「……そう。まだ、他にもいるんだ。ふたりじゃ……足りないか」
 暗闇に浮かぶ少年は四枚の符を宙に放り、つい、と指先で撫でるように五芒星を描く。
「鼠、鳥、蛇、犬。行って」
 封じられていた肉体が、少年の言葉ひとつで復元される。
 ぼんやりとした闇に、美しい少女達の姿が形作られていく。
 一様に表情に乏しいその少女達は、冷たい瞳と相まって、まるで感情を感じさせない。
 少年が軽く腕を振る。
 それを合図に、少女達は闇に溶けるように姿を消していった。
「血を……もっと多くの、力ある血を……」
 少年は左手を眼前にかざす。
 ――赤黒く染まった、禍々しい、その手を。
「まだ足りないよ……姉さん……」
 少年がつぶやくと、闇は一瞬にして消え、鬱蒼とした森が現れた。
 深緑に彩られていたはずのそこは、少年の手と同じに、紅く、紅く……
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鬼月幻想奇譚
    〜 正しい魔物の屠り方 〜

十七ノ門
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 四天の東、倉田佐祐理。
 彼女にとって鬼とは、生きるための糧でしかない。
 力を高め、より多くの鬼を狩る。
 四天などとは呼ばれているが、そのこと自体にあまり意味はなかった。
 負けたことはない。
 鬼に負けることは、すなわち、死。
 幾度となく死線をかいくぐり、しかしそれでも一度として敗れたことはない。
 ――なかった、と言うべきか。
 鞍馬の鬼。あるいは鞍馬天狗。
 古くから鞍馬の山に住み着き、鬼たちを統べる最強の種。
 しかしその実態を把握できている者はいない。
 ひとは、鬼を理解しようとはしない。
 ただ狩るだけだ。
 鬼は悪。
 鬼は邪。
 種の一匹に至るまで滅ぼし尽くせ。
 だれに教わるでもなく、いつの間にかそれが当たり前だと思ってしまう。
 なぜ?
 鬼は醜悪な生き物だから。
 なぜ?
 鬼は人を喰らうから。
 だからだれも理解しようとは思わない。
 鬼にこころがあるということを。
 倉田佐祐理は果てのない思考の渦に飲み込まれる。
 鬼は、なぜ、生まれてくるのだろう。
 鬼は、なぜ、鬼なのだろう。
 ひとという種を滅ぼすため?
 ひとという種に罰をあたえるため?
 答えはない。
 答えを知る者はいない。
 ただひとつ、わかっていることがある。
 鞍馬の鬼はなにかをしようとしている。
 あるいは知っている?
 ――それならば。
「……佐祐理、行くの?」
「うん。舞は、準備終わった?」
「終わった、けど……」
「大丈夫。今度は負けないから、心配しないで。舞だってついてるんだから、ね?」
「……うん」
 数日をかけて精製した符、それ自体に力をもつ勾玉、そしてざっくりと割れた懐刀。
 ひとつひとつ確かめながら懐に収め、佐祐理はひとつ息を吐く。
「――よし」
 風が、ゆるりと流れていった。
 
 
 
