感謝の言葉なんていらない。
 わたしは好きでやっているのだから。
 いたわりの言葉なんていらない。
 わたしはあなたの役に立てると、むしろ誇らしい気持ちだから。
 好きだなんて言われなくていい。
 だってそれは、一番求めてはいけない言葉だから。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 すでに時刻は深夜を示しているというのに、眠気はまだ彼方にあ
るらしく、目は冴えていた。ごろごろとふとんの中で転がっていて
も、ただ時計の針だけが進んでいき、なんだか時間を無駄にしてい
るような気にさせる。
 わたしはからだを起こし、ため息をひとつ吐く。なぜだろうか、
眠れそうにない。こんなときは眠くなるまで本でも読んでいればい
いのだろうけれど、あいにくといま手元に未読の本は置いていなか
った。
 どうしようかと思案していると、ふとのどの渇きを覚えた。どう
せ眠れないのだから寝酒の一杯でもやってこよう、などと思いベッ
ドから足を出す。
 部屋から出ると、リビングに明かりが灯っているのがわかった。
「消し忘れかしら……」
 訝しみながら足を進めてみると、リビングのソファで気持ちよさ
そうに眠る祐一さんがいた。照明は点けっぱなしで眠るには少々明
るすぎる環境だけれど、祐一さんはそんなことを気にもせず、すー
すーと寝息を立てている。
 そのあまりのあどけなさに思わず「可愛い」と言いかけ、慌てて
口元を押さえる。男性に対して可愛いはほめ言葉にならないだろう。
しかしそれでも、この甥の寝顔はやはり可愛いとしか言いようがな
かった。
 姉の息子で、いまはわたしの家に居候中の高校生。あの優しい微
笑みは周りの娘を魅了してやまないだろう。
 ただ、その笑顔はわたしにちくりとした痛みを与える。
 似ているのだ。
 ――いつか愛した、あのひとの笑顔に。
 しかしそれは錯覚かもしれない。なにせその愛したはずの男性の
顔すら、ぼんやりと曇りガラスを通したようで、面影すら思い出せ
ないのだから。
 あのひとはどんな顔だったろう。
 どんな風に笑ったろうか?
 ずき、とどこかが軋んだ。
「……はぁ」
 わたしがこんなにも心を乱しているというのに、その原因である
はずの少年はそんなことには構いもせず惰眠をむさぼっている。い
っそ清々しいほど寝こけている姿は、どこかわたしの心に触れる。
とりあえず寝ている甥はそのままに、わたしはキッチン向かう。
 牛乳に砂糖を入れ、レンジで温める。出来上がったホットミルク
を持って再びリビングへ。祐一さんの隣に、起こさないようにそっ
と腰を下ろす。
 静かな夜だ。
 しんと静まった世界は、まるで人がいなくなったかのように穏や
かで、唯一触れることができるのは私の隣で寝ている祐一さんだけ。
「ふふっ」
 なんだか、少しだけ幸せな気分だ。
 いまこの時間だけは、祐一さんはわたしだけの祐一さん。
 こんなことで気分がよくなるとは、なんて安い性格をしているの
だろう。自分でも呆れてしまうけれど、それでもしばらくはこのあ
たたかな感情に包まれていたかった。
 てのひらに収まるマグカップの中身がなくなってくる。このささ
やかな幸せも終わりが近い。名残おしいけれど、わたしはこの幸せ
にすがることはできない。それは、許されない想いだから。
 マグカップを片手に腰を上げ、キッチンに入る。流しに置いて蛇
口をひねると、あっという間にカップは水にあふれてしまう。
「はぁ……」
 自分はばかなことをしている、と常々思う。
 姉の息子、これはもうどうしようもないほど動かし難い事実だ。
しかしなぜわたしがこんな思いをしないといけないのだろう。久し
く沈めていた感情は、わたしを苦しめるばかりだ。
 きゅ、と蛇口をひねって水を止める。
 考えていても仕方がない。もう、寝よう。そう思いリビングに戻
ると、いつの間にか祐一さんの隣に座り込んでいた。どうやら結構
重傷のようだ。
「……祐一さん」
 わたしは腰を上げて祐一さんの前に立ち、ゆっくりと身をかがめ、
覆い被さるようにしてくちびるを重ねる。
 許されない想いだとしても、叶うことのない想いだとしても、わ
たしはそれでいい。
 ただ、もし許されるのならば、少しの間だけでいい――
「……こうしていたいと思うのは、わがままでしょうか」
 眠り続ける祐一さんの首に腕を回し、そっと抱きしめた。
 
 
 
 

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初出:2003/01/29 灰色楽園
都々々(みやこ みと)