雪見酒  後編



 今回の件で俺が新たに知ったことがある。
 それは、『雪を溶かして出来る水の量は意外と少ないものだ』ということである。
 燗をするための湯を沸かすために雪を使ったのだが、先にも言ったように溶かして出来た水の量は意外な程に少なく、幾度も雪を補充することになったのだ。俺が雪を補充する度にかじかむ手を火鉢にかざして暖めていると、北川は荷物の中から色々な物を取り出していく。
「北川……随分と大荷物だとは思ったが、まさかそれだけの量を持ってくるとは思わなかったぞ」
 俺が思わずそう呟いてしまう程だった。
 北川が持ってきたのは、軽い食事やつまみになるようなもの以外に、一升瓶が二本。二人で呑むには多過ぎる量だ。俺は酒に弱い方ではないと思っているが、流石にこの量を呑み切る自信はない。
「残ったら残ったでいいんだよ。次の機会にでも呑めばいいんだからよ」
 笑いながらそう言い切った北川に、俺は初めて畏敬の念を抱いてしまった。


雪見酒  後編


 意外と時間はかかったが、漸く燗出来るだけの湯が涌いた。徳利に酒を満たし、その湯に浸す。人肌程度の温かさが丁度いいと聞いたことはあるが、それでもそれなりに時間はかかる。その間、俺たちは他愛もない話に興じながら時を過ごす。
 話ながら思ったのは、俺は北川のことをあまりにも知らなかったということだった。
 北川の実家が造り酒屋であり、家業を継ぐつもりだということや、北川に妹が居るということ等。そんな事実が、俺を驚愕させる。
 俺は自分を親友だと言ってくれる男のことをあまりにも知らな過ぎたということを、俺は実感せざるを得なかった。俺がそのことを口にすると、北川は笑いながらこう言った。
「オレも相沢のことを知らな過ぎたんだし、それはお互い様だ。だから、そんなことを気にするのはよそうぜ」
 事も無げにそう言った北川に、俺は笑って頷いた。確かにその通りだと思ったのだ。
 俺が北川のことをあまりにも知らなかったのと同様に、北川も俺のことを知らなかったのだ。北川と知り合ってから、そんなことを話したことがなかったのだから、当然と言えば当然だった。
 それに、俺の思い込みに過ぎないのかもしれないが、北川は言外にこう言っていたように思う。
『その程度で気まずくなるようなオレたちじゃないだろ?』
「確かにそうだよな」
 口中でそう呟きながら、俺は北川という男と出会えたことを感謝した。

 冬の陽が沈むのは早い。かまくらが出来る迄に予想以上の時間がかかったとは言え、酒が温まった頃には既に陽は沈み、晴れ渡った夜空には星が瞬いていた。
 俺たちは互いに何を話すでもなく、酒を呑んでいた。北川の用意した軽い食事を摂りながら、眼前に広がる雪景色を肴にして、互いのペースで酒杯を干していた。
 いつもの俺たちなら、他人にはくだらないとでも思われそうな話でもしていただろう。だが、こうして月明かりに照らされた白銀の世界を眺めていると、そんな気分にはなれなかった。それは北川も同じらしく、無言で酒杯を干している。
 寒いのが苦手だということと、七年前の出来事が原因で雪を嫌っていた俺だったが、眼前に広がる白銀に彩られた風景を見ているうちに、その思いが少しずつ薄れていくように思えた。寒さは別としても、雪を好きになれそうな気がした。
 俺がそんなことを考えていると、不意に北川が口を開く。
「相沢」
「何だ?」
 俺は北川に目を向けずにそう答える。多分、北川も俺を見ていないだろうと、そう思ったから。
「また今度、こうやって呑まないか?」
「そうだな」
「そうか」
「ああ」
 端的な言葉の遣り取り。ただそれだけで、俺たちは十分に満たされたように思えた。北川はどうかは知らないが、少なくとも俺は十分に満たされていた。
 賑やかな時間も好きだが、たまにはこういう静かな時間を過ごすのも悪くない。

 月明かりに照らし出された白銀の世界。
 昼とは異なる、静けさに包まれた世界。
 そんな世界を眺めながら、俺たちは酒杯を干す。
 風情がどうとかはよく分からないが、たまにはこういう時間を過ごすのも悪くはないものだと、素直にそう思えた。


Fin





おまけ


 俺が北川と雪見酒を呑んだということは誰にも言わなかった筈なのだが、いつのまにかそのことは名雪たちの知るところとなっていたらしい。
 あれから暫くして、再び雪見酒の誘いを受けてものみの丘に出向いた俺が目の当たりにしたのは、何処となく困ったような笑みを浮かべる北川と、名雪たちの姿だった。名雪たちは笑っていたが、その目だけは俺を責めるかのように笑っていなかった。
 結局、その日は前回とは異なり、賑やかな雪見酒となったことだけを述べておく。





あとがき

 御山悠樹です。
 これにて『雪見酒』は完結ですが、如何だったでしょうか。少しでも『和の心』を感じられる話に仕上がっていたでしょうか。
 今回、私がこの話を思い付いたのは、窓の外に広がる雪景色を目にしたことがきっかけでした。丁度その時、酒を呑んでいたとしうこともあり、基本コンセプトはその時点でまとまりました。
 登場人物が祐一と北川だけだったのは、こういう話の似合いそうなヒロインが思い付かなかったことと、たまには男二人でしみじみと語るのもいいかと思ったからです。

 花見酒もいいですが、こういう雪見酒というのも悪くないと思うのですが、どうでしょうか?