 川澄舞、倉田佐祐理の住む屋敷の門前で、水瀬母娘はそのふたりを待っていた。
 少々変則的な手で説得した彼女たちは、都でもその実力が知れ渡っているほどだ。
 彼女たちを越える力を持つ者は殆どいない。
「でもお母さん、どうやって説得したの? あれだけ頑固に拒否してたのに」
 そんなとこも格好いいけど〜、と名雪は頬を染めつつ呟く。
「ふふ……川澄さんを説得したのはわたしじゃないのよ」
「それじゃ、誰が説得したの?」
「少しは考えなさい、名雪」
 そう言われて名雪はうんうんと唸り始める。
 四神の名を冠する呪士のうち、ふたりまでもが揃うことになった。
 しかし秋子はそれでも足りないと思っている。
 鞍馬の鬼、それはひとの力が及ぶものではない。
「天野美汐……この町に来ているはず。彼女がいれば、あるいは……」
 だが彼女がいても勝てるかどうかわからない。
 鞍馬の鬼には未知の部分があまりにも多すぎる。
 ふと、秋子は顔を上げた。
「……?」
 なにか感じる。
 いや、感じるというよりは……
「……匂う。これは……?」
 微かに鼻腔が嗅ぎとる、鈍い鉄の匂い。
「名雪、屋敷に戻りなさい」
「え? な、なんで?」
「いいから早く。ふたりに急ぐように言ってきなさい!」
「う、うんっ」
 遠ざかる娘の背中を確かめ、秋子は油断なくあたりの気配を探る。
 風が鼻先を過ぎるたび、血の臭いは段々と濃くなっていく。
 静かだ。
 まるでこの空間だけが時間を切り取られたように、辺りを静寂が支配している。
「鬼? ……いえ、違う。これは……式神?」
 無機質な殺気。
 ただ命じられるままにその異常なまでの力を振るう、ひとでも鬼でもない者たち。
 不気味に漂う血の臭いと、感情のない気配。
「式神が、なぜここに? 鬼はここには居ないはず……」
 鬼が居ないにも関わらず、ここまで殺気を発する理由。
 つまりその目的は、鬼ではなく、
「――まさか、わたしたちを」
 秋子がそう呟いた瞬間、拳大の火球が凄まじい勢いで飛来してきた。
 苦もなくそれを消し去り、秋子は確信した。
 間違いなくいまの呪は秋子を標的として放たれた物だ。
「鞍馬の鬼に当たる前に……。まぁ、余興には丁度いいかもしれませんね」
 その言葉が気に障ったのか、式神の殺気が膨れあがる。
 秋子は懐に収めていた符を数枚取り出し、いまだ姿を見せない敵に向かって口を開く。
「いつまで隠れている気ですか? そんなに殺気を撒き散らしていれば意味もありませんよ」
 悠然と佇む秋子の前に、影だけがじわりと染み出してくる。
「影棲み……使役者の力は侮れない、ということかしら」
 その影は瞬きひとつの間に立ち上がり、ひとの形へと変わる。
 現れたのは二人の少女たち。
 表情があれば愛らしいはずのその姿。
 冷たい瞳と尋常ではない殺気をまとい、まるで命を吹き込まれた傀儡人形だ。
「では、四天の西、水瀬秋子――お相手仕る!」
 
 
 
