華音捕り物帳 巻の参



 日も傾き始めた頃。
「……くー。」
番所内にて名雪はまだ寝ていた。何故か額に米と書かれたまま。
「…うにゅ…おくらほますたんぴぃとはほぉみんぐするんだお〜。」
余りに眠り癖が酷い娘に業を煮やした、秋子の仕業であった。字が肉でないのは使い古された感があるからだろうか。その秋子はと言えば、自分が得意とする料理である熟した夏蜜柑の色をした『あん』を作るために台所に立っていた。その『あん』とは「まるで悪夢を具現化したような…いや、邪な夢の方が正しい表現かも? とにかくそんな味だなぁ」などと食した人間が感想を漏らしては、再び強制的に食する事になったりするというような代物である。材料から制作行程、何故人当たりも良く誰からも慕われるあの女性があのような代物を作るのか、全てが謎に包まれている事から何時しかそれは『謎邪夢』と呼ばれるようになったという。華音町の裏名物として、地元の者なら誰もが恐れているそれを今、寝ている自分の娘に食べさせるつもりなのだろう。
名雪、番所内にて散る。(確定)
―――ちなみに本編とは全く関係ない。

「…ん?」
「どうしたのよ?」
「いや、遥か彼方で誰かが叫んだような気がしてな。『だお〜』って。」
「………。」
 そう語る祐一は、大空に笑顔でキメる誰かの顔を見ているような、そんな眼をしていた。やはり本編とは関係ない。
「で、何の話だっけ?」
祐一が向き直った先には、香里の他に気の弱そうな娘がいる。美坂屋で小間使いとして働く花梨だ。
「ええと…店の前で水まきをしていたのですが、そんな子供は通らなかったと思います。あ、でも…。」
「ん?」
「ちょっと気になることが…けど、見間違いかも…。」
祐一はそう言ってうつむいてしまった花梨の手を取ると
「些細な事でもいい。話してくれるか?」
花梨の顔を覗き込むように、優しく微笑み掛けた。
「あっ…。」
途端に顔を真っ赤に染める花梨。祐一本人には全く自覚はないが、その微笑みは数多の女を落とす伝家の宝刀と町内で呼ばれていたりする。至近距離からまともに喰らった花梨がばっさりやられるのも無理からぬ話であった。
「…一体何を見たって言うのよ。」
これが面白くないのは香里。一見普段と変わらぬように見える。が、声が若干低くなり凄味を増していたり。それに気圧された花梨が慌てて答える。
「え、えっと…遠くの方からこっちに向かって走ってくる子供を見たんです。その子供が探している子供かどうかまでは判らなかったんですけど、水をまこうと桶に目を移してまた子供がいた方を向くと、走ってた子供がいなかったんです。その時は脇道にでも逸れたのかなって思ったんですけど…。」
「それって大体どの辺?」
「店の前から大体…四町ぐらいだったと思います。勿論、物見神社の方へ。」(一町=約109メートル)
「なるほど…ありがとうな。」
軽く花梨の頭を撫でると、彼女は再び顔を赤く染めてから自分の仕事に戻った。彼女がこの後に香里によっていびられるのは別の話である。

