鍔鳴りを残し、刃は鞘へと収まる。
 艶髪の天狗――全鬼はいままで激しい戦いをしていた様子も見せず、涼しい顔でひとつ息を吐いた。
 さめた視線の先には、散り散りになった二枚の符。
「……なかなか、といったところでしたか」
「や、やっぱりあんた、ば、ばけものよ……」
 ぜいぜいと苦しげに喘ぐ真琴が呟く。
 二対二ではあったものの、真琴は鬼同士の戦いなど数えるほどにしか経験はなかった。
 そのどれよりも、龍と虎と呼ばれる鬼――いや、式神だろうか、とにかく苦戦をしいられた。
 妖狐一族は戦闘に関して高い能力を持っているわけではない。
 変化、あるいは目くらましなど、虚を突き隙を狙うような戦いを好む。
 正面から向かうなど、腕力の弱い鬼には自殺行為でしかない。
「あの程度の式神、軽くいなせないようでは……御主人のそばにいる資格はありませんね」
「――ふんっ。このくらいっ、なんでもないわよっ。人間だろうが鬼だろうが来るなら来ーーーい!」
 ばきばきと軋む体に鞭打ち、真琴は空に向かい、半ばやけくそ気味に吼えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鬼月幻想奇譚
    〜 正しい魔物の屠り方 〜

十八ノ門
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 美坂栞は思った。
 鬼がいる。姉の顔をした鬼がいる。殺る気満々の姉の顔をした鬼がいる。
 私が何かしただろうか――うん、そういえば、いまもしている最中だった。
 黙って屋敷を抜けだし、あまつさえ男性の部屋に転がり込んでいる、と。
 決してそんなことはないのだが、栞は姉が怒り狂う原因に心当たりがない。
 加えて温厚で優しかった姉の豹変っぷりに、少しだけちびったとか、そんなことも、決して、無い。
「まさか……こんな近くに貴様が湧いているとはねぇ」
「ひとをぼうふらかなんかみたいに……失礼な」
 軽口を叩く祐一だが、視線は油断なく室内に巡らせ、じりじりとすり足で香里と間合いを取っている。
 吹き飛ばされた表の戸は無惨なまでに切り刻まれ、香里が歩を進めるたびにばきばきと踏み砕かれる。
「鬼……栞を、返しなさい」
 ――鬼?
 栞は、姉の発した言葉が理解できなかった。
 ここにいるのは栞と姉と祐一だけで、そしてその姉が睨み付けているのは――
「返したところで、俺の待遇が変わるとでも?」
「そうね、苦しまずに黄泉の門に送ってあげるわ」
 うそだ。栞は、いままで感じることもなかった、異質な気配に気づいてしまった。
 言われなければわからなかった。
 言われなければ、それが何かも気付かなかった。
 鬼の纏う気配――鬼気。
「ゆう、いちさん……」
 目覚めた力が、いまはこの上なく憎い。
 知りたくもなかったことを、わかりたくもなかったものを、容赦なく理解させてくれる。
「どうした、栞。……いや、いまはお前にかまってやれそうにないけどな」
「ふん、鬼にも名前があるのね。初耳だわ」
 くすりとあざける。
「さぁ、栞、帰るわよ。……おいで」
 ふ、と。微かに優しげな笑みを浮かべ、かと思うと次の瞬間には厳しい表情が張り付く。
 栞は困惑の渦に呑まれる。
 なぜ?
 なぜ?
 なぜ?
「祐一さん……どうして、なんで……」
 いまにも泣きそうに顔をゆがめ、栞は言葉にならない疑問をはき出す。
「…………」
 祐一は眼前の驚異に気を取られているのか、栞の言葉を無視しているのか、眉ひとつ動かすことはない。
「栞、帰るべき場所があるってのは、いいことだな。麗しき姉妹愛。嗚呼、涙が出そうだ」
「貴様――!」
 その莫迦にするような口調に香里は思わずかっとなる。
 祐一が栞からある程度離れていたということもあり、なんの躊躇もなくかざした右手から力を解き放つ。
「貫きて燃えろ! 紅崩!!」
 大気すら焦がすような超高温の光の束が、一呼吸の間もなく祐一に向かって奔る。
「く!」
 初撃にこれほど強力な呪は予想していなかったのか、祐一の反応がわずかに遅れた。
 しかしそれは致命的な威力をもって焼き貫く光線。
 『祐一』自身にそれを防ぐ力は――皆無。
《障》
 幼い、けれどもよく響く、どこか異国の言葉を思わせる声が発せられた。
 ただの一言で、香里の放った呪は標的を避けるように四方八方に散ってゆく。
「な……」
《ひとにしてはなかなか。……まぁ、その程度の力を持つ鬼は、掃いて捨てるほどいるけど》
 まるで直接頭の中に語りかけるようなその声。
「――な、んだと……?」
 ゆらり。陽炎のように香里の体が揺らめき、左腕が霞む。
「ぬおっ」
 頬の薄皮一枚を切り裂き、なにかが掠めていった。
 それが合図であったかのように香里の足下が弾け、一足飛びに間合いを詰める。
「お姉ちゃん!」
 なにを思ってそう叫んだのか。
 妹の言葉に気を取られ、微かに視線をずらす。
「っせい!」
 真横から叩き付けるような祐一の蹴りが香里を捉える。
 体勢を崩したその隙に祐一は飛び退き、壁の一部を吹き飛ばし外へと逃れた。
「ここじゃ具合が悪い。やるんなら付いて来な。……ま、妹さんと感動のご対面、邪魔をするのも心苦しい」
 香里妹を一瞥し、再び視線を祐一へと向ける。
 妹は無事だった、それは喜ぶべきことだ。
 あぁ、すぐにでも泣き出しそうに瞳を濡らすのは、あの鬼のせいでしょう?
 なにをされたの?
 なにを言われたの?
 妹の受けたであろう心の傷、恐怖を思うだけで、目の前の男をこの手で切り刻みたい衝動に駆られる。
 しかしそれでも妹のことが頭を離れない。
 栞はここにいる。
 もうどこにもいかない。いかせない。
 それならば――
「貴様を殺す方が先だ!!」
 ひょいと壁の向こうに消える祐一を追い、香里は怒号と共に駆けだしてゆく。
 そして栞は、祐一の口が声のない言葉を紡ぐのを――はっきりと、その瞳で、視た。
”またな”
 
