お姉ちゃん ほらこれ 見てよ
 お姉ちゃん どうしたの?
 お姉ちゃん それなに?
 そうだ お姉ちゃん
 なに? お姉ちゃん
 ねぇ お姉ちゃん
 お姉ちゃん
 お姉ちゃん
 
 ――お姉ちゃん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
月に叢雲、花に風 
     〜わたしに捧げる鎮魂歌〜 

八章 - or the end - 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 じっとりと、背中にいやな汗をかいている。
 呼吸は荒く、ゼイゼイとうるさい。
 部屋の中は暗く、光の一筋すら差していない。
 カーテンの隙間から見える景色は、黒と蒼の世界。
 まだ夜は明けていない。
 体を起こし、くしゃくしゃと髪をかき上げる。
 ……祐一。
 どうして、今頃になってこんな夢を見てしまうんだろう。
 祐一がいなくなってから、夢なんて見なくなったのに。
 いや、見ていなくはないか……
 黒一色に塗りつぶされた闇。
 それを夢と言えるのなら、そうなんだろう。
 長い長い夢。
 いつ終わるとも知れない、長い、夢。
 それがわたしの毎夜見ている夢だ。
 風景が見えるわけでもない、ひとが出てくるわけでもない、ただ闇が広がるばかり。
 悪夢にうなされないだけ、闇の夢を見ている方がいい。
 夢の中だけでも、祐一に会いたいとは思わない。
 それが夢と気付いた時に、心が抉られるほどに悲しくなるから。
 そう、今の、この感情。
 こうなることを、恐れていたんだと思う。
 悲しい、虚しい、寂しい……会いたい。
 どうして、どうして?
 なんでこんな夢を見せるの?
 わたし、壊れちゃうよ……
 会いたいよ……
 また一緒に遊びたいよ、祐一……
 もう、いやだよ……
 顔を覆っていた手が濡れている。
 もう泣かないって、約束したのに。
 7年、8年、9年……心が遡っていく。
 祐一……祐一……
 今は思い出したくないのに、思い出したく、ないのに。
 楽しかった頃ばかりが、脳裏を駆けめぐる。
 二人だけの勉強会。
 真っ白な百合の花束。
 綺麗な青く透き通った石。
 柔らかいあなたの髪。
 思い出したくない、止まらない、いやだ、溢れ出す、とめて、こんなの――
 どうして今更?
 どうして今になって、こんなことを?
 思い出したくない。
 こわれちゃう。
 今の世界がうそになる。
 わたしは、幸せになるって。
 しあわせになるって。
 わたしのねがいごと。
 ゆういち。
 おもいだしちゃったら、いまが、しあわせだなんて、おもえないよ。
  
 びしり
 
 どこかでそんな音が聞こえた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ベッドの上に座り込み、耳を押さえるように頭を抱えていた。
 どれくらいこうしていたんだろう。
 空は白みはじめ、どこからか鳥の鳴く声も聞こえる。
 カーテンの隙間からこぼれる朝日が床に複雑な影を描いている。
 ……朝。
 夜が、終わった。
 ずっと同じ姿勢でいたせいか、体がギシギシと軋んでいるようだ。
 耳から手を剥がし、だらりと投げる。
 ……まだ、壊れてない。
 軋む体を動かしてベッドから立ち上がり、カーテンを開ける。
 きつい夏の朝日に目を細める。
 雲ひとつ無い、いい天気。
 窓を開け、外の空気を思いきり肺に吸い込む。
「まだ、壊れてない……」
 呟き、目を閉じた。
 気持ちを入れ替えるように、もう一度深呼吸。
「……さて、一日の始まりかな」
 クロゼットから適当な服を取り出し、ベッドに放った。
 寝巻きを脱ぎ捨て、胸を隠すためのサポーターをきつく締める。
 これのおかげであまり派手な運動は出来なくなった。
 胸をぎゅうぎゅうに締め付けるから、浅い呼吸しか出来ない。
 と言っても、それにももう慣れたけど。
 胸が平らになったのを確認して、だぶだぶのTシャツを着る。
 一応鏡で確認。
 ……問題なし。
 丈の長いハーフパンツに足を通して、最終確認。
 つるつるの脛が男っぽくないけど、まぁ、許容範囲内。
 時計に目をやると、まだ7時にもなっていない。
 秋子さんは起きてるだろうから、話でもして暇潰そうか……
 とりあえずわたしは部屋を出た。
 
