「あら、チョコレートですか」
 世間では製菓会社の策略によりチョコレート一色。それは祐一さ
んの周囲にも、もれなく発生しているようだった。
 祐一さんはなにを悩んでいるのか、食卓であたまを抱えている。
「ええ、まぁ……」と苦笑する。「甘いものは苦手だって言ってる
んですが、だれも聞いてくれなくて」
 祐一さんの目の前にはきれいな包装紙に包まれた8つの、いかに
も『本命』という力の入ったチョコレートが並んでいる。
 バレンタインデーはたしかに女の子にとっては一大イベント、こ
の機を逃すわけにはいかないだろう。しかしごり押しはかえって逆
効果になるということも知っておいた方が良さそうなものだが、そ
うは言ってもほかの子に後れを取るわけにはいかないという心理も
あるはずだ。
 少しだけ、その気持ちは理解できる。
「捨てるわけにもいかないし、かといってこれを食べられるかと言
うと……無理なんですよねぇ……」
 はぁー、と深いため息を吐く。どうやらかなり深刻らしい。
「ふふっ。贅沢な悩み事ですね」
「まぁ、義理とはいえ、わざわざこんな高そうなチョコを買ってく
れてるわけですし、迷惑だとは言えませんよ」
 だめだ。全然分かっていない。
「……それなら、ひとつくらい増えたところで大したことはありま
せんね」
「え?」
「はい、チョコレートではありませんが、プレゼントです。受け取
って……くれますか?」
 そう言ってポケットから小さな箱を取り出し、祐一さんに差し出
す。
「……ええ。せっかくですからいただきます。あ、ちょっと待って
てください」
 祐一さんは思い出したように自室へ向かい、わたしと同じような
箱を手に戻ってきた。
「秋子さんなら知ってると思いますけど」祐一さんはてのひらの箱
をもてあそびながら言う。「バレンタインデーって、なにも女性が
男性にチョコレートを渡す日というわけじゃないんですよね」
「ええ」
「俺……名雪くらいからしか貰えないと思ってましたから、プレゼ
ントの用意もひとつだけなんです。さすがに8人全員にというわけ
にはいきませんし、秋子さんに……はい、これ」
 照れているのか、祐一さんはあさっての方を向きながらわたしに
その箱を渡す。
「……ありがとうございます。あけてもいいですか?」
「どうぞ」
 その箱はどうも見覚えのあるものだったが、開けてみてそれも当
たり前だと納得した。
「……これは……」
 と、祐一さんもわたしのプレゼントした小箱を開けて呟く。
「ええ。同じものですね。おそろいです」
 細やかな装飾の施された懐中時計。安いものではなかったが、一
目見て惚れ込んでしまった。まさか祐一さんも同じものを選んでい
たとは……。
「なんというか……まぬけですね、俺」
「ふふ……いいじゃないですか。おそろいの懐中時計なんて」
 お世辞を抜きにしても、わたしはこれ以上はないというほど嬉し
いプレゼントだった。
「大事にしますね」
「……俺も、大事にしますよ」
 わたしは壊れ物でも扱うかのように、そっと胸に抱く。時を刻む
小さな音と、わたしの鼓動が重なる。じぃん、と心があたたかく
なってゆく。
 この想いが叶わなくとも……それでも、わたしは祐一さんを……。
「……それと」すっと祐一さんのそばに寄りながら言う。「これ、
おまけです」
「え?」
 むに、と。
「…………」
「…………」
 ほほにキスをするはずが、祐一さんが振り向いてしまったために、
くちびるとくちびるがちょうどいい感じに重なって……。
「ん、んぐぐっ!」
 この際だからとわたしは祐一さんの首に手を回し、さらにくちび
るを求めて邁進する。ああ、祐一さんのくちびるが……。
 あたたかく、やわらかく、それはぞくぞくと私の背筋に快感をも
たらす。舌を伸ばせばしっとりとした祐一さんのくちびるに触れる。
 祐一さんはわたしの背中に手を回し、まるでギブアップでもしよ
うとしているかのようにせわしなくタップしている。くちびるの隙
間から漏れ聞こえる祐一さんの言葉が否定的なのは、おそらく気の
せいだろう。
 ――なんて気持ちいいのだろうか。
 くちびるを合わせるだけの行為がこれほどまでに快楽をもたらす
なんて、いままで知らなかった。
 飢えを満たすように祐一さんのくちびるを貪る。舌を伸ばし、く
ちびるを割ってねじこみ、祐一さんの歯茎をなぞるように舐める。
びりびりと舌先から快感が駆けめぐっていく。
 ああ……なぜこんなに気持ちのいいことを知らなかったのだろう。
 時が経つことすら忘れ、わたしは祐一さんにしがみついていた。
 ――ふと気が付くと、
 ぐんにゃりと脱力した祐一さんがわたしの腕の中にいた。
「きゃーー! 祐一さーーん!!」
 
 
 
 
 
 今年のバレンタインデー。
 収穫その1。おそろいの懐中時計。
 収穫その2。無理矢理甥のくちびるを奪い、酸欠状態に。



 
 
 
 

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初出:2003/02/14 灰色楽園
都々々(みやこ みと)