きぃ、とドアが軋む音をたてる 
 少し遅れて廊下の冷えた空気が部屋の中に流れ込んできた 
 暦の上では冬も終わりとはいえ、この地域はまだ春には遠いらしい 
 
 こんな時間に起きるなんて私にしては珍しいかしら…… 
 私は音をたてないようにそっとドアを閉める 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
月に叢雲、花に風 
     〜わたしに捧げる鎮魂歌〜 

断章ノ一 - reckless driving - 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 キッチンへと足を進めながら先程見ていた夢を思い返す 
 昔の夢を見るのは久し振りだった 
 もう何年も見ることは無かった夢 
 完全に吹っ切れていたと思っていた 
 けれど、そうでもなかったらしい 
 やっぱりまだ引きずっているのだろうか…… 
 
 
 夫のこと 
 
 
 死んでしまったあなたの夢…… 
 なぜ今頃になってあのひとの夢を見るのか 
 久し振りに見たあのひとは、生きていた頃とどこも変わらずに優しく微笑んでいた 
  
 
 
 夢なんだから当たり前だろっ 
 と、だれもいない廊下で自分に突っ込でみる 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ………… 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 やっぱり、こういったことは祐一さんの領分かしら…… 
 いまいち要領が分かりませんね 
 
 祐一さん…… 
 7年ぶりにこの街に来た姉さんの息子 
 彼が来てからほんとうに色々なことがあった 
 まぁ私は料理がおいしいと言ってくれる人が増えたのが一番嬉しかったり 
 
 どうですか、祐一さん? 
 ええ、とってもおいしいですよ、秋子さん 
 
 微笑み 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ………… 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 最高でしょ? 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ………… 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 こほん 
 なにを言っているんでしょうね、私は 
 
 こんな料理なら毎日でも食べたいですね 
 あら、毎日だなんてプロポーズかしら? 
 それなら私も食べてみま―― 
 
 あぁっ 
 思考が暴走をっ 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 こんなときは、こんなときは―― 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そう、あの人のことを考えましょうっ 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 あなたの広い背中 
 私はとても好きだった 
 私の全てを受け止めてくれるその背中 
 今はもう、そのぬくもりを感じることは出来ないけれど 
 
 あなたの優しい微笑み 
 私はとても好きだった 
 私の全てを赦してくれるその微笑み 
 今はもう、その笑顔すら見ることは出来ないけれど 
 
 あなたの大きな手 
 私はとても好きだった 
 私の全てを優しく撫でてくれるその手 
 今はもう、その安らぎを感じることは出来ないけれど 
 
 私の愛したあなた 
 
 私を愛したあなた 
 
 今はもう、あなたはいない 
 この世界の何処を探しても 
 
 私の愛しいあなた…… 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ………… 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 どうしてっ 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 どうして死んでしまったのっ 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 う……うぅ…… 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 あなた…… 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 どうして 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 どうして―― 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ――どうしてこんなにブルー入ってるんでしょう…… 
 思考の暴走を抑えるためのはずなのに…… 
 
 
 
 
  
 でも、もう少しあなたのことを考えていたい 
 今はそんな気分だから…… 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そういえばあなたはいつかこんなことを言ってましたね 
 
 ひとはだれでもいつかは死ぬんだ 
 早いか遅いかの違いがあるだけだ、そうだろう? 
 俺が死ぬのは50年後かもしれない 
 もしかしたら40越える前に死ぬかもしれない 
 明日死ぬことになってしまうかもしれない 
 本当に、死なんてのは何処にでもころがってるんだ 
 だからな、秋子 
 もし…… 
 もし俺が死んだら、俺のことは忘れてくれ 
 新しいやつを見つけて、幸せになれ 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 了承 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ………… 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ………… 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ………… 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ………… 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そんなこと言わないで、私にはあなたしかいないわ 
 とか言わないのか……? 
 
 あら、せっかくの申し出ですもの断るのも申し訳無いし 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 …… 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 冗談よ、私はあなたしか考えられないわ。あなたは? 
 私が死んだらさっさと鞍替えかしら? 
 
