木々のざわめきがはたと止む。
美坂香里の放つ殺気が冷気を纏ったように、周囲の空気を変えていく。
口元には狂気を孕んだ陰惨な微笑みが浮かび、それは既にひととはかけ離れたものだった。
妹のことなどあたまの片隅にでも置いてはいないだろう。
いまは――目の前の鬼をいかにして切り刻むか、それだけが思考を占めている。
妹の前では理性的な姉を演じているのだろうが、一皮むけばただの享楽的戦闘嗜好者だ。
そしてそれは祐一自身にもあてはまることだった。
「では、いくぞ」
祐一は太刀を抜き放つと同時に一足飛びに間合いを詰める。
その動きを視た香里は合わせるように横凪に太刀を振るい、かわさされたとみるや刃を返し振り下ろす。
頭上から襲い来る刃を見もせずに難なくと太刀の腹で受け流して、祐一は香里の左手に回り込む。
「はあっ!」
大上段から力に任せて振るうが、それは香里の衣装に一筋の傷を付けただけに終わった。
祐一の太刀はざっくりと地面を割り、その隙に香里は胸元を一文字に切り裂くべく太刀を振る。
「せあ!!」
避けられるような間合いではない。
後ろに飛んでも十分に刃がからだを二つに分けられる距離だ。
初っ端からきつい展開だ、と祐一は心の内でぼやく。
後ろへも左右へも逃れる余裕はない。
全ての状況を一瞬で把握し、霞むような香里の太刀の腹に掌底を当て、上へ振り抜く。
「なに!?」
当たるものに当たらず体勢が崩れ、たたらを踏む。
ごがぁっ。真横から凄まじい衝撃を受けて香里は吹き飛んだ。
香里に強烈な横蹴りを喰らわせた祐一は、悠々と地面に突き刺さった太刀を抜き取る。
「驚くほどのことか。腕ってのは太刀よりも軽いんだ。ものがものだけにあまり使えないがな」
よほど目がよくなければ言えない科白だが、香里はそうかと頷く。
「太刀筋が少しでもずれれば、飛ぶのは貴様の腕だ」
「だからあんまり使いたくないんだよ」
斬り飛ばされた腕を治すのは難しいからな、と小さく呟く。
太刀に付いた土を拭い、正眼に構える。
研ぎ澄まされた刃というものは、鉄すら裂く切れ味を持つ。
そんなものを、手を伸ばせば届きそうな距離で振り回す。
ただの一撃が命取りになる戦闘の緊張感、祐一はそれが好きだった。
いままでは自粛していたが、しかしこうして向かい合うと、やはり心が躍るような高揚感が生まれてくる。
「っせい!」
左水平に凪いだ祐一の太刀を半歩退いてかわし、香里は左袈裟に振り下ろす。
空気すら切り裂くそのを斬撃を返す刀ではじき上げ、斬り結ぶ。
ぎゃあっ、と太刀が悲鳴を上げる。
刃が擦れるたびに火花が散り、睨み合いながらお互いに相手の出方をうかがう。
香里の燃えるような真紅の瞳に、祐一はなるほどと心の内で首肯する。
狂気に呑まれている。
妹よりも戦いを選んだこともそれが理由だろう。
この状態では今後に支障が出るかもしれないが、しかし――
「くく……楽しいな、当主殿。血が騒ぐだろう」
「ああ、楽しい。この手で貴様を刻めるんだからなぁ!!」
ぎいんっ。香里は力任せに押し返し、瞬きをする間に柄を腰元に引き寄せがら空きの胴体へ斬り込む。
祐一は跳ね上げられた太刀を振り下ろし、香里の斬撃を真上から打ち落とす。
金属を打ち鳴らす甲高い音。
強烈な祐一の打ち下ろしに香里の両手がびりびりとしびれる。
とんと地面を蹴り、祐一は香里と間合いを取った。
初めて刃を交わした時よりも確実に強くなっている香里に、祐一はぞくぞくするような快感を覚える。
伏鬼士との戦いでかなり欲求不満だったが、これは釣りが来るほどに満足できる戦いだった。
それだけに惜しい、と祐一は思う。
ここで優劣を決めるのは簡単なことだが、それではだめなのだ。
起こり得る『なにか』に抗する存在として、このままいがみ合うわけにはいかない。
しかし所詮、あちらはひと、こちらは鬼。その念からは逃れられないだろう。
……いや、あるいはこのままの関係でもいいのかもしれない。
「ひとつ、聞く」
祐一の言葉に、ぎちり、と香里は嗤う。
「鬼とは、なんだ?」
「はっ! 鬼というのは――」
香里の太刀先が揺れ、同時にそのしなやかなからだを沈め、大地を蹴って間合いを詰める。
地面を削り取るような逆袈裟を、祐一は半身になってかわし、香里の肩口を切りつけようと太刀を振るう。
しかし、かわした香里の太刀は振り抜けることなく一瞬で筋が変わり、わずかに反応できた祐一の胸元を裂く。
