あなたはいま幸せ?
 そう聞かれたら、迷うことなく答えることができる。

 辛いっす。
 
 
 
 
 
 毎日毎日、人目もはばからず祐一さんに言い寄る少女たち。
 別にそれが悪いというわけではない。
 想いを寄せる女性が自分一人ならば、そう焦る必要もないだろう
が、この少女たちは違う。みんながみんなただ一人の男性に想いを
寄せ、ほかに負けじとあらゆる手を尽くして気を引こうと懸命だ。
さすがに色仕掛けは無いものの、だんだんと彼女たちが積極的にな
ってきているのは事実。
 ついこの間祐一さんが愚痴をこぼしていた。
 なんか最近、あいつらの俺を見る目が、怖い、と。
 少し涙目な祐一さんに思わずぐっとくるものを堪えながら、わた
しはよしよしとあたまをなでた。
「仕方ありません。祐一さんは、それくらい魅力的な男性なんです
から。それもまた天命とあきらめましょう」
「天命って……」祐一さんはいじけたように呟く。「女難の相って
いうことですか?」
「……たしかに祐一さん、女難ではありますけど」
「それに、魅力的とか……俺、全然ふつうですよ。かっこよくもな
いし」
「見た目なんて副次的なものですよ。あの子たちは、祐一さんのこ
ころに惹かれているんです。そうなると、その子から見れば、祐一
さんはほかのどんな男性よりも魅力的に見えてくるんですよ」
「……はぁ」
 とまぁ、そんなことを話していた。
 さて、実際のところ、この問題は祐一さんには対処しきれないの
ではないだろうか、とも思う。
 祐一さんは優しすぎるのだ。
 誰かを選び、そしてそれによって他の誰かが傷付くことに耐えら
れないのだろう。もちろん、本人はそのことを自覚していないだろ
うし、だからこそ祐一さんは優しいのだ。
 助けを求められれば手を差し出す、求められなくとも自身を顧み
ずになんとかしようとする。それが女の子たちの琴線に触れまくっ
ていらぬ修羅場を作り出しているのだが、たぶん祐一さんはそれに
気付いていない。
 そんな女の子たちの攻防戦に神経を削られているのか、ここ最近
の祐一さんはずいぶんと疲れた表情をしている。取り巻きの彼女た
ちは、祐一さんがこんな状態になっても、相変わらずにらみ合いを
続けているようだ。
 いい加減そんな状況がいやになったのか、祐一さんはよくわたし
のところに逃げてくるようになった。わたしの近くにいる分には、
なぜか彼女たちが側に寄ってこなくなるのも不可解といえば不可解
だが、そのおかげで祐一さんを独占できるのだから、感謝してもし
きれないというもの。
 そして今日も今日とて、祐一さんはわたしとお話をしながら家事
をしている。このごろは料理にまでその手を広げているが、これが
またなかなかの上達ぶり。教える方としてもやりがいがある。
「しょうゆにみりん……これ、計らないで入れていいんですか?」
「はい。これくらいかな、という感じで入れてください」
「……そんなにアバウトで大丈夫なんすか」
「大丈夫なんです。教科書通りに作ってても、それじゃおいしい料
理はできませんよ、祐一さん」
「あい、了解」
 どぽ。
「あ゛」
「え?」
 
 
 
 
 