 そろそろ夏も本格的になりつつある。
 家の中だとあまりそうは感じないけど、外に出れば湿り気たっぷりの生温いそよ風が吹いている。
 ぺたぺたと、ひんやりした廊下を歩く。
 フローリングの床はこういう時ありがたいと思う。
 足音を立てないように階段を下り、リビングへ。
「あら、早いですね」
「あ、おはようございます、秋子さん」
 秋子さんは洗濯物の入った大きなカゴを担ぎ、廊下に面した窓から外に出ようとしていた。
「手伝いましょうか?」
「いえ、構いませんよ。いつもしていることですから」
「たまにはゆっくりしてみたいと思いません? わたしがやりますよ」
「……そうですね。それじゃあ、おねがいします」
 カゴを受け取り、窓の下に置いてあったサンダルをつっかける。
 外に出るとその眩しさに思わず目を瞑る。
 まだ朝だというのに、この日の照りようはなんだろね。
 物干し竿の傍にカゴを置き、うん、と背伸びをした。
 体の至る所からばきばきと骨の鳴る音が聞こえる。
「なまってるなぁ」
 カゴから洗濯物を取り、ぱんぱんと皺を伸ばしてから竿に掛ける。
 シーツやバスタオルなどは端を洗濯ばさみで止め、風に流されないようにしておく。
「お〜お〜、シルエットシルエット」
 大きなシーツに出来るわたし自身の影。
 相沢祐一の、影。
 右手をピコピコと動かせば律儀に影もピコピコ動く。
 なんか、こういうシチュエーションとか、なかったっけ?
 シーツで遮られたその向こうで着替えるのとか。
 実はシルエットがばっちり映って、男の子ウッハウハ。
 ……ありきたりかな。
 カゴの中を見ると、もうそろそろ終わりだ。
 取り出した物を広げ、皺を伸ばす。
 
 …………
 
 う〜ん、小さい。
 こんなの、履けるのか?
 それにしても秋子さん。
 こんなえっちくさいぱんつはいてるんですね。
 あまり詳しく描写すると変な気持ちになってきそうなので、パス。
 結構伸びるんだな、と思った。手触りもいいし。
 空になったカゴを廊下に置き、その隣に腰を下ろす。
 
 りん――ちりん
 
 頭の上から澄んだ綺麗な音がする。
 見上げれば、風鈴が風に揺られ、垂れた短冊がくるくると回っている。
「綺麗な音でしょう?」
 秋子さんが打ち水をしながら話し掛けてきた。
 夏の日差しに乾いた地面から巻き上がる土埃を押さえたり、暑さを和らげたりするために水を撒く。
 これ、打ち水。
 見ているだけでも涼しくなってくる。
 
 ――りぃん、ちりん
 
「いい音ですね」
 どこまでも蒼く、果てなく続くような気すら覚える空を見上げながら、風鈴の奏でる音色に耳を傾ける。
 
 りん――りぃん
 
 くるくる、くるくる
 
 ちりん、りん
 
 くるくる、くるくる
 
 休むことなく動き続ける。
「……祐一、さん?」
「…………あ、え? あ、どうしたんですか?」
 秋子さんが不思議そうな、心配そうな、なんとも言えない複雑な表情でわたしを見つめている。
「……いえ、なんでもありません。気のせいでした」
 そうですか。
 ぽそりと呟き、廊下に寝転ぶ。
 しばらく日光に晒されていた廊下の床は程良く温められている。
 太陽はいくぶん高くなり、日差しも柔らかいものになってきた。
 午後からはもっときつくなりそうだけれど。
「祐一さん、夏休みの予定は決まってないんですか?」
「ん〜……特には。今こうしてるのも、何もないからですし」
 今年は受験生なんだけどね。
 別に、大学は出ても出なくても変わりはない。
 大学出れば箔は付くだろうけど、やりたいことはないし、興味もない。
 どうせ家の仕事もあるだろう。これでも相沢家の当主なんだよね。
「御本家には……帰らないんですか?」
 ぎり、と奥歯が軋む。
「誰が……あんなところに……ッ」
 思わず声が荒くなってしまう。
「あ……す、すいません、秋子さん。いえ、帰るつもりはありませんよ、今のところ」
「……いえ、こちらこそごめんなさい。余計なことを聞いてしまいましたね」
 それきり、会話が途絶える。
 ただ、気まずい雰囲気だとか、そういう沈黙ではない。
 心地よい、包み込まれるような静かさだ。
 傍に自分を理解してくれているひとがいるという安心感のような、そんな気持ち。
 腕を枕にして目を瞑る。
 ぱしゃぱしゃと水の跳ねる音。
 風に吹かれ揺れる風鈴と、草木の音。
 そして秋子さんの、微かな鼻歌が聞こえる。
 心が落ち着く。
 そのせいだろうか、ずぅ、と引き込まれるような睡魔が襲ってきた。
 
