あなたが欲しいと、こころが悲鳴をあげる。
 痛いくらいに、切り裂かれるように、ただ求めている。
 ――どんなに願っても叶うことはないというのに。





 おいしいですね、これ。そう言った祐一さんの笑顔に、胸を刺さ
れるような痛みを覚えた。それは、深く、深く、どこまでもわたし
のこころを抉る。
「ありがとうございます」
 そう言って微笑む。たとえその笑顔の裏に、暗く、いやらしく、
濁った欲望が渦巻いていたとしても、それを隠すことなど容易い。
 だからわたしは自身を罵る。なんて汚い女。
「これもどうぞ」
「え、いいんですか? 秋子さんの分は?」
「もうおなかいっぱいですから」
 つつ、と皿を祐一さんの前に滑らせる。
「……それじゃ、いただきます」
「はい、めしあがれ」
 見る間にきれいになってゆく皿を見ながら、わたしは微笑む。愛
する人に自分の作った料理を食べてもらうことが、こんなにも幸せ
なことだったなんて……そんなことすら忘れていた。
 ――いつのころだったか。わたしが実の甥に淫らな欲望を抱いて
しまったのは。
 その想いも欲望も禁忌であるということは、なんの歯止めにもな
らなかった。ただただ祐一さんが欲しかった。
 わたしの娘、名雪もまた、祐一さんに想いを寄せている。いやら
しく澱んだ瞳で見つめていれば意識していなくても気付くだろうが、
祐一さんはまだその視線の意味を理解してはいない。
 汚らわしい娘。それでこそわたしの娘。
 わたしは祐一さんが欲しい。
 あの笑顔も。あの声も。あのからだも。ぜんぶぜんぶ、わたしの
ものにしたい。けれど、わたしがどんなに願っても手に入れること
はできない。
 甥と叔母。決して結ばれることはない。
 なぜそんなものに縛られなければいけないのだろう。
 こんなにも焦がれているのに、求めているのに。
 こころが叫ぶ。あのひとが欲しいと。
「秋子さん、どうかしました?」
 わたしを気遣う声。からだの芯がひどく疼いてしまう。
 男性にしては長いまつげ。やわらかそうなくちびる。細いくび。
祐一さんのすべてが、わたしを誘惑する。
 思わずのどが鳴る。
「いえ、なんでもありません」
 いつものように微笑む。醜い欲望を覆い隠すように。
「そうですか? ……まぁ、なにかあったら言ってください。役に
立たないかもしれませんけど、話を聞くくらいならできますから」
「はい。そのときは相談に乗ってもらいますね」
 ほんとうのわたしを知っても、そんなことを言えるだろうか。
「いつでもどうぞ」
 やさしく微笑む祐一さんを、わたしはこころの中で汚していた。





 叶わぬ想い。認められない関係。焦がれるこころ。甥と叔母。日
に日に募る苦しみ。疼くからだ。
 願えば願うだけ、想えば想うだけ、わたしのこころは祐一さんに
囚われてゆく。やわらかな鎖はわたしのこころを絡め取り、甘美な
苦痛を与えてくれる。求めるこころと抗う理性。背反する想いが、
どうしようもなく心地よい痛みを生んでくれた。
 けれど、それを感じるたび、どこかに開いた穴が大きくなる。な
にかが崩れてゆく音が聞こえる。闇がじわりじわりと忍び寄ってく
る。――壊れてしまいそうだ。
「……眠れない」
 昂るこころを鎮めるように、深く息を吸う。いやらしく湿った自
分の体臭が鼻先に香り、思わず吐き気を覚えた。
 あたまでは祐一さんのことを忘れようとしている。けれど、ここ
ろとからだは、男性としての祐一さんを――彼の肌を求めている。
どうしようもなく、渇望している。それが犯してはならない最後の
境界線だと理解しているというのに。
 これまでのわたしを築き上げてきた理性は、血の繋がった甥に想
いを寄せることが禁忌であるということも理解している。理解して
いるというのに……。
「祐一さん……」
 その名前を呟くだけで昂ってゆくこころとからだ。こんな想いを
抱いたまま過ごせば、いつか壊れてしまう。
 ――いや、もう、壊れているのだろうか。
「あたまを、冷やしてきましょう」
 冷ますべきはこころとからだだろうに、わたしにはそれを成す術
を知らない。
 ベッドから這い出し、ドアを開けて廊下へ。いまはもう深夜、こ
の家で起きているのはわたしだけ。
 静かなものだ……かちかちと時を刻む時計の音だけが、どこから
か響いてくる。わたしに忍び寄る狂気のように、正確に、かち、か
ち、かち、かち……。
「だれにも……」
 誰にも渡したくない。誰にも触れさせたくない。誰にも見せたく
ない。ただ……わたしだけのものにしたい。
 ――ふふっ。
 そんなこと、できるはずがない!