 リビングのソファに座り、テレビをつけたままぼーっと過ごす。
 祐一さんがほほえんでくれる。わたしはそれだけでこの上もなく
幸せな気分にひたれる。実に安上がりだ。
 ただ、そんな状況が何日も、何週間も続くとなると、これは少々
由々しき事である。
 なぜかと問われればこう答えるだろう。
 理性が持ちません、と。
 無防備な祐一さんの笑顔に何度むらっときたことか。
 しかしそこはそれ、実の甥という間柄を叩き付けて抑えているの
だけれど、いつまで保つことやら。
 初めのうちこそ祐一さんに甘えられること、祐一さんを独占でき
ることを喜んでいたわたしだったが、これでは神経性胃炎にでもな
りそうだ。
 餌が目の前にあるのに、それはあからさまに罠。しかしこのまま
では飢え死にするだろうし、なにより餌が極上。食べたい、でもそ
れはできない。それでもやっぱり食べたい……。
 いまのわたしはそんな状態。
 率直に言って、辛い。
 生殺しってこういうことなのかなあ、などとふと思う。
「秋子さんって、昼の連ドラ見るんですね」
「っ!」
 急に声をかけられて思わず肩をすくめる。
「なんかこの時間帯のドラマって、やけに生っぽいというか……。
おもしろいですか?」
「い、いえ、テレビをつけたらたまたまこの番組だったんですよ。
この時間にテレビって見ないんですけど、なんだか手持ちぶさただ
ったので……」
「あ、俺が手伝ってるから早く終わっちゃうんですか」
「そういうことです」
 祐一さんは「コーヒーですけど」と言ってマグカップをわたしに
手渡し、ソファに腰を下ろす。
 他に空いている場所があるにもかかわらず、祐一さんは私のすぐ
隣に座り、ずず、とコーヒーをすする。
 少し動けばからだが触れそうな距離。
 祐一さんはわたしのことを安牌だと安心しているのだろうか?
 例の彼女たちよりもどろどろしたものを抱えているというのに、
祐一さんは警戒することもなく、わたしにこころを許している。
「はー……癒される……」
 と言いながら背もたれに寄りかかる。ぎ、と鳴ったスプリングが、
まるでベッドの軋みのように聞こえ、ばっくばっくと心臓が早鐘を
打ち鳴らす。
 ちなみにあたまの中でベッドに押し倒していたのはわたし。祐一
さんはわたしに組み敷かれてほほを染めていた。
 じゃなくて。
 そうじゃなくて。
「ゆ、祐一さん?」
「やっぱ秋子さんといるとすごいこころが休まりますよ……。あい
つら、なんていうか……アンチ癒し系? 神経すり減らして遊ぶよ
り、秋子さんの手伝いしてたほうがなんぼもマシですね」
 がっちがちに緊張しているからだをなんとか制御しつつ、マグカ
ップを傾ける。おお、手が震える。
 落ち着け。落ち着きなさい、水瀬秋子。
 ただ祐一さんが隣にいるだけ。
 そう、それだけのこと。それだけのこと。
「すーはーすーはー」
 平常心平常心……。
「それにしてもあれですね、秋子さん。最近妙に若々しく……とい
うか、さり気なく気合いの入った服着てますよね。どこか出かけて
ましたっけ?」
 心拍数が一気にレッドゾーンを振り切る。
「そそそんなことないと思いますよ?」
「……そうですか? それじゃ俺の気のせいかな。でも、うーん…
…ここに来たときより可愛くなってるような……」
 か、可愛く?
 ほほほんとですか?
「あ、すいません。年上の女性に可愛いはないですよね」
「い、いえ……」
 可愛い……。
 祐一さんに可愛いって、可愛いって。
「しっかし、この時間帯って面白いテレビやってませんね」
 祐一さんはぽちぽちとチャンネルを変え、気に入った番組がなか
ったのか諦めたように電源を落とす。
「寝よう」
「……お昼寝ですか」
「お昼寝です。あ、何か用事あったら起こしてください」
 そういって背もたれにからだを預け、目を閉じる。よほど精神的
に疲れていたのか、いくらもしないうちに静かな寝息を立てる祐一
さん。
 わたしは大きくため息をつく。
「胃に穴あきそう……」
 なんだってこんな思いをしなければいけないのだろう。
 ……まぁ、その大部分は自業自得と言えなくもない。けれど、さ
すがにこんな状況になるとは思いもしなかった。
 たしかに、好きになってはいけないひとに想いを寄せている。で
もわたしは遠くで見ているだけでよかった。決して手の届かない存
在なのだ。だから祐一さんの幸せを願うことがわたしにできること
であり、祐一さんの幸せがわたしの幸せだった。
 ……そのはずだった。
 だというのに、どこをどう間違ったのか、祐一さんは8人もの女
性に言い寄られ、その結果わたしのところに入り浸りである。
 触れてはいけない存在。それが、すぐそこにある。安心しきった
寝顔を無防備にさらし、どうぞお好きにしてくださいと言わんばか
りに。
「……はふぅ」
 ため息もいやに熱を帯びて、高まってゆく衝動がわたしのこころ
を揺さぶる。
 それは淫靡な悪魔のささやき。
「……だめ。絶対、そんなことは、だめ」
 じりじりと祐一さんと距離を取る。
 やはり祐一さんといると理性が危ない。なにか特殊なフェロモン
でも放出しているんじゃないかと疑いたくなる。
 ソファの端まで移動して、息をつく。しかしそれでも大して離れ
てはいなかった。
「はぁ……」
 と、立ち上がろうとしたとき、祐一さんのからだが揺れた。
「わ、わ……」
 ぽて、とわたしの肩にあたまが乗る。
 しかし祐一さんはそれでは止まらず、わたしの胸の先をかすめて
腿の上に転がる。鼻血出そう。
 本人が起きていないからいいようなものの、目を覚ましていたら
わたしの方が危険だった。
「ふぅ……」
 祐一さんの寝顔は、まるで母に抱かれて眠る幼子のようであり、
どこかこころがあたたかくなるものがある。
 ピンク色の衝動はなんとか収まり、もうしばらくは顔を出さない
だろう。
「ふふ……祐一さんの方が可愛いですよ」
 少しばかり余裕ができて、そんなことを口にする。
 わたしはやはり、祐一さんが好きだ。
 でも、わたしの役目は、見守ること。
 それだけで満足できるかとなれば、否。
 わたしだって女なのだ。けれどその前に母親という役目もある。
 ――しかし、まぁ。
 さしあたってはこの状況をよく味わっておこうと思う。
 
 
 
 
 
 あなたはいま幸せ?
 もう一度聞かれたら、少々迷うけれど、こう答えるだろう。

 んん、まぁ、それでも結構幸せかもしれない。


 
 
 
 
 

back



名前


メッセージ

初出:2003/04/20 灰色楽園
都々々(みやこ みと)