 ――お姉ちゃん
 
「ぐっ……」
 びき、と。
 頭蓋がひび割れるような痛みが走る。
 秋子さんはまだわたしの様子に気が付いていないようだ。
 痛む頭を抱え、体を起こす。
 どくんと脈打つような痛み。それが絶え間なくやってくる。
 ここにいれば、秋子さんに心配かけるかな。
 それは、あまり望むところではないって感じです。
 ふらつきながら玄関へと向かう。
 散歩でもすれば、気分は紛れる、と思うんだけど。
 サンダルを踏みつけるように履き、玄関のドアを開ける。
 …………夏、真っ盛り。
 暑さはそれほどでもないが、目に入る深い緑は夏の象徴だろう。
 少し、気が安らぐ。
「どこに行こうか……」
 特にどこに行くかは決めていない。
 とりあえず商店街へ足を進めながら考える。
 う〜ん、う〜ん、頭痛いよぅ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 思考の停止しかけている頭を振り、考える。
 え〜と、ここ、どこだっけ。
 たしか商店街に行こうとしてたと思う。多分。
 …………あ、なんだ、ここ学校か。
 というか、考えるまでもなく学校なんだけど。
 今のわたしの頭はショート寸前っぽい。
 なんでこんなところに来たんだろう。
 休みだし、用事はないし。
 今時学校に来ているのは部活か、文化祭の準備委員会のひとだけだろう。
 もちろん、わたしはそのどちらでもない。
 学校に来るまでの記憶はあるんだけど、なんでここに来たのかが分からない。
 …………まぁ、いいや。
 最初の目的地に行こ。
 踵を返し、学校から出ようとしたところで、視界の端に映るものがあった。
 なんだろうと思い、そちらに顔を向ける。
 鮮やかな緑の葉と黄色の花びら。でかいヒマワリだ。
 何本あるのか数えるのも面倒なくらい生えている。
 同じ高さにあるヒマワリは、なんだかあの麦畑を思い出させる。
 一面に広がる黄金色の絨毯。
 あぁ……そうだ。
 ここで、この場所で舞と出会ったんだっけ。
 はじめて会った時は、よく笑う人なつっこい少女だった。
 今の舞とは正反対な気もするけど、本来持っているその雰囲気、性格は全く変わっていない。
 見てみたかったな……麦畑。
 びき
 また、割れるような頭痛。
 ……そう、見たことはない。
 ずぐん、と、疼くような頭痛。
 わたしじゃない。
 それは、わたしじゃない。
 
 ――それじゃあ、それはだれ?
 
 この記憶は 祐一の記憶
 わたしのじゃ ない
 
 ――祐一は あなたでしょう?
 
 そう わたしは祐一
 でも ちがう

 ――それじゃあ あなたは だれ?
 
