ひゅんと太刀を一振り。
 地面に点々と赤黒い液体が飛び散る。
「弱すぎ」
 そう言った少女の視線の先に転がっているのは、全身に刀傷の刻まれた鬼の死骸。
 致命傷と言える程の傷は無い。
 今も尚、じくじくと鬼の体液が流れ出ている。
 いかに鬼といえども、血が無くなれば死に至ると言うことだ。
 鬼の死骸は少女の見ている前で徐々にその躰を縮ませ、カラカラの木乃伊のようになる。
「……少しは自分の力を鍛えておけ、鬼」
 ばさりと褐衣の袖を翻してそう呟くと、鬼は音もなく崩れ去った。
 小さな鍔鳴りを残し、刃は鞘へと収まる。
 と同時に、腹がくぅと可愛らしく鳴る。
「……お腹空いた」
 ぽんぽんと腹を叩き、少女は帰宅の途へつく。
「今日の晩ご飯、何かな……?」
 そう言うと、今度は獣のうなり声のように盛大な音を立てた。
「…………」
 顔を赤くした少女はきょろきょろと辺りを見渡す。
 誰も聞いていないことを確認すると、ふぅと息を吐き、呟く。
「我慢しろ、私……のお腹」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鬼月幻想奇譚
    〜 正しい魔物の屠り方 〜