「はぁッ…ゆ、祐一さぁん…こんな場所でなんてぇ…。」
「じゃ、今日はありがとうな。」
「こんなことぐらいならお安い御用よ。また用があったらいつでもいらしてね。」
いまだ妄想に浸り続ける栞を鮮やかに無視した祐一は美坂屋を後にすると、花梨の言っていた子供を見た場所に足を向ける。美坂屋の前に打ち捨てられていた猫口野郎を叩き起こしてから。
「さて、と。」
四町ほど物見神社に向けて歩いたそこは、どこにでもある街の一角で両脇には建物が並んでいる。しかし建物の間は狭く、脇道どころか猫が通れるかどうかという有様だった。江戸時代の頃はこのように建物が密集していたために、一旦火事になるとその被害は極めて甚大なものとなった。火事と喧嘩は江戸の華というが、少なくとも前者は皮肉であろう事が伺える。
「子供でも脇に抜けられるようなところはありやせんね。どれかの建物の中に入ったんでしょうか?」
「いや、それにしたって「盗人だ〜!」
突然、そう離れてはいないだろう何処からか叫び声が上がる。二人は顔を見合わせると声のした方へと走り出した。
「盗人はどこだぁ!?」
「ああっ、祐一親分さん! あそこです!」
ほどなくその辺りに辿り着くと、近所にある茶屋『百花』の主人が近くの屋根を指差す。その先ににわかに登り始めた月を背に、屋根の上から祐一達を見下ろし頭巾で顔を隠して千両箱を担いだ―――少女。
「ふっふっふっ…きつね小僧、参上よぅ!」
「…ごめん、帰っていい?」
「親分、相手があからさまに馬鹿だからって職務怠慢はいけやせんぜ。」
「そこっ! 聞こえてるわよぅ!」
盗みがバレたならとっとと逃げればいいものを、屋根の上で格好良い(と本人は思っているであろう)姿勢を取りつつ決め台詞を吐いているのは、馬鹿以外の何者でもなかった。
「にしても、またねずみの偽物か?」
「らしいですね。」
義族として知られる大泥棒ねずみ小僧は大衆の人気を集めたが、その人気は同時に数限りない偽物をも生み出したという。うさぎ小僧からたぬき小僧、果てはひざ小僧なんて偽物まで現れる始末。ねずみ小僧が処刑された現在も、江戸では偶にこうした偽物が現れるのだ。
「ああ…お願いします親分さん! 早く盗人を捕まえてください!」
「ふんっ、捕まえられるもんなら捕まえてみなさい! べ〜だ!」
アホなやりとりをしてる間に、きつね小僧は舌を出すと屋根を伝って逃げだした。
「おっとそうだった。潤!」
「へい!」
潤が心持ち身体を低くして両手を前で組む。祐一が助走をつけて組み合わされた手を足場に跳ぶ。そのまま雨樋を掴むと勢いを利用し、一気に身体を屋根の上へと踊らせる。
「よっ、と。待たないと思うけど待ちやがれ!」
きつね小僧を追って祐一も屋根を伝って走り出す。それをなんとか追おうとして、普通の道を潤と百花の主人も走り出す。
「あっ、追ってきた!?」
「ふははははっ! 国家権力なめんなクソガキぃ!」
「あぅ〜! しつこい男は嫌われるのよぅ!」
「お前に好かれる為に生きてる訳じゃないわい!」
意味不明の会話をしつつもひたすら逃げて追う二人。やがてきつね小僧の足が鈍り始めた。小判は黄金で出来ている為、大きさに比べて極めて重い。それが千両ともなれば女子には文字通り荷が重い。むしろ千両もの重りを持ったまま駆け回り、屋根から屋根へと跳び移れる時点で人間離れした頑健さを誇るのだろうが、やはり限界はあるようだ。
「あぅぅ、こうなったら…!」
きつね小僧が屋根から跳び降りたかと思うと、近くの林になっている斜面を駆け上がっていく。
「うおっ、速ぇ!?」
きつね小僧は均されていない地面の方が走りやすいのか、先ほどまでと変わらぬ足で駆ける。一方の祐一は離されないので精一杯。息を切らしながら、斜面を登り切れば物見神社がある事を思い出しつつきつね小僧を追う。やがて林が開けたかと思うと、物見神社の境内へと出た。もう一度道のない斜面を行かれたら、今度は撒かれてしまうだろう。気ばかり焦っても追い付けない。
「はぁ…はぁ…くそっ…。」
「よぉしこのまま…「おやぶ〜ん!」あうっ!?」
「潤!」
その時参道の方から潤、それから少し遅れて百花の主人が駆けてくる。予想外の事にきつね小僧が進行方向を変えるが、それが勢いを殺し足を確実に鈍らせる。
「挟め!」
「へい!」
逃がさないように二人で追い込みを掛け、ついに社務所の壁際へときつね小僧を追い詰めた。
「ふぅ…さぁて、大人しくお縄を頂戴しようか。」
「あぅぅぅぅ…き、緊縛しようだなんてこの変態!」
「卑猥な言い方をするなっ。」
「あまつさえ背中が三角形の木馬に乗せられた上に、鞭で
