秋子は、ふぅ、と大きく息を吐いた。
「お守りがなかったら、あのとき死んでいたかもしれないわね」
 懐に手を入れ、青紫の布に包まれた棒状のものを取り出す。
「これがその時の懐刀よ。名雪、あなたにあげる」
「え……」
 差し出されたものを思わず受け取ってから気付く。
「あ、これ……お母さんはいいの?」
「いいのよ。もう、お守りに頼るほど弱くはないから」
 すごい自信だね。名雪はそんな母に戦慄を覚える。
「それなら、いいけど……」
「でもね、名雪。わたしにもなぜこのお守りを見て鞍馬の鬼が退いたのかわからないの」
 秋子は困ったように呟く。
「由緒のあるものでもないし、特に呪が込められているわけでもないのに」
「ふ〜ん……」
 名雪は紐をほどき、包みを開く。
「……綺麗」
 す、と刃を抜き、その美しさに目を奪われた。
 鋼のような無骨な美しさではない。
 洗練され、全てを映し込むように滑らかに磨かれている。
 しかしこれでは、実戦には耐えそうにもない。
「でも……なんでだろう」
「ただ、普通じゃ使わない金属みたいね」
「うん。鉄じゃここまで綺麗にならないよ」
 刃を戻し、布にくるむ。
「……大事にするね」
 形見になるかもしれないし。
 ……とまでは言わない名雪だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鬼月幻想奇譚
    〜 正しい魔物の屠り方 〜

十二ノ門
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 美坂香里は嗤っていた。
 誰も居なくなった妹の寝所にたたずみながら。
「あぁ……どこに行ったのかしら?」
 くく、と喉を鳴らす。
「栞……あぁ、栞。かわいそうに」
 握りしめた拳から、ぽたりと、血が流れた。
 香里の顔からは表情が消え、口元だけを歪める。
 ただ怒り狂うよりも、ひどく闇が濃く落ちる。
「ふふ……あははは」
 かわいそうに。
 あの鬼がまた来たのね?
 あの男の鬼の臭いが残ってる。
 でもこれは鬼の臭いじゃない。
 鼻につく、甘ったるい麝香の香り。
 あの男の匂い。
 あぁ、栞。
 栞、栞、栞――
「鬼……」
 瞳が、紅く、裂ける。
「殺してやる」
 
 
 
