華音捕り物帳 巻の壱



「てぇ〜へんだ〜ッ!」
 走る。脇目も振らずにひた走る。事態は緊急を要し、何が起こったのかを伝えるのは自分の役目であるのだ。声を張り上げる事で、息が切れてきた己を鼓舞しているようにも思えるが、叫ぶ方が余計に息が切れる事には気づいていないのかも知れない。しかも、側を走った長屋から「五月蝿いよ!」という中年女の怒鳴り声と共に石が飛んできたりしているのだから、やはり御町内の皆様方には不評らしかった。走る本人は全くそれに気付いていないが。そんな感じで、曲げが妙に上を向いた猫口の男は今日も大江戸八百八町を駆けていた。

「てぇへんだ親分!」
「どうしたぁ!? ハチ!」
「祐一親分、俺の名前『潤』なんですけど……ハチって?」
「お約束だ。気にするな。」

 太平の世を貪る江戸時代。当時、世界最大規模の百万都市であった江戸は、同時に犯罪発生率も世界最大であった。『石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に悪人の 種は尽きまじ』と、小波辺り(?)で電脳遊技と化していそうな天下の大泥棒が辞世の句に残した通り、太平の世にあっても悪人が尽きる事はなかったのである。事実上の支配者であり、犯罪を取り締まらねばならない士族、武士達はその他の身分に比べれば数が圧倒的に少なく、独力での犯罪捜査を含めた取り締まりを行うのは不可能だった。
 そこで一般の町人達から有志を募り、ある程度の権限を与えて犯罪を取り締まる制度を設ける事でこれに対応した。これが岡っ引き、または十手持ちと呼ばれる者達である。

 これは、一見平和な時代に生きたとある十手持ちの汗と涙と友情の物語である。(嘘)



 ここは華音(はなね)町番所。何時ものように事件が起こり、下っ端の潤それを伝えに駆け込んできたのだ。
「で、どうした? 殺しか? 仏さんが河原にでも上がったか?」
「何でそんなにわくわくしてるんですか親分? そんなんじゃなくて盗人ですよ。」
「何だ、つまらん。」
言うなりごろんと横になる祐一。勤務態度は真面目と言えないらしい。
「つーか、それのどこが大変なんだ?」
「ただの盗人じゃありませんぜ。ついにこの華音町にも出たんですよ。あの韋駄天うぐぅ娘が!」
「何ぃ!? 韋駄天うぐぅ娘!……って誰?」
「言っただけかー!」
誰だ、こいつ十手持ちにしたのは、とは思っても口に出せずにコケる潤だった。

 韋駄天うぐぅ娘とは、最近江戸を騒がせる盗人の事である。正確には食い逃げ屋で、奇妙な事にその標的は常にたいやき屋と相場が決まっていた。特筆すべきはその逃げ足の速さにある。『娘』の名の通り、一見すると何処にでもいる童と変わらない様相をしながら、その逃げ足は正に韋駄天の如き速さ。そのあまりの速さに、物の怪の類ではないかという憶測までなされるほどである。うぐぅ娘は神出鬼没な上、屋台も縁日などにしか出ないのが災いし、ついに今日に至るまでうぐぅ娘を捕まえるには至っていなかっ
た。
「三丁目の源太が神社で普段からやってるたいやき屋があるでしょう? さっき盗られたそうですぜ。」
「源さんところの屋台か。んじゃ、出張るか。」
「あ〜、出掛けるの、祐一〜?」
「お前は何時まで寝てんだ。」
 台詞がなかったために背景と同化していたが、番所の奥から祐一の従妹である名雪が出てきた。正確には起きてきたのだが。
「はい、これ。」
「三日振りに仕事に出る従兄への手向けが火打ち石か?」
幾ら華音町には滅多に事件が起こらないからとはいえ、少々怠けすぎではなかろうか。しかし、会話からすればそれも日常茶飯事らしかった。
「魔避けのおまじないだよ〜。」
「普通、お前が打つんだろ。」
火打ち石を出掛けに打って貰う事で魔を打ち払う。行為自体は迷信であろうが、十手持ちは危険が付き纏う職業である。自分の想い人が無事であって欲しいと願えばこその儀式であった。普通、それをやるのは妻と相場が決まっているが。
「つーかお前寝てるだろ。」
「うにゅ。寝てな…く〜。」
「行くぞ、潤!」
「へい、親分!」
既に番所では何度となく繰り返された光景なのだろう。名雪の貪欲な迄の眠り癖は、二人とも全く気にしていなかった。すれば負けだ。何に対してかは推して知るべきであるが。
「あっ…駄目だよ、まだこんなに日が高いのに…あんっ、祐一ったら〜。」
 残された名雪が独り番所内で悶えていたのは別の話である。

 日は高いが未だ頂点に辿り着かず、それでももう半刻も経てば昼になるであろう。華音町は今日もよく晴れていた。
 祐一が潤を伴って番所を出ると、見知った顔が声を掛けてきた。
「あら祐一さん。お出掛けですか?」
「ええ、秋子さん。盗人が出たらしくて。」
祐一にとっては叔母であり、名雪の母の秋子である。時々こうして番所で手伝いをしている名雪を手伝いに来るのだ。
「あ、名雪の事頼みます。寝てますから。」
「うふふ…解りました。」
訂正、名雪を手伝うのではなく名雪の面倒を見に来るのだった。秋子は夫を早くに亡くし、女手ひとつで名雪を嫁に出せる年にまで育て上げたのだが、今現在もまるで二十歳の娘のような容姿を保ち、縁談の誘いが絶えないのだとか。秋子と名雪の家に居候している祐一も、何かとこの美貌の叔母には世話になる事が多い。何の世話かは敢えてここでは語らぬとしよう。いや、別に深い意味はないが。
「気を付けて行ってくださいね、祐一さん。」
「…はい!」
秋子の言葉に頷くと、祐一は駆け出した。
「親分! 神社はそっちじゃありやせんぜ!?」
そしてコケた。秋子の柔らかい微笑みに、本人も気付かぬ内に舞い上がっているらしかった。
 その後、秋子が番所内で悶える名雪を発見し、女手ひとつで育てたのは間違いだったのかと、己の人生を振り返ったのは、更に別の話である。