 わたしは わたしは 祐璃
 
 ――ちがう あなたは 祐一
 
 そう 私は 祐一
 でも ちがう
 
 ――ちがくはないよ
 
 びちぃっ
 突然の激痛に目が覚めたように辺りを見回す。
 苦しい。
 呼吸が乱れ、まともに息も吸えない。
 通り過ぎていく生徒達が訝しげに視線を送ってくる。
 気にするな、発作だ。
 どくどくと暴れ回る心臓を無理矢理押さえ、大きく深呼吸をする。
 ……ここを離れよう。
 じゃないとおかしくなりそうだ。
「いたい……」
 さっきからの痛みを訴えている左手を見てみると、擦りむいたようにじくじくと血が滲んでいる。
「うわ……予想以上の大惨事」
 叩きつけたと思われるコンクリの壁にも血がべったりと。
 汚れた灰色と真っ赤な血のコントラストが事件っぽい。
 手から滲み出す血は止まる気配も見せず、ぽたぽたと地面に吸い込まれていく。
 とりあえず舐めてみるが、なんの効果も無し。
 ぺっ、と口に溜まった血を吐き出す。
「喀血」
 あまりシャレにならない。
「…………保健室行こ」
 べろべろと傷口を舐めながらわたしは保健室へと急いだ。
 なんか、ホントに血が止まらないから。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「はぁ……ここまで酷い傷で、骨にひびの一つも無いのね……」
 保健室のお姉さんがわたしの手にくるくると包帯を巻き付けながら呟く。
「どういう構造なのかしら」
「普通ですって」
「普通なら骨折なのよ。だから普通じゃないの」
 失礼な。
「はい、できあがり」
「…………」
「なによ、なんか言いたそうね」
「へたくそ」
 
 ぎゅっ
 
「いった〜〜〜〜〜〜っ」
「もう一回言ってみ」
「いたい、いたいってっ、放せっつのっ」
「『ありがとうございます、お姉さま』は?」
「誰が言うか、ば〜か」
 
 ぎゅむっ
 
「あいだだだ、は、放せサド保険医、いだだだだだだっ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「『ありがとうございます、お姉さま』」
「はっ、死んでも言わないね」
「ならいっぺん死ね」
 
 みしっ
 
「ッッ!?」
「ほら、どうしたの? ん?」
「放せコラっ、あっあっあっあっ、言います言います、言うから放して」
 それでようやく解放される。
「あ〜いて。それでも保健室のお姉さん?」
「いいのよ。夏休みなんだし」
 関係ない。
 白衣のポケットからシガレットケースを取り出し、1本口にくわえる。
「吸うなよ」
「吸う。それより早く言いな」
「……ありがとうございます、お姉さま」
「ん〜? 聞こえんなぁ」
 保険医は大きく巻煙草を吸う。
 …………くそ、こうなれば。
「ありがとうございます、お姉さまぁ」
 思いっきりしなを作って、甘〜い声で言ってやった。
「ぐはっ、ごほっごほっごほっ」
「あはははははははははははっ」
 予想以上の反応を返してくれた。
 笑える。
「なんつ〜声出しやがる、こいつは……」
「あ〜、笑った。ありがとう、先生」
 おかげで傷が痛い痛い。
「ところで……相沢君だっけ、その傷はどうしたんだ。転んだのか?」
「え、えぇ、まぁ……アスファルトに突っ込んじゃって」
「ふ〜ん。その割りには転んだようなあとが他にはないな……ま、いい」
 保険医は肩をすくめ、煙を天井に向けて吐く。
「それよりも、顔色が悪いな、相沢君」
 のぞき込むように顔を近づけて言う。
「……ちょっと夢見が悪かったんですよ。しばらくすれば大丈夫です」
「そうか……それなら、これをやろう」
 ごそごそと自分の机を漁り、なにやら妙なグッズを取り出す。
「ドリームキャッチャー、それとハーブのお香」
「……なんですか、それ」
「ドリームキャッチャーてのは、悪い夢を防いでいい夢だけを見せてくれる優れもの。
 加えてこのお香。リラックスしてぐ〜すか寝れば、悪い夢も見ないだろ」
 うさんくさい……
「早速試してみろ。休みだからベッドはガラガラだし」
 そう言ってドリームキャッチャーとお香をセットしはじめる保険医。
「はぁ……」
 気のない返事を出す。
 といっても、今朝が今朝だ。眠いことは眠い。
「じゃ、ちょっと休ませてもらいます」
「寝ろ寝ろ。寝てイヤなことも忘れろ」
 保険医に促されるまま、わたしはベッドの中に潜り込む。
 空調が効いていて、ここの保健室はすごしやすい。
 枕元に焚かれた香が微かに薫り、実に心地よい環境だ。
 こんなだから、ああいったグダグダな保険医が生まれるんだろう。
「なんか失礼なこと考えてないか」
「全く」
 目を瞑りながら答える。
 さわりと額の髪の毛が流れた。保険医がわたしの髪を撫でつける。
「子守唄でもうたってやろうか」
「……どんなうたです?」
「ハイスクールララバイ」
「結構です。おとなしくしておいてください」
「……そうか」
 仕切のカーテンを閉める。
「じゃ、適当な時間になったら起こすよ。良い夢を、少年」
 わたしはラベンダーの香りを胸に吸い込み、ゆっくりと眠りに落ちていった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 気が付いた時、わたしは森の中にいた。
「夢……じゃないよね」
 夢にしてはリアリティがありすぎる。
 木々の間からこぼれ落ちる光。
 深い緑の葉と、湿った土の匂い。
 全てが現実だ。
「え〜と、さっきまで保健室で寝てたと思ったけど」
 誰に言うでもなく呟く。
 学校に行ってしまった時とは違う。まるっきり記憶が無い。
「……夢なのかな?」
 これが現実だという自信がない。
 ふと、気配を感じて後ろを振り向く。
「あれ、祐一君?」
 大きな、この森一番の巨木の枝に、あゆが、いた。
「あゆ……そこは危ない。降りてきて」
 どんどんと打ち鳴らされる心臓。
「大丈夫だよ。ほら、ボク、羽だってあるし」
 ひとは空なんか飛べやしない。だから、降りてきて、あゆ……
 フラッシュバックする記憶。
 風に揺られ傾くあゆの体。
 叫ぶわたしの声はなんの意味もなさない。
 赤く、赤く染まる、わたしの手。
 