 天野美汐は、都とも繋がりのある美坂家の一角に間借りしている。
 当主との面識はまだないが、女中衆を見る限り教育は行き届いており、人望も厚いようだった。
 町の様子も見て回ったが、実によく治められていた。
 それに、と美汐はあてがわれた部屋を見渡す。
 豪華な家具、調度品がずらりと並び、とてもではないが美汐に手の届くものではい。
 しかもそれらは実用品だ。
 ただきらびやかな見た目だけではなく、使い勝手もきわめて良い。
 もし壊してしまったらどうしようか。美汐ははらはらとしながら使ってた。
 板張りの床の上に二枚の高麗縁の畳、そしてこれもまた豪華な刺繍の施された褥に美汐は腰を下ろす。
 どうにも心地がつかない。
 あまりにも身分不相応な部屋に気後れしてしまう。
「……気にしても始まりませんね」
 軽く息を吐き、懐から書簡を取り出す。
 この町に来る前に調べさせていたものだ。
 それがつい先程届けられた。
「これは……やはり、おかしいですね」
 美汐はびっしりと文字の書かれた書簡に目を通しながら唸った。
 そこには今年を含め過去十年の鬼の目撃例、事件件数が書かれている。
 加えてそれによる死傷者と、鬼に関係すると思われる行方不明者数も記されている。
 十年から五年前。わずか一件の目撃のみ。
 四年前から二年前。目撃五件、死傷者は一名。
 一年前。目撃一三件、死傷者三名、行方不明一件。
 そして今年、今現在の記録は――
 目撃、百二十五件。死傷者、五十三名、行方不明、百七十三件。
 まだ半年も経っていないというのに、この数値。
「……ん?」
 今年に入ってからの月ごとの詳しい数値に目を止めた。
 一月。過去の数値とあまり変わりなく、まだ目撃例も事件件数も少ない。
 二月、三月、四月、五月、六月と月が進むごとに、異常なほど数値に変化が表れている。
「このままだと、大変なことになりそうですね」
 美汐は再び唸る。
 鬼狩りは確かに効果はあるだろう。
 しかし結果のみを排除しても、原因がわからない限りそれは繰り返されてしまう。
 匂いは元から絶たなければ消えることはないのだ。
「町の者ではここまでが限界でしょうし……」
 ぱたぱたと折り畳み、懐に仕舞う。
「……結局、私が動くしかないんですよね」
 さてどうしようか、と思案していたところに、
「天野様、ご用意が整いましてございます」
 御簾の向こうから声がかけられた。
「はい、ありがとうございます。今そちらに」
 美汐はよっこいしょと立ち上がり、部屋から出る。
「こちらです」
 女の案内で母屋を離れ、中庭を通って表門まで来る。
 そこには美汐と同じ、あるいは少し上の歳の少女が三人、狩衣を纏った姿でたたずんでいた。
 調査のためにひとを借りたい、という美汐の申し出を受けて、美坂家が選抜した呪士だ。
 ただの呪士ではない。誰もが目麗しい。
 美坂家当主が少女を囲っているというのは噂だけではなかったかもしれない。
 美汐の頭に不埒な考えがよぎった。
 す、と目礼すると、少女達は驚いたように慌てて頭を下げる。
「あ、いえ、私はただの呪士ですから……そこまで畏まらなくともいいのですが……」
 くす、と美汐を案内した女中が笑みをこぼす。
「この子達は『都の奴なんて、どうせ偉そうに顎で命令するんだろ』とでも思っていたのでしょう」
「そそんなことはっ」
「そ、そうですよっ」
「……っ」
 三人が三人とも顔を赤く染める。図星だったようだ。
 たしかに中にはそういった人間もいるが、都の全部がそういうわけでも、と美汐は思う。
「私は身分としてはあなた方と変わりません。友人に接するようにして頂ければ」
『は、はいぃっ』
 前途多難です。美汐は頭を抱えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 町は既に夜の帳に包まれ、月明かりだけが辺りを照らす。
 少しばかり広めの庭のある屋敷に、舞と佐祐理は数人の下働きの女性達と暮らしている。
 鬼狩りなどという危険極まりないことを生業としているため、懐具合は悪くはないのだ。
 鉤型になった屋敷の南端に、舞と佐祐理の部屋はある。
 向かいには小さな池と、裏手には竹林。
 今も風に揺られた竹が、ざぁざぁとその体を揺らせている。
 時折遠くから遠吠えも聞こえる。
 舞は視線を外から室内へと移す。
 横になった友人の額に、濡らした布をそっと置く。
 桶に浸したもう一つの布を絞り、微かに痣になった首筋を拭う。
「ん……」
 僅かに身じろぐ。
「佐祐理?」
「……舞」
 ゆっくりと瞼を開く。
 焦点の定まらない、ぼんやりとした視線を辺りに向ける。
「ここ……いたたっ」
「動かないで」
 体を起こそうとした佐祐理の肩を押さえ、褥に戻す。
「うん……」
 舞の言葉に素直に従う。
 体を動かす度に痛みが駆け抜ける。佐祐理は顔をしかめる。
「舞、わたし……どうして」
 舞は言いづらそうに目を伏せた。
 ぽつぽつと断片的にだが、舞は話し出す。
 佐祐理が負けたこと。
 舞が鞍馬の鬼と戦ったこと。
 そしてここに佐祐理を運んできたこと。
「わたしがここにいるっていうことは、勝ったんだよね、舞」
「……ん」
 言葉を濁す。
 舞はどうしても鞍馬の鬼に勝利したとは思えなかった。
 頭を冷やして思い起こせば、鞍馬の鬼の言動が奇妙なものに映ってしまう。
 それがなにかはわからない。違和感だけが残っている。
「舞……?」
「……うん、勝った」
 佐祐理に心配をかけたくない。だから舞は心にも思っていないことを口に出す。
「勝った。だからもう、佐祐理があんなことをする必要はない……」
「あ……うん、ごめんね、舞」
 舞は佐祐理が居なくなることに、異常なほどの恐怖心を抱いていた。
「ほんとに……殺されたかと思って……」
 ぐしゅぐしゅとしゃくり上げ、瞳に涙をためる。
「あ、あ、舞、泣かないで……ほら、まだ死んでないから、ね?」
 佐祐理は痛む体を起こし、額の布で舞の目元を拭う。
 舞はされるままにして、ぐしゅぐしゅとしゃくり上げる。
 いつまでたっても泣きやまない親友に困り果てる佐祐理。
「舞、ねぇ、お願いだから泣かないで。佐祐理のお願い」
「……うん」
 ぐいっと袖で目元をこすり、涙を拭う。
 それでもまだ涙目ではある。
「佐祐理は……どこにも行かない……?」
「いかない。舞と離れるのも嫌だよ」
 佐祐理はそっと、舞の頭を胸元に引き寄せる。
 舞は応え、佐祐理の背に腕を回す。
「佐祐理……」
「なに、舞?」
「私……弱いけど。弱いけど、佐祐理を守る」
「うん……」
「佐祐理と……ずっと、ずっとずっと一緒にいる」
「うん……」
「ずっと一緒……」
「舞……」
「佐祐理は……いや?」
「そんなことない、すごく、嬉しい」
「……ありがとう佐祐理」
 舞は深く佐祐理の胸に顔を埋めながら言う。
「佐祐理……好き。一番、好き。犬さんよりも、猫さんよりも……大好き」
 佐祐理はそんな舞が愛おしくてたまらない。
 こんなにも自分を思ってくれている友人に黙ってあんな事をしてしまった自分が恥ずかしい。
「わたしだって……舞が好き。一番好き。この前雇った娘もよかったけど……やっぱり舞が大好き」
「佐祐理ぃ……」
 再び舞はぐしゅぐしゅとしゃくり上げはじめた。
 ぽんぽんと背中を撫でて、佐祐理は舞をなだめながら横になる。
 穏やかな風に揺られて、裏の竹林がざわめく。
 耳に心地よい笹の音を聞きながら、ふたりは寄り添うようにして眠りに就いた。
 