 
「おはようございます、秋子さん……」
 眠そうな祐一さんの声。ぼさぼさのあたまを掻きながらダイニン
グへ顔を出す。
 わたしはいつものように挨拶を返す。
 いつものように、汚らわしい素顔を、理想の叔母の姿で覆って。
「なんか目がさめちゃったんですよねぇ……休みだっていうのに」
 サイフォンからこぽこぽと音がこぼれ、薄黒い液体が溜まってゆ
く。それはまるで、わたしの醜く、いやらしい欲望のように。
 祐一さんに背を向け、朝食の用意をする。
「和食で構いませんか?」
「あ、はい。すいません」
 背後で椅子を引いた音。いつもの席に祐一さんは座っているのだ
ろう。目を背けていても、意識は祐一さんにしか向いていない。
 だから、祐一さんが小さくため息を吐いたのにも気付いた。
「どうかしたんですか? ……悩み事でも?」
「え? あ、いえ、なんでもありませんよ……たぶん」
「たぶん、ですか」
「ええ……」
「口は堅い方ですよ、わたしは」
 包丁でねぎを刻み、火を止めた鍋へ入れる。
「あー……まあ、秋子さんに言っても仕方ないかもしれませんけど。
少しばかり、悩んでるかもしれません」
「内容によっては、わたしも一緒に悩むことができますよ?」
「はい……」
 視線を落とすと、包丁に映り込んだ私の顔が見えた。
 ――醜い。
 なぜこんなにもいやらしく微笑むことができるのだろう。
「好きな人でも、できましたか?」
「……近い、かも」
 どくん、と心臓が跳ね上がる。
「仲の良い先輩に、好きかもしれない、って言われて。俺は全然そ
んなつもりなかったんですけど、10年も前からずっと好きだった
とか言われると……」
「…………」
「友達だと思ってたやつに告白されても、どう返事していいかわか
んないんですよ……」
 ――そう、だった。
 祐一さんの周りには、何人もの魅力的な女性がいる。わたしとは
違って……血に縛られることのない、女の人たちが、いる。
 忘れていたわけじゃない。なぜ、いままで考えなかったのだろう。
 祐一さんはいずれ恋をして、結婚する。
 ――ほかの、女の、ものに……なってしまう。
「別に付き合うのが嫌というわけじゃないんですけど……」
「……いや……」
 嫌だ……祐一さんが他の女のものになるなんて嫌だ!
 わたしだけに微笑んで欲しい。わたしだけに触れて欲しい。わた
しだけに囁いて欲しい。
 わたしだけに、わたしだけに、わたしだけに……
「秋子さん?」
 ――なんて。
 そんなことを願っても、叶うはずはない。
 願っても叶わないというのに、どうしてこんなにも祐一さんのこ
とを愛しているのだろう。叶うことのない想いをいだいて、わたし
はどうしようというのだろう?
「秋子さん、あの、どうかしました?」
 叶わないというのなら、それでもいい。
 けれど、祐一さんは……誰にも、渡したくはなかった。ほかの女
のものになるなんて、耐えられない。
 それなら、どうするというのだ。
 解決策などなにもない。
「秋子さん、大丈夫ですか? 気分悪いとか?」
 ――ああ。
 そういえば、ひとつ、あった。
「いえ、大丈夫ですよ。気分は、すごく、いいです」
 こころに絡みついていた狂気の鎖はするりと解け、じゃらじゃら
と音を立てながら、今度はわたしのからだを縛る。考えなくとも、
まるでその鎖に操られているかのように、自然にからだが動き出す。
「そうですか? ……でも、無理はしないで下さいよ」
 朝食の用意をしていた手を止めて、祐一さんに向き直る。
「はい。無理は、しません。ですから、祐一さん?」
「なんですか?」
 わたしは微笑み、
 後ろ手に持っていた包丁を振り上げた。





 ――愛しています。
 たとえ狂っていたとしても、心から、あなたのことを。

 だから、ほら、
 あなたがこんな姿になっても、わたしはあなたを愛し続けられる。

 わたしだけの、祐一さん……。


 
 
 
 
 だーるまさんがこーろんだ

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初出:2003/08/22 灰色楽園
都々々(みやこ みと)