二ノ門
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 瞼に焼き付くような朝日で目が覚める。
「う……」
 しかし、目が覚めても眠いものは眠い。
 腕を顔に乗せ、光を遮るようにして再び夢の中へ――
 ぐぃっ
 ……あぁ、眩しい……
「なにしやがる」
「朝だよ? 起きないと」
「今日は休みだ、昼まで寝るんだよ」
「不健康だよ、それ。外に出て散歩でもしてきたら。気持ちいいよ?」
「……だいたい、なんでおまえが俺の家に居るんだ」
「だって、わたしが起こさないといつまでも寝てるでしょ」
「そんなこと無いね。ちゃんと起きられる」
「うそ」
 断言しやがった。
「…………分かったよ、起きればいいんだろ」
「うん。あ、朝ご飯は食べる?」
「……いや、いい。外に出るからついでに食ってくる」
「そう。じゃ、また寝ないでね」
 そう言って出ていく。
 ……世話焼きな隣人だな。
「ま、それも悪くはない」
 腰を上げ、出掛ける準備を整える。と言っても着替えるだけだが。
 寝間着代わりの小袖を脱ぎ、狩衣へ袖を通す。
「ん、これでいいな」
 なけなしの財産を懐に収め、表の戸を開ける。
「……素晴らしいほどに快晴だ」
 反対に俺の心は厚い雲に覆われている。
 ……財政難、なのである。
 時々は隣の秋子さんに食事に誘われるので、なんとか食いつないではいるが……
 それでは男としての立つ瀬がないと言いますか、なんとも情けないと言いますか。
 手当の薄い職であるというのも問題かもしれない。
 でも、このご時世に雇ってくれそうな所なんて無さそうだしな。
 しばらくは我慢するしかない……けど、懐が寒いというのはあまり楽観できるものではないぞ。
「……どうにもならないな、こればかりは」
 大きなため息をひとつ。
「金は集まる所には集まってるんだがなぁ……」
 背中に哀愁を漂わせて表通りをとぼとぼと歩く。
「……寝足りない」
 なんだか視界がぐらぐらするような気もする。
 寝よう、今日は。
 空を見上げれば嫌になるくらい天気が良い。
 外で日向ぼっこしながら寝るのも、なかなか趣があってよろしい。
 うん、そうしよう。
「いざ、ものみの丘へ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 季節は春も終わりに近付き、徐々に日差しも強くなってきた。
 緑は一層に濃くなり、これぞ深緑という雰囲気だ。
 深呼吸すれば暖められた空気と共に微かな花の香りも混じる。
 気持が落ち着く。
 家計が火の車だということを少しの間忘れさせてくれる。
 ……少しだけ。
「……思い出したら胃が痛くなってきた」
 嫌な事は忘れて思いきり寝よう。俺はごろりと地面に横になる。
 背中に感じる、暖かく柔らかな草の感触。
 目の前には澄み渡った青空が広がっている。
 真っ白な雲が右から左へと流れる様を、なんとなしに眺める。
 りん……りん……
 風に流されてくる小さな鈴の音を聞きながら、意識は黒く塗りつぶされていく。
 かと思うと、ゆっくり浮かび上がるように目が覚めてくる。
 気持ちのいい微睡みを楽しみながら、無為に時間を過ごす。
 風が吹き、草花が揺れる。
 応えるように頭の上から、ざぁ、と木々のざわめく音がする。
 葉に遮られた木漏れ日は地面に複雑な形を描き、絶えることなくその形を変える。
 それが瞼にちらちらと映り込む。
 ――いい感じ。
 ただ眠って、何もしない時間を過ごすよりはいい。
 どれくらいそうしていたか。
 いつの間にか日も高くなり、地面に落とす影も濃くなってきた。
 上体を起こし大きく伸びをする。
 ――そして木漏れ日に奇妙な影があるのを見つけた。
「……誰だ?」
 ゆっくりと立ち上がり、木を見上げる。
 影は応えない。ざぁ、と葉が揺れるだけ。
「用がないなら俺は行くから。ひとの寝顔を見るのはあまりいい趣味とは言えないぞ」
 ぎし、と枝が軋み、影は俺の横に落ちてきた。
「…………」
 無言で立ちつくすのは、この辺りではまず見ない少女。
 金の混じった栗色のような髪。きつく結んだ口。身なりも綺麗なものだ。
 十五、六ほどの歳だろう、顔立ちも幼く、背も俺の胸あたりまでしかない。
「おまえ、人じゃないだろ。あまり目に付くところに出るなよ。町じゃ鬼狩りが始まってるからな」
 女は値踏みするような視線を俺に向ける。
「……あんたは、狩らないの。強いんでしょ?」
「残念ながら俺も狩られる方らしい。といっても当面は問題ないけどな。おまえは見た目がそれだ」
 綺麗な狐色の髪を撫でる。
「町には下りるな。いい標的になる」
 女は目を細め、されるがままにしている。
「あんたは……人に見える。狩られるのはおかしいよ」
「おまえは鼻がいいな。でも、もっと鼻がいいやつにはそうでもないらしい」
「あんたも、鬼なの?」
「さてな。自分でも人だったか鬼だったかなんて忘れたよ」
 女はいまいち納得出来ないように頷く。
「はじめは……また人間が仲間を殺しに来たのかと思った」
「ま、それも分からなくもないけど」
 安心したように大きくため息をつき、続ける。
「でも、なんか違った。今までの人とは違うかなって……思った。こいつなら大丈夫かな……って」
「……よくわからんが、そうか」
「うん……」
 女はぽつりと話し出した。
 名前は真琴。ものみの丘に古くから住む妖狐のひとり。
 妖狐は長命族の中でも特に長く生きる。見た目は子供だが実際は……なんてのが当たり前だ。
 が、真琴は見た目通りの時間しか生きていなかった。
 両親は既に亡く、兄弟もいないらしい。
 そしてその両親は……十年前に人によって殺された。
 鬼は人に在らざる者の総称だ。
 鬼という種は力も強く、人に化けることも出来る。人に負けるような種族ではない。
 しかし、それは人に対してだけであって、人という種そのものには勝つことは出来なかったのだ。
 人は次々と武器を、技を、呪を高めていった。
 それでも鬼の強さは揺らがなかったが、群れた人間にはやはり勝てなかった。
 いつしか鬼は人から逃れるように消えていった。
 森へ、海へ、空へ、大地へ、そして異界へ。
 妖狐も森へと逃れた一族だ。
 真琴は時々迷い込む人間を慰みに殺し、復讐としている。
 ……つまり俺も標的だったということか。
「でも……うん、なんか違うって思い始めてきた。こんなことしても、誰も喜ばない……」
「いや、そうでもない。復讐は果たされるべきだ」
「…………」
「まぁ、それを無関係のやつに向けるのは違うけどな。より大きな憎しみを生む」
「うん……」
「もうやめるか?」
「やめるけど……人が憎いのは変わらない……」
「だろうな」
 立ち上がり、服に付いた葉を払う。
「何かあったら呼べ。声くらい飛ばせるだろ」
「ありがと……祐一」
 真琴は俺の胸に抱き付いてくる。
「ね、結婚しない?」
「真琴がもっと美人になったらな」
「……わかった、もっともっと綺麗になる。待ってなさいよ、絶対美人だって言わせてあげるからっ」
 そう言い残し、真琴は走り去る。
 その先に広がる森が妖狐の里なのだろう。
「う〜ん、また妙な知り合いが出来たな……」
 そろそろ帰ろうかと足を踏み出して気付く。
「…………腹減ったな」
 
 
 
 
 


解説という名のあとがき

長らくお待たせ致しました(汗
鬼月、更新再開です。

褐衣<かちえ>
 身分の低い武官の服装
 舞は着やすいからとこれを着ている
……難しそうな漢字はこれくらいですか。

さて、作中でも出てきますが鬼というのは人に在らざる者の総称です。
長命族という言葉が出ましたが、これも鬼のこと。
妖怪変化その他、物の怪全般のことを鬼と言います。
で、鬼種の妖狐族といった感じに細分化されます。

平安の妖狐といえば葛の葉が有名でしょうか。
安倍晴明の母ともいわれる白い妖狐ですね。
このSSには陰陽師は出ませんが、微妙に用語を借りてたりします。
でもあくまでファンタジー。
平安時代に日本的ファンタジーの設定要素を付け加えただけですので。
モンスターが鬼です。
剣が太刀です。
魔法が呪です。
混同なさらぬように〜
というか、私自身がよくわかってない。
平安時代って難しいんですけど……

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