 
 一部始終を覗き見していた新米女中が、鼻血を吹いて眠れぬ夜を過ごしたことをついでながら記しておく。
 
 
 
 
 


いいわけっていうか

平安白百合耽美譚(違
……いや、すごくいいかも。

麝香<じゃこう>
女中衆<じょちゅうしゅう>
 和製メイド軍団(ぇ
鉤型<かぎがた>
 L字形ということ

いや……なんでそっち方向に進んでしまうんだろ。
一回大幅に削除して書き直したんですが。
う〜ん、まぁ、修正前はもっとやばいことになってましたから、よしとしましょう(汗
にしても香里はどうにもこうにも。
出るたびに物騒な科白ばっか。
どんどんやばくなるというか、香里派の方々にお叱り受けそうというか。

さて、次回は……どうしましょうかね。
祐一ダウン中ということで全鬼護鬼との出会いの部分でも書こうかと思いましたが。
外伝っぽいので別に書いたほうがいいでしょうか、これは。
特に護鬼はこのSSでは異質なキャラですし。金髪碧眼少女。
バックストーリーも用意してたりするんですよね。使いませんが。
それ書くとSSとは言えなかったり。kanonキャラ出演皆無。
完璧オリジナルの奇伝ものになっちゃいます。ファンタジーではなく。
奇伝というか、舞台が海外から始まるから……なんだろ?
……まぁ、今はいいや。

 

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