誰かが言った。
 この道はどこへ続いているの?
 誰かが言った。
 どこへ行きたいんだい?










「秋子さん……、なんで、こんな……」
「ふふっ。いいじゃないですか」
 拒絶を含んだ祐一さんの視線は、もうわたしのこころを揺さぶり
はしなかった。それはむしろ、嗜虐心と征服欲を掻き立てる要素の
ひとつでしかない。
 たとえ負の感情であっても、わたしを見つめてくれる、この瞳。
 それはたとえようもなく愛おしかった。
「やめて下さい……。こんなの、おかしいですよ……っ」
 涙のあとが残る頬に舌を這わせると、祐一さんは苦しそうにうめ
く。滑らかさを持った頬に、ぎゅっと閉じたまぶたに、しっとりと
湿った首筋に、熱い息を吐く。
 いままでは祐一さんに触れるたび、からだの奥から滲み出す劣情
を押さえなければいけなかった。姉の子供に……実の甥に情欲をい
だくことなどあり得ないと思っていたが、しかしそれは間違いだっ
たらしい。
 血縁だとか、倫理だとか、社会通念に背く、ひとの道に外れた想
い。結局のところ祐一さんは『男』でしかない。血の繋がりがあろ
うが、家族であろうが、どこまでいっても、彼は男性なのだ。
 わたしは操に堅いという意識は持っていない。それほど魅力のあ
る男性に巡り会わなかったからこそ、夫を亡くしたいまでも娘とふ
たりで暮らしているだけだ。そのわたしのこころを揺り動かすのが
甥だというのは、なにかの皮肉だとでもいうのだろうか。
 毎日が苦痛だった。
 想い人がすぐそばにいて、それでもわたしは彼の叔母で。
 もう何年も女としてのからだを持て余してわたしは、この感情を
どうしていいかも分からなかった。
 愛して止まない彼がいる。そして若い男性が、ひとつ屋根の下で
暮らしている。わたしのからだは、もう自分ではどうしようもなく
疼いていた。
「はあ……。これが祐一さんのからだ……」
 毎夜それを思いながら自分を慰めていたことが、どれほど虚しい
行為だったのか思い知らされる。
 はだけたシャツの下に手をすべらせ、汗で冷えた祐一さんの肌を
撫でた。歯を食いしばり、耐えるように眉間にしわを寄せる祐一さ
んを見ているだけで、ぞくぞくと背筋に奔るものがある。
 ああ、なんて……。
「秋子さん、どうして……どうしてこんな……」
「どうして? 決まってるじゃないですか。こうしたいからですよ、
祐一さん? ……わたしがどんなことを考えて祐一さんを見ていた
か、わかりますか?」後ろ手に縛った祐一さんの腕を撫でて、耳元
でささやく。「祐一さんのくちびるはどんな味がするんだろう。祐
一さんをこの腕に抱けたらどれくらい気持ちいいだろう。祐一さん
がわたしの気持ちを知ったらどうな表情をするんだろう。毎日毎日、
そんなことばかり。……知ってますか? 抑圧された感情は、とき
にその衝動を別の対象に向けることがあるんです」
「なにを……」
「代償行為とでも言えばいいんでしょうか。ねえ、祐一さん、名雪
がどんな声で喘ぐか知ってます?」
 祐一さんは信じられないものを見たかのように目を見開く。
「ふふ……。初めは酔った勢いだったんですけど、最近は名雪の方
からおねだりしてくるんですよ」
「秋子さん……あなたは……っ」
 鎖骨をなぞるように舌を這わせ、わずかに引っかかっているシャ
ツのボタンを外す。男性にしておくには惜しいほどのきめ細やかな
肌は、恥辱によってか薄く朱に染まり、匂い立つような艶めかしさ
を見せていた。
 ちゅ、と祐一さんの胸に吸い付き、赤く鬱血した跡をいくつも残
す。顔を上げると、涙に潤む瞳で悲しそうにわたしを見つめる祐一
さんと目が合った。
「仕方ないじゃないですか。わたしには耐えられなかったんです。
名雪だって別にいやがってはいませんし……。それに祐一さんが望
むのであれば、名雪といっしょにしてあげますよ?」
「わからない……、秋子さん、俺にはわかりません、どうして……
どうしてなんですか……」
 ひどく扇情的に誘う祐一さんのくちびるを甘噛みして、軽く閉じ
たそこへ舌を滑り込ませる。にちにちと湿った音を立てて、わたし
は祐一さんのくちびるを味わう。
 ズボンを押し上げる強張りに手を伸ばし、撫で上げるように擦る。
びくびくとてのひらに伝わる脈動に、わたしは昂ぶる感情を抑えき
れなかった。
「いいですよね、もう、ここまで我慢したんだから……」
「や、やめ……!」
 息が荒くなっているのが自分でもはっきりとわかる。
 下腹部を覆うショーツは既にその用をなさず、片足に引っかかっ
ているだけの布きれになっていた。上着を脱ぐのももどかしく、わ
たしは祐一さんへまたがる。
「ああ……っ。ゆう、いち……さん……!」