 
 
 
 
 相沢祐一は嘆息する。あぁ、もうあそこには帰れないのだな、と。
 それはもう絶望的に、希望的観測もむなしいほどに。
 住み慣れた居を離れるのはいささか寂しいものはあるが、それも仕方ない。
「――しかし」
 先ほどのあれは思い出しただけで肝が冷える。
「護鬼……無駄に挑発するのはやめろ。被害を被るのは俺なんだからな」
《挑発、した覚えは……》
 祐一の言葉に、気配だけでしゅんとする様が伝わってくるようだ。
 護鬼にはただ思ったことを口にしただけだったが、悪意があろうとなかろうと神経を逆撫ですることもある。
「でも助かったよ。さすがにあれは俺にはどうしようもない」
 祐一は足を止める。林の中、開けた場所に出た。
「ふん、このへんでいいだろ。護鬼、外に出すぞ」
《理解した》
 印を組み、短く呪を唱える。
「――さて、ここからは俺だけの戦いだ。手は出すなよ」
「…………」
 護鬼は眉をひそめ、しかしその言葉に逆らうこともなく、こくりと頷く。
 頷いたはものの、護鬼はそれに従おうとは思わなかった。
 自分が必要なければ、あるじの言葉通り手は出さないだろう。
 だがもしも――
「ここが――貴様の選んだ墓場ということかしら」
 木々が彼女の殺気におびえるようにざわめく。
 空気はよどみ、ぬるりとしたまとわりつくような湿気、空は茂った杉の枝に覆われ、まさに不気味な様相。
 墓場という言葉にも、確かに真実味を帯びてくるようだ。
「……妹のことは、いいのか?」
「貴様……貴様がそれを言うか!」
 振るった腕が空気を叩き、風を巻き起こす。
「言っても信じないだろうが、わずかな可能性と当主殿の寛大な心に期待して――」
 大仰な振りを付け、祐一は語る。
「俺は、なにもしてないんだがな」
 つばを吐き捨てる香里。
「さあ、始めましょう」
 豪奢な装飾の施された、しかし実戦を目的とする鍛え抜かれた刀身が、すらりと鞘から抜かれる。
 持ち主の意志を反映するように禍々しいまでに研ぎ澄まされ、彼女の紅い瞳を映し込む。
「……無意味」
 無意味だ。こんなことは、ひとかけらの意味すら持ち得ない。
 香里にとってはこぼれ落ちるほどの怒りを解消するためであろう。
 だからなんだというのだ、と祐一はまぶたを閉じる。
「この前は他に気を取られていて不覚を取ったが……」
 やはりそれも無意味なことだ。
 手合わせは一度でいい。
 彼女は今後に必要な『人材』。
 これ以上の軋轢は望むところではない。
 ――しかし、まぁ、
「再戦、といこうか」
 打算抜きに刃を交えたいと思うのも、仕方のないことだろう。
 そんなことを考えて祐一は微笑み、腰に吊していた飾太刀の柄を握る。
 
 
 
 
 
