春。
 命が芽吹く、やわらかな季節。
 ぽかぽかとあたたかな日差し、ゆるりと揺れる風、かすかに香る
草花、雨上がりの土の匂い。そしてどこまでも穏やかに流れる時は、
こころをゆっくりと包み込み、この上ない至福感とやすらぎを与え
てくれる。
 陽気に誘われてか、庭にある2本の桜の木も、見事なまでに満開。
舞い散る花びらは地面に敷き詰めたように、さながら桜色の道。
 しゃっ、しゃっ、と地面を竹箒が擦る音だけが、水瀬家に響いて
いた。
「サクラサク、て感じだな、名雪」
「んに〜?」
 廊下に座り込んだ祐一さんが桜の木を見上げて言い、名雪は眠た
そうにまぶたを閉じながら答える。
「寝てる場合じゃないぞ、名雪。この風景を見てなんの感慨もない
のか? すばらしいと思わないのか? それは日本人としてっつー
かひととして不出来だぞ」
「だいじょうぶ、わたし、さくらんぼ、たべれるから」
「……そうか。ならいいか」
 なんでやねん。びしっ。
 掃除をする手は休めず、とりあえず心の内で突っ込む。
「ああ、しっかし気持ちいい天気だなぁ……。名雪じゃないけど、
眠くなってくる」
「じゃ、ねよ」
 と名雪は祐一さんの背中に抱きつき、ぐいぐいと引っ張る。と、
なぜか箒の柄が、みぢり、と音を立てた。ずいぶん脆い箒だ。買い
換えた方がいいだろうか?
「わたしのまくらは、これー」と祐一さんの腕を取る。「うにゅに
ゅ……やっぱり、きもちーおー」
「どけってば、それ腕が痺れて痛いんだって」
 ぱきゃ。
 乾いた音を立てて、箒の柄が随分と細くなる。やはり買い換え時
のようだ。しかし、いま使える箒はこれしかない。仕方ない、我慢。
「んにぃ……ゆういちって、いいにおいがする……」
「そんなんしない。どっちかってとくさいぞ?」
「おとこのひとには、わからない感覚だと思うよー」
 はらはらと際限なく、桜は舞う。
 ええい、忌々しい。散るならいっそまとめて散ってしまえ。
 などと考えていても表情には微塵を出さず、黙々と箒を動かす。
「名雪、買い物頼みたいんだけど、大丈夫?」
「……うん、いいけど。なに買ってくる?」
「今晩のおかず。好きなものでいいわよ。お財布はいつものところ
に置いてあるから」
「わかった。それじゃ、ちょっと行ってくるねー」
 ごろごろとひとしきり祐一さんの胸に鼻を擦り付け、満足したの
か、頬をゆるませて廊下から消える。
 我が子ながら、なんてあからさまなスキンシップだろうか。
「すいません、秋子さん」
「……名雪も、相手の気持ちが少しでも分かるといいんですけどね」
 わたしは苦笑する。
 甘えるのはいいのだけれど、それでも度が過ぎればうっとうしく
感じてしまうのも無理はない。
 祐一さんに父性を求めて必要以上にべったりな名雪。たしかに、
男性として祐一さんを欲している節も多々――というか、ほぼそれ
で占められているが、それでも全てを受け止めてくれる父親という
ものにも憧れているのだろう、時折「ゆーいちおとーさあん」など
と言っている。
 微笑ましいものはあったが、先日名雪の部屋から父娘相姦系のえ
っちな本を発掘して青ざめた。そうきたか。
 しかし、そういった禁忌がより燃えさせてくれるということは、
この身を持って経験している。
「秋子さん、ここ、どうですか?」
 そう言っていじわるく微笑みながら、ぽんぽんと自分の膝を叩く。
「それじゃ、お言葉に甘えて」
「は、え? じょ、冗談ですよ、秋子さんっ」
 と、祐一さんはわたしの気持ちには全然気付いてはくれない。欲
求不満も溜まりに溜まっていつか爆発しそうだ。