叩こうとするに違いないのよぅ!」
「するかぁっ!」
「あ、俺ちょっとしてみたいです。」
「おめーも黙ってろ!」
猫口の顔面に裏拳を入れて黙らせ、祐一はきつね小僧へとにじり寄る。きつね小僧はと言えば、近付かれたら噛みつかんばかりに、それでも震えながら祐一達を睨らんでいる。
「一体何の騒ぎですか、祐一親分さん。」
この騒ぎに美汐が駆けつけた。といっても、社務所の中から出てきただけのようだが。
「お、美汐か。今、きつね小僧とかいう似非ねずみ小僧を捕まえようってとこだ。」
「…! あの娘が、ですか?」
「ああ…って美汐?」
美汐が何事もないかのようにきつね小僧に歩み寄っていく。
「大丈夫です。ここは私に任せてください。」
そう言いながら、ついにはきつね小僧の側に立った。
「お名前は?」
「あ、あぅ…?」
「怖がらなくても大丈夫、私はあなたを捕まえたりしませんよ。ほら、お名前は?」
「あぅ…ま、真琴…。」
「私は美汐です。」
美汐は真琴と名乗った少女を落ち着かせようと話し続ける。そして、ついには盗んだ物を返すように説得してしまった。
「祐一親分さん。これを持ち主の方に。」
「ああ。…ん?」
真琴が地面に下ろした千両箱を祐一が持ち上げると、違和感を覚えた。かなり軽いのだ。確かに何かが入ってはいるが、中に小判が詰まっているとは思えない。きつね小僧があれだけの動きができた理由は解ったが。祐一は首を捻りながら千両箱を百花の主人の前に置く。
「それじゃ、中身の確認を頼みます。」
「え?」
「盗まれた物かどうかの確認ですよ。」
「い、いや結構です。盗まれたのは目にしてますし…。」
何故だか百花の主人が目に見えてうろたえる。
「一応、そういう決まりなんで、中を改めさせてもらいますよ。」
「あ、ちょっ…」
何かあると睨んだ祐一は有無を言わせず箱を開いた。中から出てきたのは少しの小判と幾つもの袋。袋には大量の粉が詰まっている。独特の匂いが漂った。
「これは…やはり阿片か!」
粉を一舐めして祐一が叫ぶ。阿片は吸うと快楽を得られるが、常用性が強く人を堕落させ、果てには廃人になってしまう事から、幕府から禁制品に指定されている代物である。
「くっ…。」
悪事が露見し百花の主人が逃げ出した、が
「潤!」
「へい!」
あっさり取り抑えられ縄を掛けられる。
「百花に手入れをする必要があるな…。潤、とりあえずこいつ奉行所まで連れてけ。ついでに手入れの応援も頼む。」
「分かりやした。」
茶屋百花を手入れの結果、阿片が大量に見つかり、その密輸で儲けていた者達も芋蔓式に捕まって裁かれ、これらは祐一の手柄となるのは別の話である。
「さて、次はこっちか。」
「あ、あぅ…。」
きつね小僧に向き直ると、美汐が口を開く。
「祐一親分さん、この娘を赦してやってくれませんか。この娘はどうも…ものみの丘に棲む妖狐だと思うのです。」
「何?」
「この娘のした事は確かに人としては悪事かも知れません。けど、狐には人の法は通じないのでは? 結果論ですが、隠された悪事を暴けたのもこの娘がいたからこそ…お願いします、祐一親分さん。」
そう言って美汐が頭を下げる。
「なんだってそんなにその娘を庇うんだ…?」
「それは……「話したくなければ、それでいいさ。」
悲しみに歪んだ美汐の顔を見て、祐一は聞くのをやめた。
「ま、誰かが迷惑した訳じゃないしな…。」
「…ありがとうございます、祐一さん。」
「その娘の事は、お前に任せる。」
「…はい!」
かくして、物見神社に居候が住み着いたという。

 きつね小僧の一件から数日が過ぎた。百花は潰れ、そこの常連であった名雪に祐一が逆恨みされたり、秋子が祐一に形のない御褒美をあげたり、潤が香里に寸勁で吹き飛ばされたりと、様々な事があった。そして今、祐一は物見神社の社務所で美汐と茶を飲んでいる。
「真琴は元気か。」
「ええ。元気すぎて少々困るぐらいです。」
「あの体力は異常だものな。」
苦笑して、互いに茶を一口。
「ところで、何か忘れてる気がするんだが。」
「私に聞かれましても。」
「……………あれ?」
少し後、首を捻っている祐一は社務所に飛び込んできた真琴と仲良く喧嘩になり、それを美汐が宥めたりする事になる。

 そんなこんなで、今日も華音町は日本晴れ。

(終)





おまけ 何処ぞの診療所の数日前

「先生、木から落ちて7年も眠り続けていたあの娘さんが
、先ほど亡くなられました。」
「そうか…親類の方を呼んできてくれ。」



……………あれ?





あとがき

漸く完結。20万ヒット記念? 何それ?
(天声:幾らなんでも遅れ過ぎだ。もう50万近いわ。)