべし斬るべし。
「美坂家当主、香里殿。助太刀いたす」
 大刀を下段に構え、祐一のもとへと駈ける。
「伏鬼士川澄舞、推して参る!」
 滑るような太刀筋は的確に祐一の脇腹を斬りつけた。
 しかしそれは狩衣に傷を付けただけに終わる。
 跳ね上がった切っ先を返し、振り下ろす。
 祐一はそれを半身になって避け、かわしざまに後ろへ飛ぶ。
「ま、舞〜、今行くよ〜」
 塀を越えようと四苦八苦している佐祐理が視界の端に映る。
 これだけの腕に覚えのある者が揃えば、鞍馬の鬼といえど無事には済まないだろう。
 勝てる。舞はそう思った。
「くそっ……これじゃ間に合わねぇよ!」
 そのあまりにも悲痛な声に、舞は思わず足を止めてしまった。
 ずし、と祐一の放った蹴りがみぞおちに決まる。
「吹きて舞え! 風環!!」
 香里の強力な呪が辺りを覆う。
 それは一気に収束し、竜巻の中に閉じこめるようにして、祐一を風が切り裂き続ける。
「うあぁぁぁっ」
 ばんっ。
 はじける音と共に呪が強制的に解除された。
「ごほ……くそ……」
 舞は呟き、立ち上がる。
「舞、大丈夫!?」
「佐祐理……」
「今治して……どこも怪我してな〜い」
 佐祐理は頭を抱えて地団駄を踏む。
「……そんなこといいから」
 こんな状況でそんなことを出来る友人に呆れた視線を投げる。
「佐祐理も手伝って……二人でも勝てそうにないから」
「う、うん……」
 祐一は地面に手を付き、肩で息をしている。
「一ついでて貫け! 月槍!!」
 その腹の下の土から煌めく蒼白い槍のような物が突き出す。
「く……!」
 祐一は体を捻ってなんとかかわす。
「二ついでて捕らえろ! 槍環!!」
 体を挟んで反対側にもう一本の月槍が姿を現した。
 突き出した槍は鞭のようにその身をしならせ、祐一の体に巻き付く。
「三つ出でて切り裂け! 環月!!」
 大地に捕らえられた祐一の両肩、足元の三箇所から、三日月のような鋭い鎌が心臓に向かって弧を描く。
「あああぁぁ!!」
 ぎぃん、と鋭い音がし、またも呪が解除される。
 その瞬間を狙ったかのような舞の斬撃。
 寝そべる祐一に続けざまに斬りつけるが、これも紙一重で避けられてしまう。
 祐一が大きく後ろに飛び、香里、舞、佐祐理の三人と距離を取る。
 狩衣は土埃にまみれているが、傷らしい傷はない。
 ぱんぱんと体を叩く。
「莫迦な女は嫌いだ……こんなことをしてる暇はない、邪魔をするな!」
「誰が貴様を……この手で殺す」
 香里は怨嗟の声をなげる。
 感情が高ぶり、制御に失敗した呪がバチバチと火花を上げている。
「……そうか、それなら」
 祐一は印を結び、呪を唱える。
「ひるがえりて来たれ、全鬼」
 重ねた手のひらを突き出し、そしてそれを返す。
「ふりかえりて、護鬼」
 祐一の影に渦を巻いた闇が滲み出し、それは前と後ろにずるりと分かれた。
 濃密な気配が祐一の周りに溢れ出す。
「おかしい……」
「……舞、どうしたの?」
 震える声を出す舞に、佐祐理は問いかける。
「鬼気が……増える」
「増える?」
「分かれてる……そんなこと、出来るはず無いのに……」
 闇は絶え間なく蠢き、形を変えてゆく。
 そして、ずぅ、と天に向かって伸びた。
 前の闇は舞よりも少し大きく、後ろの闇は舞の胸あたりまで。
「呼び出したるは、我」
 その言葉と共に闇は、しゃん、と霧散する。
 残ったのは、祐一に背を向けるように佇む二人の女だけだ。
 背の高い女は黒い髪を背中まで伸ばし、祐一と同じような狩衣を纏っている。
 もうひとりの背の低い少女は奇妙なひらひらとした衣装を着込み、髪は黄金に輝き瞳は透き通るように蒼い。
 共通しているのは、感情のない、冷たい表情だけだ。
「後悔するなよ……」
 背の高い女はどこから取り出したのか、煌びやかな装飾の施された飾太刀を祐一に差し出す。
「こいつらは俺よりも強いからな」
 
 
 
 
 


あとがき兼解説兼おべんきょ

ちゃんちゃんばらばら。
果たして祐一の運命やいかに。
てなもんです。
ようやく戦闘ものらしくなってきました。
……しかし、kanonの設定ほとんど消えてます。
まぁ、いいですよね(←よくない

木霊<こだま>
簀子<すのこ>
御簾<みす>
 すだれのこと
怖気<おぞけ>
狩衣<かりぎぬ>
莫迦<ばか>
飾太刀<かざりだち>
 本来は式典用の太刀 その細さから実用に耐えない
 祐一の所持している飾太刀は重ねを厚くして身幅を広くした特別製
 加えて 斬りやすいようにと緩やかに湾曲させている

作中、香里が『貴様』と叫んでいますが、近世中期までは目上の相手に対する敬称。
『貴公』とか、そんな感じです。今時の感覚では逆ですね。
時代的に変ですが、ここでは罵って言うほうの意味を使っています。
そのほうが分かりやすいですから。
言葉とか結構気を遣います、このSS……
外来語を使わないように文章作るのもしんどいです。
『バランスを崩した』、え〜と、これはどうなるんだ……『体勢を崩した』でいいか。
みたいに。
あ〜、でもチェックしてみると使ってたりするかも……

閑話休題。
今回のうんちくは太刀について。
平安時代の飾太刀はほぼ直刀です。しかも細い。
用途は儀式の時に皇族や高官などが佩用(身に付ける)しました。
現存する平安の飾太刀は色あせて、かなりしょぼい。
装飾が豪華で箔が張られたりしていたので、かなりいいものなんですけど。
太刀は時代劇のように腰に差して持ち歩いたりしません。
鞘に金具と紐が付いていて、佩緒という帯にそれを通して固定します。
直衣なり狩衣なり、平安時代の服に飾太刀を帯びると、かなりかっちょええです。
分かる人にしか分からない感覚でしょうけど……
でも細身の飾太刀もいいけど、重量感のある日本刀も捨てがたい。

次回は軽いバトルで。
祐一vs香里
全鬼vs香里
の二本でお送り致しま〜す。
フクロではありません、タイマンです。
てか短いです、戦闘シーン。
 
意見感想批評その他何かありましたらメールでも掲示板でもいのでぷりーず。
 
 

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