 ぼんやりとまとまりのない思考は、徐々に焦点を結ぶ。
「最低……ですね」
 またやってしまった、と罪悪感が押し寄せてくる。
 いやらしく濡れた手を枕元のティッシュで拭い、ゴミ箱へ放り投
げる。入るかと思ったが、狙いが逸れて弾かれてしまった。
 からだがだるい……。自慰のあとはいつものことではあるが、ま
るで手足に鉛を付けたように全身が重い。
「はぁ……」
 ゴミ箱から外れたティッシュを入れ直そうと、ベッドから這い出
る。湿り気を帯びた下着が下腹部に張り付き、ひどく気持ち悪い。
「代えてきましょう……」
 床に転がったティッシュをゴミ箱へ入れ、新しいショーツを掴ん
で部屋を出る。
 もう時計は深夜を指している。いまの時間、起きている住人は誰
もいないだろう。足音を消すのすら億劫だが、祐一さんがよく眠れ
ないかもしれないと考えると、自然、床板のきしみにも注意してし
まう。
 下着をぐちゃぐちゃのまま洗濯物の中に入れるのも気が引けるた
め、とりあえず洗おうかと洗面所の近くまで来ると、そこから明か
りが漏れているのに気付いた。
 誰かいるのだろうか。可能性があるとすれば祐一さんだけなのだ
が、いまの格好で顔を合わせるのは非常にまずい。なにせTシャツ
に濡れたショーツ一枚だけという出で立ちだ。
 と、中から意外すぎる声が聞こえた。
「う〜……ねむい〜……」
 名雪だ。
 こんな時間に、なにをしているのだろう。いつもならどんなこと
をしても起きないような娘なのに。
「うあ……べちゃべちゃ……恥ずかしい……」
 ばしゃばしゃと水をかき回すような音が聞こえる。
「う〜……。ぱんつはいたまますると、こうなるんだ……」
 ……まさか、とは思ったが。
「ひとりでするのも気持ちいいけど、なんだか虚しい……」
 やはり母娘だったということだろう。
 ふと、さっきまでの妄想が脳裏をかすめる。
『代償行為とでも言えばいいんでしょうか――』
 求めるものが得られないのだとしたら……、それもまた、いいの
かもしれない。
「名雪……」
 わたしは、ぎしり、と床を踏みならす。
「うわあ! ……お、お母さん……?」
 重かったはずのからだが、やけに軽く感じた。










 誰かが言った。
 この道はどこへ続いているの?
 誰かが言った。
 行き止まりだよ。





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初出:2004/01/07 宵月亭
都々々(みやこ みと)

初心に返ってしんみり系・日常系を書いて…みようとして失敗する例


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