 さて、その頃名雪はといえば、
「あ〜ん、ここどこ〜」
 さして広くもない屋敷で迷子になっていた。
 母親に言われた通り、舞と佐祐理を呼びに来たはいいが、どこにいるか全くもって不明。
 手当たり次第屋敷を回っているうちに自分の居場所すら不明になる始末。
 迷うほどに複雑な造りはしていないはずだが、名雪にとってはそれで十分だった。
「あっ、いたっ」
 地獄に仏と言おうか、ちょうど裏の竹林から屋敷のあるじたちが姿を見せた。
「川澄さん、倉田さん、お母さんが呼んでるんですけどっ」
 駆け寄りながらひとまず用件を伝える。
 それを聞いたふたりは顔を見合わせ、
「……もしかして、あれのこと?」
「たぶん、そうじゃないかな。舞、外にも居るって感じたんでしょ?」
 舞があれと指さしたのは、年端もいかない少女たちのあられもない姿だった。
 竹林のざわめきの中、申し訳程度に肌を隠す布きれをまとって、折り重なるように倒れているふたりの少女。
 本来はきちんとした身なりだったろうが、いまは見る影もない。
 破れた衣装に、肌に残る痛々しい痣。
「でも、水瀬さんの力はよく知ってるから、たぶん大丈夫だと思うけど」
「……うん」
 名雪にはふたりの会話の意味がわからない。
 が、どう見てもこのふたりが少女たちにあんなことやそんなことをしたようにしか見えなかった。
 事実とは少々異なるのだが、名雪にとってはその目で見ているものがすべてであり、事実。
 現場目撃。
 立ち去るふたりを目撃。
 そのふたりはわたし目撃。
 口封じ。
「わたしも!?」
「……なにが?」
 悲壮な表情で後ずさる名雪を、心底不思議そうに眺める舞。
 年上の女性のそんな仕草に『川澄さんにならいいかも』などと心動かされているとは知らない舞は、
「大丈夫? 顔、赤い」
 と、動物にでも接するかのように視線を下げて、指の背で名雪の頬に触れる。
「……佐祐理、この子熱ある」
「はぇ……名雪さん、お薬飲みますか?」
「だ、大丈夫です、ほんと、なんでもないです」
 名雪は慌てて否定する。
「……そう? でも、気を付けて」
「は、はい……」
 名雪は離れていく舞の指先を名残惜しそうに見つめ、なにやら複雑なため息を吐く。
「それじゃ、水瀬さんのところに行ってみようか、舞」
「うん」
 それを聞いて名雪は「あっ」と声を出し、竹林に視線を移す。
「……あれ?」
 しかしそこには変わった物などなにもない、ただの竹林が広がっているだけだった。
 先ほど見た少女たちは姿形もなく、それはまるで幻だったかのように。
「名雪さん、どうしたんですか? 行きますよ?」
「あ、はい、いま行きます」
 先に進んでいた佐祐理に急かされて、名雪は竹林から視線をはずし、しかしそれでも不思議そうに首をかしげる。
「……願望、とか?」
 
 
 
 名雪が門に戻ると、二枚の符を手に取りじっくりと眺めている母の姿があった。
 そして短く言霊を紡いだかと思うと、一瞬のうちに符は炎に包まれ、燃えかすのひとつも残さず焼き尽くした。
「お母さん、ふたりとも連れてきたけど……」
「ありがとう、名雪。でも、必要なかったかしら」
 佐祐理は肩をすくめ、
「そうみたいですね」
 しかしわざわざ呼びに行かされた名雪は不満げに口を尖らせる。
 早く呼んでこいと言われて連れてくれば、今度は必要なかったとのこと。
 いったい自分はなんなのだろう。名雪はちょっと考え込んでみたりする。
「いまのは、式神ですね。どうして式神が佐祐理たちに?」
「それはわかりません。けど、敵は鬼だけじゃないということでしょうね」
「……そうですね。あるいは――」
 ひとの敵は、鬼ではないかもしれないしれません。
 佐祐理は自分が言おうとしたことにかぶりを振る。
「とにかく、向かってくる者がなんであれ、佐祐理はそれを排除するまでです」
 
 
 
 
 
 少年の手元にあった六枚の符が、音もなく青白い炎となって消えていった。
 それを意外そうに、まるでそのことを予想していなかったかのように眉をひそめる。
「まさか、そこまで力があるひとたちだとは思わなかった……」
 しかしそれでこそ。
「これなら……あのひとたち血なら、門はもっと早く開くかもしれない」
 
 
 
 
 



あとがき

「また百合なの? 百合なの?」
好きだからっ

鼠<ねずみ>
痣<あざ>

実に3ヶ月ぶり
うわ……すごい開いてる
楽しみにしてた方(いるのか?)おまたせしました
次回もいつになるかわかりませんがっ

さて、作中では説明しない四天のことを注釈
四天はそれぞれ四神の名前を冠した、最高の呪士たちのこと
四神というのは、青龍、白虎、朱雀、玄武の四方の方角を司る聖獣
青龍は東、春、青、木
白虎は西、秋、白、金
朱雀は南、夏、赤、火
玄武は北、冬、黒、水
玄武の玄という字は黒っていう意味があります
言われないと「なんで玄武だけ色を示す字がないんだ?」ですよねぇ
ちなみに中央、土用、黄、土を意味する黄龍もあります
四方を守られた形で黄龍(あるいは人)がいるわけですね

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