 ――さて、これはなんだろうね
 
 いやだ あゆ……あゆ 目を開けて……
 
 ――よく見てよ 目を開けてないのはあなた
 
 ちがう わたしは目を閉じてなんかいない
 
 ――それじゃあ どうして切られたはずの樹が見えるの?
 
 それは……
 
 ――それに 切られる前の樹なんて見たこと無いのに
 
 見たことはないけど……祐一は見た
 
 ――祐一はあなたでしょう?
 
 ちがう わたしは……ちがくない わたしは祐一
 でも やっぱりちがう わたしは祐一じゃない
 
 ――おかしなことを言うよね あなたは祐一 それ以外の何者でもない
 
 わたしは祐璃 祐一の双子の姉……
 
 ――いないよ そんなひと
 
 いる わたしはここにいる
 
 ――ここにいるのは 相沢祐一 祐璃っていうひとじゃないよ
 
 ちがうっ わたしは祐璃
 祐一じゃない……でも でも わたしは祐一
 
 ――だから あなたは祐一でしょう?
 
 そう わたしは祐一
 
 ――みんなに必要なのは 祐一だけだもんね

「ああああああぁあぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 どこをどう走ったのかも覚えていない。
 痛い、痛い、壊れそう。
 体が、心が、軋む。

 ――どこへいくんだろうね

 うるさい やめて
 
 ――やめられればいんだけどね そうもいかないんだよ
 
 あなたはだれなの どうしてそんなことをいうの?
 
 ――まだ気付かないんだ
 
 なにを なにに
 
 ――ひとり芝居っていうのも 滑稽だよね
 
 だからなんだっていうの
 
 ――いいかげんに気付いてよ ”わたし”
 
 ぶつりと糸の切れた操り人形のように、わたしは草の上に倒れ込む。
 ここは――ここは、ものみの丘……?
 そう、ものみの丘だ。
 わたしじゃない、本当の祐一のいる、この場所。
「祐一……祐一、祐一……」
 ふらふらとおぼつかない足取りで、丘の奥へと歩いていく。
 頭が痛い。割れそう。なにも考えられない。
 わたしはなにをしにここへ?
 わたしはどうしてここへ?
 わたしは、だれなの?
 ひとの手の入った様子もない、ものみの丘の奥。
 ぽつんと、人の頭ほどの石が置かれている。
「祐一……祐一、わたし……」
 耐えられない、どうしようもない。
 夢を見ただけでこんなに……こんなになっちゃう。
 祐一はずるい。自分だけ楽な方にいった。
 どうしてわたしだけがこんな思いをしないといけないの?
 痛い。痛いよ、祐一。ココロが砕けそう。
 だから……祐一、もう交代しよう?
 わたしがそこに行く。
 祐一は本当の祐一に戻るだけ。
 それが自然なんだよ。
 