 わたしのほうがはるかに(……控えめに、少しだけと訂正してお
こう)年上ということもあり、大っぴらに甘えることも許されない。
加えて祐一さんは甥。世間体やら倫理やら道徳やらと問題は多々あ
る。
 血が近いということは家族としての繋がりを示しているようなも
のだが、個人的には別なところで繋がりたいものだ。
「……祐一さん、名雪とうまくいってる?」
「はあ……まぁ、なんというか、でっかいねこに懐かれてるような
気がするんですが。うまくいってるといえば、そうなんでしょうけ
ど……」
「隠さなくてもいいですよ。名雪と付き合ってるんでしょう? あ
の子、昔から祐一さんのこと好きみたいでしたし」
「つ、付き合ってませんよぉ。名雪はいいやつですけどね、さすが
にそれはありませんってば。名雪だって、精々兄妹くらいにしか感
じてないと思いますよ?」
「そうかしら?」
「そうですよ」
 冗談きついです、と祐一さんは呟きながら寝転がる。
 思わずこっそりとガッツポーズ。
「それじゃ、香里ちゃんかしら?」
「はあ!? それこそありえませんよ。だいたい香里、レズっ気あ
りますし。多分名雪が好きなんじゃないんですか? 俺がいるとす
ごい目つきで睨まれますから」
 それは違うのでは?
「なら……栞ちゃん? それとも美汐ちゃん?」
「年下は対象外です」
「真琴も?」
「アレは問題外。じゃれてくるのはいいけど、女としては見れませ
んって」
「あゆちゃんは?」
「俺、幼女趣味、ありませんから」
 あ、忍び足で祐一さんに近づいてきていたあゆちゃんが泣きダッ
シュ。
「それなら、この前遊びに来た舞ちゃんと佐祐理ちゃん?」
「だ、か、ら、付き合ってるやつなんていませんっ」
「……そうなんですか?」
「そうなんです」
「わたしは、どうですか?」
「秋子さん? ……まぁ、好みという点からいくと、俺としては文
句のつけようもないんですけど、さすがにそれはまずいでしょうし。
あ〜、となると一番近いのは佐祐理さんか〜」
 血の繋がりがこれほど憎らしいと感じたことはない。
 それさえなければ……それさえなければ……。
「でも昔は、血を薄めないようにとか、近親婚ありだったんですよ
ね」
「そうですね……実に残念です」
 心から悔やむ。
 なぜ法律などというものに縛られなければならないのか。
 それさえ……それさえなければ……。
「はぁ……」
 おもわずため息が漏れる。
 祐一さんに寄せる想いは、どうやっても実ることはない。近親婚
の認められた時代ならいざ知らず、いまの世の中では禁忌なのだ。
第一、そんなことが姉にばれでもしたらどうなるか。
「秋子さん、悩み事ですか? 俺でよければ話くらい聞けますけど」
 悩みの大本である本人がそれを言うか、という意味を込めて睨む
が、祐一さんは気づいた様子もなく、純粋にわたしを心配するよう
なまなざしを向けてくる。
 なんだか自分がひどく汚れているような気が。
「ま、まあそんなことどうでもいいじゃないですか、祐一さん。大
したことでもありませんから、気にしないでください」
 ほほほほ、などとごまかしつつ祐一さんに背を向ける。
 きりのない庭掃除も終わりにして、一休みしよう。
「祐一さん、お茶入れますけど、何かリクエストありますか?」
「あ、それじゃコーヒーお願いします」
 
 
 
 
 
 そして今日も、なんでもない一日は過ぎてゆく。
 平和で、穏やかで、なにもないけれど、それでも幸せな一日。

 
 
 
 
 

back



名前


メッセージ

初出:2003/04/17 灰色楽園
都々々(みやこ みと)