天蓋都市・水無瀬。
 都市の冠する名の通り、水の無くなった瀬のほとりにその国はある。
 天蓋都市というのは、見上げるほどの壁で円を築き、それに半球型の遮断結界をかぶせ、いくつかの<灯火>により光を与えられた超巨大建造物の総称だ。
 暗黒と極寒の地、この世界に人の住める場所はない。この天蓋都市によって、ようやくまともな環境を手に入れることができたほどだ。
 <灯火>は失われた太陽の代用品。僅かながらの光と熱を生んでくれる。それは千年もの昔に作り上げられた、先人達の知恵と希望。現在もその技を継ぐ魔術技師たちにより維持されている。<灯火>はその性質上、消すことができない。太陽の代わりなのだが、その暖かさがなければここに人は住めないのだ。天蓋都市に夜はない。
 整った街並みは、それが比較的新しい天蓋都市であることを示している。新しいとは言って数百年前のものではあるが、地面はよく整地され、煉瓦や玉石を敷き詰めたところも多い。建築物は統一された様式により、整然とした景観を作り出している。初期の――千年前に作られた天蓋都市は、増築に増築を重ね、それはもう見事のまでの混沌を築き上げていた。
 東西を分ける目抜き通りはいつものように活気に溢れ、そこかしこから威勢のいいかけ声が聞こえる。その大通りから横道に入り、少し歩いたところに一軒の酒場がある。
 店の名前は『白い兎亭』。この国では知る人ぞ知る、という店だ。
 遮蔽結界があるといっても、それは万能ではない。常に降り続ける雪、土すら凍り付く寒さは、結界をも突き抜けてくる。灯火の陽光が届かない区域は、冷蔵室いらずだ。
 だから大人も子供も関係なく、酒類によりからだを温める。そして『白い兎亭』は、繁盛しているというわけではないが、洒落た店の造りとうまい酒、思わず唸ってしまう小料理でそこそこ知れた店だった。もちろん酒は全て店主のオリジナル。
 そしてこの酒場、ときたま長期間閉店して店主が行方不明になることでも知られていた。お得意さんは「ああまたどっかいったのか」と言って店主が帰ってくるのをまだかまだかと待ち続けるのだから、なかなかに人望も厚い。その間店主がこの国にいないのは、よく店に来る客なら誰でも知っていることだった。
 こんな世の中だ、天蓋都市の外――つまり国外に出るのにも、厳しい審査がある。国には、そこに住むひとを守る義務があるのだ、それをほいほいと死の地へ出すわけにもいかなかった。そして作られたのが特殊審査機関、通称『ギルド』である。ギルドは既に世界共通――なにしろ天蓋都市の始まりから創設された機関だ。そこから発行される許可証がなければ、天蓋都市の外へとは出ることができない。
 ギルドは許可証発行の他、職業斡旋、業務代行依頼、各種技師の育成、魔術書の管理他、多種多様である。
 『白い兎亭』の店主がなぜ国外へと行くのか、誰も知らない。
 というよりも、誰も聞かなかったと言う方が正しいのだが。
「それじゃ、またね〜」
「はい、お気を付けて」
 くだんの『白い兎亭』のドアが開き、ひとりの女性と少年が現われる。
「さて、今日はもう閉めるか」
 そう呟いて、ドアに掛かっている木の板を裏返す。表面には『閉店』と書いてあるが、やけに達筆である。
 年若いこの少年、名前は相沢祐一という。
 そして『白い兎亭』を経営し、時々行方不明になる店主というのが、この少年だ。歳は17ほどだろう、まだ幼い顔つきに、やや華奢とも感じる細身のからだ。頼り無さげに見られがちだが、これでも一国一城の主。今は亡き両親より受け継いだ『白い兎亭』をひとりで切り盛りしているのだ。加えてギルドの仲介所でもあるのだから、文武共々それなりに腕は立つ。
「あら、もう閉店なの?」
 祐一が表に置いてあった看板を中にいれようとしたとき、後から声を掛けられる。緩やかに波打った髪を背中まで伸ばした少女――美坂香里。彼女もこの『白い兎亭』の常連であり、祐一とは同じ年頃の親しい友人でもあった。
「ん、香里か。いま閉めようかと思ってたけど……なんか飲んでくか?」
「……いいの?」
「ああ。客に酒出すのが商売なんだし」
「それもそうだけど……」
 なにを気にしているのか、香里は髪の毛を一房いじりながら言い渋る。
「それじゃ、閉めるぞ?」
「あ、ちょ、ちょっと待ちなさいよっ。……それじゃ、少しだけお邪魔するわ」
「はいはい。どーぞお客様、お席へご案内いたします」
「むっ。なんかむかつくわね」
 かろん、とドアベルを鳴らして祐一は店内へと戻る。
 香里もそれに続こうとドアに手を掛けると、ノブにぶら下がった木の板が目に入る。そこに書かれた文字に視線が釘付けになり、しばし硬直。そしておもむろに「よし」と呟き、店内へと足を進めた。
 香里がなにを見ていたかといえば、なんの変哲もない、閉店を示す板。
 これで店内貸し切り状態、でもって密室に二人きり、などと考えていたのかは香里のみ知るところであったりする。





うむ。見事に説明くさい文章だ。