受けた衝撃に祐一の太刀筋がぶれ、香里の二の腕の皮一枚を浅く切っただけに終わった。
「貴様のことだろうが!!」
大気を切り裂き、香里の斬撃が祐一の頭上へと迫る。
――解放式・跋
「な……!」
香里の太刀が祐一のあたまを割り裂く瞬間、ぎしゅ、と奇妙な音と共に標的が消え去った。
空を切った刃が大地を深くえぐり、風圧に木の葉が舞い散る。
それは見覚えのある光景だった。
忘れもしない、あの夜の――
「二度も同じ手を喰うかぁ!」
地面に突き刺さっていることも構わず、太刀を左に払う。
土の抵抗すら感じられないような滑らかな振り上げに火花が散る。
なにもなかったはずのその空間に祐一の姿が忽然と現れ、香里の太刀を危なげなく受けていた。
「二番煎じは面白くないな、鬼ぃ!」
一合、二合と打ち合い、再び間合いを取る。
「これは、俺が全鬼に教えたんだがな」
少しばかり顔をしかめ、祐一は言う。
伏鬼士との戦いは様子見だったために使わなかった『解放式』。
というよりも、予想外の強さに、使おうとしてもその準備がなかったということもある。
使うまでもないだろう、と甘く見ていたために、結果数日寝込む羽目になったわけだ。
「本家の割には大したことのない。……ふん。やはりあの女の鬼のほうが強いな」
「前に言ったはずだ。こいつらは俺よも強い、ってな。ただ、まぁ……」
にやりとくちびるの端を釣り上げる。
「あのふたりは、俺に屈したから使鬼神として仕えているわけだが」
「……屈した、だと?」
「ふっ……。ふたりがかりでぼこぼこにされた事も、いまではいい思い出だ……」
と、遠い目をする祐一。
「俺はあいつらよりも強くはないかもしれない。……でも、やっぱり強いんだな」
戯けたように言う祐一が気に障ったのか、香里は目を細める。
「ほざいてろ!!」
叫ぶや否や、大きく踏み込んで祐一の胸元に太刀の切っ先を突き込む。
それを足を引いて間合いを外し、伸びきったところへ逆に突きを繰り出す。
「ちっ!」
手首を返し、太刀先を跳ね上げて祐一の突きを弾く。
逸れた切っ先が香里の頬を薄く切り裂き、髪が一房舞い落ちる。
祐一はそのままに太刀を水平に払い首を狙うが、僅かに香里の反応が速い。
からだを横に倒し、遅れて凶刃が頭上を奔る。
ざっ、と香里の頭髪が削られた。
倒したからだを前に傾け、連動するように腕を振るい祐一の腹部をざっくりと裂く。
やったか、と香里は思ったが、全く手応えがない。
「くっ!」
目の前にあった祐一の足が曲線を描いて頭部に炸裂する。
一瞬視界が暗闇に覆われ、天地が逆転し、続いて衝撃。
わけが分からぬままに大地を蹴って後ろに飛ぶ。
そのまま転がっていれば追撃は必至。
「おっと。そんなつもりじゃなかったんだが。髪の毛、だいぶ減ったな」
地面に散らばった髪を見て、香里は舌打ちをする。
背中まであった髪は、左半分がようやく肩に掛かる程度まで斬られてしまっている。
「……ふん。そろそろ切ろうかと思ってた頃だ」
残っていた右側の髪を掴み、太刀の刃をあてて躊躇することもなく引く。
切り取ったそれを一瞥し、ばっ、と後ろに放る。
愛着はなかったが、しかしだからといって斬られて気分のいいものでもない。
「安心したよ。髪は女の命らしいし。それはそれとして、短いのも似合ってるな、当主殿」
祐一の余裕のある笑みが、香里は気に入らなかった。
「いつまで余裕を見せていられるかしら!?」
隙だらけの祐一へ鋭い打ち込み。
ぎいんっ。ぎいっ。耳障りな甲高い音が絶え間なく鳴り響く。
青白い火花が散り、あるいは狩衣の端が斬り飛ばされ、地面は常に掻き乱されている。
「っぜあぁ!」
香里の力に任せた振り上げ。ひときわ高い金属音。
袈裟掛けに振り下ろそうとした祐一の太刀は見事なまでにはじかれ、両腕が上へと持っていかれる。
一瞬の判断が致命的な一撃に繋がる間合いで、大きすぎる隙を作ってしまう。
祐一に『跋』を使える体勢に持っていけるほどの余裕はなかった。
香里は手首を返して太刀を左に構え、必殺の一太刀を振るおうと地面を強く踏みしめる。
たとえ何者であれ、胴体をふたつに分けてしまえば死に至る。
文字通り、必殺。
「よけてみろ鬼ぃ!!」
太刀が空気を裂き、祐一の脇腹に吸い込まれ――鈍い音と共に、香里が後ろに吹き飛んだ。
「ぐぅっ!」
ずぁっ、と湿った地面に背中を擦り、それを理解するよりも速く片腕だけでくるりとからだを起こす。
ひとつ後ろに飛び退き、祐一との間合いを取る。