 ざくざく、ざくざく、爪が痛い。
 
 祐一……わたし、頑張ったよ。
 一生懸命勉強した。
 一生懸命いい子にした。
 一生懸命祐一の真似をした。
 一生懸命祐一の変わりに苦しい思いをした。
 あなたの変わりに。
 祐一の幸せのために。
 わたしは自分を殺して頑張ったんだよ。
”祐一、よくやった”
 それはわたしじゃない。
”祐一、愛してるわよ”
 それはわたしじゃない。
”あの頃は、祐一が鞄持ってくれたんだよ”
 それはわたしじゃない。
”お帰り、祐一君っ”
 それはわたしじゃない。
”祐一さんに会いに来ました”
 それはわたしじゃない。
”祐一も、読みたいよね?”
 それはわたしじゃない。
”祐一は嫌いじゃないから……”
 それはわたしじゃない。
 みんなみんな、祐一、祐一。
 祐一祐一祐一祐一祐一祐一祐一祐一祐一祐一祐一祐一。
 わたしは、だれ?
 
 ざくざく、ざくざく、どこにいるの。
 
 みんなが必要としているのはあなたなの。
 わたしじゃない。
 必要なのは相沢祐一。
 わたしじゃない。
 
 ざくざく、ざくざく、でてきてよ。
 
 もうつかれちゃった。
 家、当主、学校、友達、楽しいこと、悲しいこと、笑ったり、苦しんだり。
 それは、ぜ〜んぶ、あなたのもの。
 だから……もう終わりにしてもいいでしょ、祐一……?
 ほら、秋子さんだって呼んでるよ。
 ゆういちさん、ゆういちさんって。
 祐一さん、祐一さん。
「祐一さんっ!」
 あれ、なんで秋子さんがいるんですか?
「祐一さん、なにを……なにをしてるんですかっ」
 だってここに祐一が、祐一が祐一が祐一が祐一が祐一が祐一が。
「やめてください、祐一さん――祐璃さんっ」
 あぁ……秋子さんは知ってるんですね、わたしのこと。
 思い出した。
 秋子さんがあの時来なければ、話さなければわたしはずっと祐一のままでいられたのに。
 疑問も持たず、ずっと祐一のままで。
「ちょ……祐璃さん!? しっかり……しっかりしてください、祐璃さん!」
 ああ、あぁ……目が霞む。
 ココロがイタイ。
「祐璃さん、祐璃さんっ」

