「そういえば」と祐一さんは思い出したように口を開く。「秋子さ
ん、昔は財布に鈴付けてましたよね」
 お肉屋さんで財布を取り出したからだろうか、祐一さんはわたし
の手元を指さしながら言う。たしかに以前は財布に鈴を付けていた。
と言うのも、わたしはしょっちゅう財布を落としてしまっていたた
め、無くさないようにと鈴を付けていたわけだ。
「ええ。落とした時にわかりやすいようにと思って」
「いまは付けなくてもいいんですか?」
「慣れましたから」
 結局、落とすものは落とすように出来ているということだった。
「あぁ……なるほど。効果なかったんですね……」
「…………」
 あの名雪をもって朴念仁と言わしめる祐一さんは、どうしてこう
いう事にだけは鋭いのだろうか。同じ家に住んでいる名雪のあから
さまなアプローチにも気付かないのは、もう鈍感を通り越して褒め
てあげたくなる。お風呂上がりにバスタオル一枚で出てきて「祐一、
どう?」「んなこといいから早く着替えろ」は日常茶飯事。何度か
は偶然を装ってバスタオルを落として「わっ……見た?」と言う名
雪にも、「あほ、手で隠すよりバスタオル拾え、風邪引くぞ」と全
く動じていない。
 ……それはともかくとして。
「そんなことありません。いい大人がそうそう――」
「あ、水瀬さん、そういえばこの間無くしたとか言ってた財布、見
つかったかい?」
 会話の流れをわかっていないお肉屋さんの奥さんが、さらりとわ
たしのセリフを真っ向から否定する言葉を吐く。なんということで
しょうか。祐一さんはくすくすと笑い、よくわかっていない奥さん
は「はい、おつり」とわたしに釣り銭を渡す。
 恥ずかしくなったわたしは早足でそこから離れる。商店街のざわ
めきまでわたしをあざ笑っているように聞こえてしまう。ええ、え
え、そうですよ。わたしはいい年してよく落とし物をしますよ。い
いじゃないですか。
 すいません秋子さん笑ってごめんなさい、と言う祐一さんを視界
から追い出して、わたしはさっさと次のお店に足を向けた。子供み
たいな拗ねかただとは思うけれど、自分の顔が真っ赤になっている
だろうというのもわかっているため、祐一さんに面と向かって「気
にしてません」と言うことすら恥ずかしい。
「いらっしゃい」「それとそれ、あとこれもお願いします」「毎
度ー」「ありがとうございます」振り返りもせず何度かそんなこと
を繰り返しているうち、だいぶ落ち着いてきた。
 ちらりと後ろを見てみる。祐一さんの姿が無い。わたしは慌てて
振り向いてあたりをきょろきょろと見回す。「ゆ、祐一さん?」と
呼んでみても返ってくるのは雑踏のざわめきだけで、祐一さんの影
すら見ることはできない。
 急にわたしの心が不安に満たされる。
 まさか嫌われてしまったのだろうか?
「う……」
 涙ぐんできた。
「秋子さん」
「わふっ!」ちょっと飛び上がった。「ゆ、祐一さん!?」
「そうですけど。どうしたんですか?」
 祐一さんは不思議そうに首をかしげる。
「う、な、なんでもないですよ」
 はぁ、と心の中でため息を吐く。全く、心臓に悪い登場の仕方を
してくれる。だけど祐一さんがそばにいるということだけで、先ほ
どまで私を覆っていた不安はきれいさっぱりと消し飛ぶ。
「あ、ちょっと手出してください」
「なんですか?」
 わたしはそう言いながら手を差し出す。祐一さんは少しだけ頬を
染めながらわたしの手を取り、その上に小さな飾りのようなものを
置いた。
「プレゼントです」
 ちりん。
 てのひらからこぼれる微かな音。
「鈴、ですか」
「です」
 こくんと祐一さんは頷く。
 わたしは鈴をてのひらで転がし、その存在を確かめるように音を
鳴らす。
 ちりん、ちりん。
 懐かしいその音色は、わたしのこころにすっと染み込んでゆく。
「……ありがとうございます。大切にしますね」
 きゅ、と両手で包むように握りしめる。じんわりとこころがあた
たかくなっていくようだ。祐一さんは照れているのかぽりぽりと頬
を掻き、あさっての方を向いて「安物ですよ」と言う。
「値段なんて関係ないんです。祐一さんからプレゼントしてくれた
ということが重要なんですから。よく言うじゃないですか。大切な
のはその気持ちなんだ、って」
「……そういうもんですか」
「そういうもんなんです」
 祐一さんは自分の価値を低く見ているかもしれないけれど、それ
は大きな間違いというもの。だから自分に寄せられる好意にも気付
かないのだろう。ただそれが、いまは少しだけありがたかった。
「さ、早く帰って夕飯の支度をしましょう。名雪も真琴もお腹をす
かせて待ってますからね」
 わたしは祐一さんの手を取り、早足で駆け出す。
「わ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ、秋子さんっ、手、手っ」
 
 ――ちりん。

 
 
 
 

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初出:2003/01/31 灰色楽園
都々々(みやこ みと)