 そんなわけ無いだろ、おまえと同じだよ 
 俺も秋子以外は考えられないな 
 でも、俺が死んだ後でも幸せになることはためらうなよ 
 俺の所為でおまえが不幸になったら、安心して成仏も出来ないからな 
 
 あなた…… 
 
 秋子…… 
 
 そっと寄り添う私達 
 肩に感じるあなたの温もり 
 この幸せは本当のことなんだと、そのときはっきりとわかった 
 
 あなたはどう? 
 今、幸せかしら 
 ねぇ、あなたあなたは今幸せ? 
 
 ん? 俺ですか? 
 そうですね、秋子さんと同じくらいは幸せですよ 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 なぜっ 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 なんで 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 なぜここにっ 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 なんで出てくるんですかっ 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 どうして祐一さんがっ 
 わたしのあたまっ 
 ちがうでしょっ 
 
 もっと幸せな気持ちにしてあげましょうか? 
 
 あぁっ 
 まだ続いてるしっ 
 また思考が暴走っ 
 
 ほら、こっちですよ、秋子さん 
 
 だめっ 
 ていうかもう鎮めるネタ無いからっ 
 あぁ……名雪…… 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ……名雪? 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 これですっ 
 名雪を使えば押さえられるはずですっ 
 
 秋子さんって……可愛いですよね…… 
 
 ああああああっ 
 名雪っ名雪っ名雪〜〜 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ………… 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ………… 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 名雪が中学生の頃 
 夜、名雪が起きているはずの無い時間に私に話し掛けてきた 
 
 名雪、どうしたの? 
 
 あ……あのね、お母さん…… 
 
 どうしたの? 
 
 え……えっと……あの……ね 
 
 ん? 
 
 …………こと………… 
 
 聞こえないわよ? もう少し大きな声で言ってみて? 
 
 わ、わたし……お母さんのこと……考えてるだけで濡れちゃ―― 
 
 いきなりですかっ 
 前置きなしですかっ 
 ていうか私のあたまっ 
 暴走がっ 
 
 秋子さん…… 
 
 あぁっ 
 そういえばこっちもいましたっ 
 
 ほら…… 
 
 ぁ…… 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 カラカラカラ 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ジャ――― 
  
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ふぅ 
 結局ひとりで戯れてしまいました…… 
 しかも祐一さんをネタに 
 
 顔向け出来ません…… 
 ごめんなさいあなた 
 あなたに祐一さんを重ねてしてしまいました…… 
 
 いえ…… 
 
 もしかしたら祐一さんにあなたの影を見ていたのかもしれませんね…… 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 でも近親相姦というのも背徳的でそそら―― 
 破ぁっ 
 
 ふぅ…… 
 
 あぶないですね 
 これ以上無駄なことしているとまた暴走しそうです 
 
 えぇと…… 
 
 そうです、喉が乾いたんでなにか飲もうとしていたんでしたね 
 では迅速に任務を遂行しましょう 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 キッチンに入ろうとすると微かに明かりが洩れています 
 あれは……ろうそくの明かりのようです 
 だれでしょう……といっても、この家で今起きてるとしたら真琴か祐一さんくらいでしょう 
 真琴は明かりはつけないから、祐一さんでしょうか? 
 
 そっと覗いて見ると、やっぱり祐一さんです 
 
 ……さっきのことが思い出されます…… 
 本人がいるその近くでしていたんですね…… 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 でもそれはそれで燃え―― 
 破ぁっ 
 
 あぶないです 
 ここで暴走は出来ません 
 取り敢えず、深呼吸 
 
 気を落ち着かせて…… 
 
 はい、いつもの私ですね 
 さて、祐一さんは何をしているのでしょう? 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ………… 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 テーブルに一本、妙に高そうなウィスキーのボトル…… 
 祐一さんの手には琥珀色の液体の入ったグラス…… 
 
 飲んでますね 
 しかも様になってます 
 じゃなくて 
 
 
 
 
 
 
 注意しないといけませんよね、保護者としては 
 
 
 
 
 
 
 さっきのことは忘れて―― 
 
 
 
 
 
 
 では、いざ厳重に注意っ 
 
 
 
 
 
 
 

あとがき 
 
断章は本編からはずれてしまったものを「断章」としています 
秋子さん壊れまくりだし、どうしようもないから…… 
シリアス一本のはずだったんだけどな……これ 
それに実は一章よりもこちらの方が速く書き上がってたんだけど内容がギャグだし……何故だ? 
何でギャグになっていったのか自分でも余りよく分からない………… 
その内全文リライトかけてシリアスに持ち込むかな…… 
 

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