 物見神社。ものみの丘の側に位置する事から安直に名付けられたであろうこの神社は稲荷(狐)を祭っており、子供達が良く遊び場にしたり、町人達が憩いの場としているため、それを当て込んでたいやきの屋台を出している男が源太であった。この中年男が専ら屋台を開いているのは午前中のみ。午後は午前中に焼いた残りを売り歩いているのだとか。
「ああ、良く見りゃ人相書きの通りだった。妙な口癖までもな。」
「口癖?」
「…うぐぅ娘の名の由来ですよ、親分。」
「たいやきを渡したらあのガキ、確かに『うぐぅ』って呟きやがったぜ。」
「『うぐぅ』、ねぇ。何か意味でもあんのかな?」
「たいやき持ったままガキが逃げたんでよ、慌てて追いかけたんだが…速ぇのなんのって。参道の脇に入ったと思ったらもう見えなくなっちまったぜ。…俺も年だな。」
二十年もたいやき屋やってきて食い逃げされたのは初めてだぜ、とため息を吐く源太。
「何言ってんだ、アンタらしくもない。うぐぅ娘は必ず俺が召し捕って見せるから、心配すんな。」
「…へっ、祐の字に慰められるようじゃ、俺も焼きが回ったな。」
「どういう意味だよ。」
祐一も子供の頃から彼のたいやきを食べてきただけに、それなりの思い入れもある。うぐぅ娘をこの手で捕まえようと秘かに闘志を燃やし…たりはせず、単純に皮肉に憤るだけだった。
「さて、まずは辺りで聞き込みか…潤、行くぞ。」
「あの…祐一親分さん。」
「ん? よう、美汐か。」
 巫子装束に身を包み、唐突に話し掛けてきた娘は美汐。格好を見れば解る通り、この神社で巫子をしている娘だ。
「折り入って、二人だけで少しお話があるのですが。」
「ああ、別に構わんが。潤、先に行っててくれい。」
「へい。だけど親分、二人だけで話すなんて名雪の姐さんに知られたら…。」
「ちょっ、そ、そんな風になる話ではありません!」
「…何で名雪が関係あるんだ?」
「………。」
「………。」
潤の言葉に何を慌てたのか、頬を朱に染めながら必死に否定する美汐をよそに、祐一はその鈍感振りを遺憾なく発揮する事で、二人を心底脱力させるのだった。
 潤がやれやれとため息を吐きながら聞き込みに向かい、祐一は社務所に招かれて茶を出されていた。
「粗茶ですが。」
「ああ、おばさん臭いな。」
「何でそうなりますか。」
向き合って座り、互いに茶を一口。
「それで、その子なら私も見ました。」
「本当か?」
「嘘をついてどうなるのです。そのうぐぅ娘…ですか? 丁度、参道の掃除をしようと社務所から出た時、私もその場に居合わせましたから。」
「ただ見てたってだけなら、源さんの話だけで十分なんだがな。」
「いえ、少なくとも私はあの子から、人とは少し違うような感じを受けたのです。」
「何?」
美汐は巫子だけあって多少の霊感を持ち合わせている。実直な性格の美汐がこう言うのだから、ただ事ではない。
「って事は、本当に物の怪…?」
「いえ、あれは物の怪の感じとも違いました。強いて言うなら、幽霊のそれに近いような気がします。」
「ふぅむ、物の怪でなくて幽霊でもないとなると…一体何だそりゃ?」
「解りません…でも、何かの手掛かりになればと。」
「そっか。」
再び、互いにお茶を一口。
「ありがとな、美汐。」
「あっ…。」
祐一が座ったまま不意に美汐に近寄ると、その手が美汐の頭を優しく撫でる。美汐はたちまち頬を紅く染めてしまった。
「…子供扱い、しないでください。」
そう言いながら顔を背ける美汐は、祐一に触れられる事自体は嫌ではないのか、撫でられるままにしている。
「ふむ、美汐はおばさん扱いの方がいいのか。」
「…意地悪です、祐一さん。」
悪戯をして愉しむ子供のように祐一が微笑んでも、美汐はされるがままに顔を背けていた。男にしては細く器用そうな長めの指が髪に絡み、その感触を瞳を閉じて秘かに堪能していたが、やがて祐一の手は美汐から離れる。美汐は少し残念そうに祐一に向き直るが、祐一はそれには気付かなかった。
「そういや、何でこの話を俺にだけ? 別に潤が聞いても構わないと思うんだが。」
「………そんな気分だったんです。」
 美汐は深いため息を吐きながら思った。やはり鈍い、と。

(続)





あとがき

時代考証? 何それ?
(天声:少しは気にすれ。)
設定はほとんど適当なので、間違っていても気にしないようにね?

ちなみに殆どの登場キャラには名前だけで名字がないために、一部呼称が変わっているのも気にしないように。
(天声:つーか、こんなに適当で続き物と言う事実の方が恐ろしいぞ。)
20万ヒット企画なのに、終わる頃には30万過ぎてたりして。
(天声:洒落にならねぇ。)

追記:頬を染める巫子美汐萌えるんで、誰か挿絵を書いてアップするように。
(天声:何でそんなに偉そうなんだ。)