「なにかあったのかしら……?」
 秋子は佐祐理と舞を引き連れて通りを歩いていた。
 自宅の近くを過ぎようとしたとき、隣家の前の人だかりが目に付いてぽつりとそう漏らす。
「どうかしました?」
 佐祐理が声をかける。
「いえ、なにやらひとが集まってるようなので」
 秋子の視線を追い、佐祐理も頭を動かす。
「あ、祐一のうちだよね、集まってるの」
 名雪の言葉に秋子は頷き、どうしたのかしら、と呟く。
「……あら」
 群がる人だかりの中に、見覚えのある後ろ姿があった。
「美汐ちゃん?」
「え? あっ、水瀬殿……?」
 声をかけられた美汐は振り向いて軽く驚く。
「こんにちわ、美汐さん」
「……こんにちわ」
「倉田殿に川澄殿まで……」
 惚けたように口を開けているのを、舞がかぽっと閉じさせる。
「殿だなんて堅苦しい言い方はしないでって、いつも言ってるでしょ?」
「あ、はぁ……、ところで、秋子さんどうしてこんなところに? ここには私だけが派遣されたとばかり……」
 秋子は頬に手を当てて微笑む。
 その愛らしさに、いったいいくつなのだろうかと美汐は少しばかり悩んだ。
「そこ、わたしの家ですから」
「はぁ……は!? え? 秋子さんのお住まいは都じゃなかたんですか……?」
「そうですよ」
 美汐はむむむと唸る。
「それでは……相沢祐一、という方はご存じですね」
「そうだ、祐一だよ。えっと、美汐さん? なにがあったの?」
 隣人宅前の人だかりを指さし、名雪は心配そうに美汐に尋ねる。
 人だかりの中には名雪の見知った顔も少なくないが、一様にその表情は硬い。
「……その様子では、あの方が何者かも知らなかったようですね」
 美汐は秋子に視線を送り、自分の言葉に疑問を感じている様を確かめた。
「まぁ、気付かなくても責められるものではありませんし……」
 ため息をひとつ吐く。
「私も先ほど来たばかりで、実際なにがあったのかは見ていません。
 状況的に考えて美坂家当主殿が相沢祐一宅に突貫をしかけた、といったところでしょう」
 あちらをどうぞとばかりに指し示した先には、美坂栞がだくだくと涙を流している姿があった。
「香里が? どうしてそんなことするの?」
 名雪はそう言って母の方を向く。
 いつも穏やかな笑みを浮かべていたはずの母が青ざめている。
 秋子は知っていた。美坂栞が行方不明であり、姉がその行方を捜していたことを。
 なぜ行方の知れなかった彼女がここにいるのか。
 なぜ隣人の家の戸が吹き飛んでいるのか。
「鬼ですよ、相沢祐一という人物は」
 その言葉に、秋子と名雪は思考が停止する。
「……鬼」
「はぇ〜……こんなところにも鬼さんが……」
 秋子は吹き飛ばされた戸を一瞥し、「そんな」と呟く。
「祐一が……鬼? うそ。そんなの信じられないよ!」
「ええ、そうでしょう。そこに集まってる方々も同じことを思ってるみたいですし……人望が厚い鬼ですね」
 まったく、と忌々しげに美汐は吐き捨てる。
「佐祐理、その相沢祐一っていう鬼、もしかして……」
「うん、多分……そうじゃないかな」
「……? 倉田さん達も相沢さんをご存じなんですか?」
「いえ、その名前は知りませんでしたけど」
「……強いやつ。何度かやりあった」
 ふん、と鼻息も荒く舞は答える。
「鞍馬の鬼。確かにこの辺で見たこともある」
「――は。まさか相沢さんが、あの悪名高い鞍馬の鬼?」
 名雪はいまにも泣きそうに瞳を潤ませ、うそ、と繰り返す。
「お母さん、うそだよね、祐一が――わたしたちの探している鞍馬の鬼だなんて……」
「……この目で見ないことには、美汐ちゃん、それは信じられないわね」
 名雪を抱き寄せ、秋子は絞り出すように言う。
「祐一さんは……ひと、ですから」
 
 
 
 
 



あとがき

「外に出すぞ、ってひわいじゃないかな?」
無意識です。

麗しい<うるわしい>
軋轢<あつれき>

遅筆すまぬ。
ちょっと自分でもどこがどうなってるのかよくわかんなくなってきました。
無駄に人間関係が複雑です。
誰がどこまで知ってるかこんがらかってます。

さて、今回のうんちく。
太刀と大刀、この違いはわかりますか?
古くからある直刀は「大刀」と表し、平安時代以後のものを「太刀」と書きます。
ま、このへんは辞書でも引いてみればすぐわかります。
ついでに言うと刃を下向きに帯びるのが太刀で、上向きに帯びるのがいわゆる日本刀。

博物館で展示されている平安太刀がインターネットでも見られたりします。
もちろん太刀だけじゃなく、他にもたくさんありますから、お暇な方は検索してみるのもよろしいかと。
知っている人は知っている「塵地螺鈿飾剣(ちりじらでんかざりつるぎ)」とかもありますよ。

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