 つかれた
 
 さみしい
 
 祐一
 
 会いたいよ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 真っ白な天井。
 まず目に入ったのはそれだった。
「…………え〜と」
 体を起こそうとして、右足あたりが重いことに気付く。
 見れば秋子さんがわたしの太股を枕に眠っている。
 …………あぁ。
 ここ、病院か。
「あ、目が覚めましたか」
 小声で看護婦さんが話し掛けてきた。
 白衣の天使は最近、白衣の天使じゃなかったりする。
 この看護婦さんは薄桃色の天使か?
 ……そこはかとなくえっちな響きが。
「…………」
 目の前でさっ、さっ、と手が振られる。
「いや、気付いてます」
「あ、そ、そうなんですか」
 ばつの悪そうな笑みを浮かべる。
「ところでお姉さん。今何時?」
「え〜と、3時半ね」
 そんなもんなのか。
「痛いところとか、気分悪いとかある?」
 わたしは自分の体を確かめる。
 特に痛いところもない。気分も悪いわけではない。
 不思議となにも感じない。
「いえ、特になにも」
「そう、よかった」
 天使の微笑み、薄桃色ver.
「そうそう、君が運ばれてきた時はすごかったわよ」
「……何がです?」
「そこの彼女、もう、泣いて君の名前呼びながら救急にくるんだもん。何事かと思うわよ」
「あ、あはは……ご迷惑をお掛けしました……」
「でも大したことなくてよかったわ。これで君が目を覚まさなかったら、その子がどうなるか」
 看護婦さんは肩をすくめる。
「いい子よね。大事にしてあげなさいよ」
「……いや、違うんですけど。絶対勘違いしてますよね」
「いいのいいのっ、恥ずかしがんないのっ」
 ばしばしとわたしの肩を叩き、さっさと病室から出ていった。
「いや……ホントに違うんだってば。聞いてよ」
 聞く相手もいなくなった部屋で虚しく呟く。
 はぁ、とため息をつく。
 視線を落とすと、秋子さんの寝顔。
「……この子、だってさ、秋子さん」
 秋子さんの寝顔は、それほどまでに幼かった。
 まるで母に抱かれて眠る子。見ているこっちまで気持ちが安らぐ。
 さらさらと柔らかい髪を撫でると、呻くように息をもらす。
 起こさないようにゆっくりと体を倒す。
 枕の位置を直そうと顎を上げると、患者の名前の書かれたプレートが見えた。
 つまりはわたしの名前なんだけど。
 そこに書かれた名前を見て目を見開く。
 『 相沢 祐璃 』
 なにかが弾けた。
 わからない。
 どうしてこんなにも涙があふれてくるのか。
 わからない。
 どうしてこんなにも心があたたかくなるのか。
 なぜなんだろう。
 どうしてなんだろう。
 秋子さん、教えて。
 どうしてわたしは、こんなにも嬉しいの?
「祐璃……さん?」
 あぁ……ごめんなさい、秋子さん、起こしちゃった。
「祐璃さん……よかった、祐璃さん、祐璃さん……」
 秋子さんはわたしの首もとに顔を埋めて泣いた。
「秋子さん……ごめん、ごめんなさい……」
「いえ、いえ……謝るのは私です。気付いてあげることが出来なかった」
 流れる涙を拭おうともせず、赦しを請うように言う。
「今朝だってそう。様子のおかしかった祐璃さんを気にもせず」
「秋子さん……」
「ごめんなさい、祐璃さん……私は、私は……」
 愛しています。
 私が、私だけでも、祐璃さんを。
 秋子さんは泣きながら何度も繰り返す。
 愛しています。
 誰よりも祐璃さんのことを。
 何度も、何度も。
 その言葉は魔法のよう。
 いつまでたっても薄れることはない。
 心の奥に、すぅっと染みこむようにわたしを癒してくれる。
 ずっとずっと、愛してます。
 その言葉。
 本気にしても……いいんですか?
 秋子さんは顔を上げ、僅かに頬を染めて、ゆっくりと唇を重ねる。
 包まれるような優しさに、わたしは身をゆだねた。
 
 
 
 
 
 
 
 ゆく河の流れは絶えずして しかも もとの水にあらず
 
 よどみに浮ぶうたかたは かつ消え かつ結びて 久しくとどまりたるためしなし
 
 世の中にあるひととすみかと 又かくのごとし
 
 
 
 
 
 めでたしめでたし。
 ……なのかな、祐一?
 
 


あとがき(長い?)
 
まずはじめに
これは秋子しゃんSSではありません(笑
いや、そうじゃない
みなさんの心を代弁しましょう
 
こんなんで納得いくか〜〜〜っ
 
これを読んだほとんどのひとがそう思っているかと
いや、分かってます、わかってるんですけど
だって、時間ないんすよ(言い訳)
こんなヘヴィな話は初めてなんすよ(言い訳)
秋子さん大好きなんすよ(言い訳)
むしろラヴ(言い訳)
……全ては私の未熟さのおかげです
嗚呼、もっと文章力が欲しい(切実
でも初めの頃よりは少しは成長し……てない?
してませんか、そうですか
……そのうち完全版として納得いくように書き直すかも
それとこのSS、話の整合性は気にしちゃいけません
私も気にしません(←ダメ人間)

それにしても長かった……これまでで一番時間がかかりました
書き始めてから実に3週間(←かかりすぎ)
それだけかけてこれかよっ、てなもんです
実質、真面目に書いてた時間は2〜3日でしょうけど
いえね、ほかにもやらなくちゃいかんことがあるわけですよ
……にしても、「月花」本編から約4ヶ月振りの更新です
やりすぎのような気もしないでもないですね
誤字脱字、批判系の感想はメールにてお願いします
bbsに書くと消しちゃうぞ♪(←外道)
 
 
さてさて、いよいよ佳境を迎えた月に叢雲、花に――
……え? あ、なに、え? 終わり?
え、終わるの、これ。
…………
納得いかね〜〜〜っ
 

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名雪
佐祐理
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香里
祐璃

真琴

美汐
 
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一応掲示板にも誘導
SS index / this SS index 2002/05/02