「……ちっ。よけもしないか。化け物め」
「一応よけてるさ。攻防一体ということだ」
太刀を手放し、一歩踏み込んで右手首に掌底を打ち込み、その勢いのままからだを回して鳩尾に肘。
言葉にすればそれだけのことだが、それを実行できるかとなると話しは別だ。
香里は改めて目の前の男が尋常ならざる存在だと認識する。
「それに、武器は太刀だけじゃない。ひとにしても鬼にしても、命を奪うのに、仰々しい得物はいらない」
「ほう……」
祐一は地面に刺さった太刀を抜き、一振り。
「まぁ、俺は太刀のほうが好きだけど」
「あたしもだ」
にぃ、と禍々しい笑みを浮かべる。
「貴様の肉が刻めるからな」
「……さいですか」
どうしてそこまで嫌われているのだろうか、と祐一はため息を吐く。
「それじゃ、そろそろ終わりにするか。いいかげん体力も限界だ。付き合いきれん」
「はん。それはこっちの科白――!」
からだごとぶつけるような香里の斬撃。
祐一は太刀をかざしてそれを受け、押し返すと同時に横蹴りで吹き飛ばし、袈裟掛けに斬りつける。
体勢を崩したまま香里は腕を振り、祐一の太刀をかわす。
香里は既に理解していた。
この男は自分よりも強い、ということを。
それでも引くわけにはいかなかった。
「はぁ!」
全ての、ありったけの力を込めて、香里は太刀を振るう。
――解放式・跋
「何度やっても同じだ!」
大地を蹴り、太刀を無理矢理返して右に振り上げる。
そこには、香里の狙い通りに太刀を振りかぶる祐一がいた。
「死、ねぇ!」
香里は瞳に真紅を宿す。
彼女自身、限界以上の力を振るっていることに、疑問すら抱くことはなかった。
――解放式・轟
水瀬秋子を先頭として、その隣に水瀬名雪。
川澄舞、倉田佐祐理、そして美坂栞をあやしながら天野美汐が水瀬母娘に続く。
栞の姉である香里と、相沢祐一の後を追って、靄のかかったような林の中を進む。
「……近い」
舞が呟く。
「ええ、たしかに。……この近くで戦っているようですね」
秋子が応え、周囲をぐるりと見渡す。
そして視界の端に、見覚えのある人影を捉えた。
木々の間から確認したそれは、親しく付き合いのある隣人。
「……祐一さん」
秋子が駆け出し、後ろを進んでいた五人もそれに倣う。
秋子は、祐一が鬼だとは思いたくはなかった。
町の人々に慕われ、自分たちと同じように笑うあの隣人が、とても鬼だとは思えない。
なにかの間違いであって欲しい……いや、間違いであればいい。
僅かに走っただけで、ふたりの姿がはっきりと現れる。
そして開けた場所に出たと同時に、美坂香里が叫んだ。
「死、ねぇ!」
香里の振り上げた太刀と、祐一の袈裟に振り下ろした太刀が交わり――
「お姉ちゃん!!」
その光景を見た栞が叫ぶ。
香里の太刀が打ち砕かれ、肩から脇腹までをざっくりと斬りつけられた――その光景を。
「いやああぁぁぁぁあぁぁぁ!!」
あとがき
「あんましつっこまないで、って言ってる」
…………。
享楽的<きょうらくてき>
跋<ばつ>
あっはっは。
戦闘ってムズカシイネー。
あと護鬼に全く触れてないし。いるのに。
イキオイで読み流しましょう。
ざくっと。ざくっと。
書いてる私もイキオイだけです。
みょーな描写も気にしない気にしない。
さて、今回のんーちく。
この時代(平安時代ね)は『お茶』という飲み物は一般的じゃないんですな。
嗜好品と言うよりは、薬という意味合いのほうが強いわけで。
薬じゃなくて嗜好品として庶民に広く浸透するのは鎌倉時代あたりから。
作中にもお茶が出てますけど、いわゆる緑茶や抹茶ではありません。
薬草(あれです。民間的な身体にいい植物とか)を煎じたもの。
乾燥させたり磨り潰した植物を煮出して作ります。いたって簡単。
私の実家でもドクダミ茶とか作ってますけど、そんな感じです。
(ドクダミ茶は乾燥させたドクダミの葉っぱをぐっつぐっつと煮て作ります。たしか)
あ、それと名雪の好きないちご。
あれは江戸時代に日本に伝わったわけで(野いちごはありますが、あれはあんましおいしくない)
野いちごではどうやっても名雪は傾倒しないという話し。
猫アレルギーに関しても、この時代に発症するかは疑問。
アレルギーって『現代病』とも言われますし、昔の人のほうがそういう意味では健康体っぽい。
……あれ?
なんか名雪、普通?
「広告考察」
← SS index / this SS index / next → | 2003/03/19 |