十日前に起こった美坂家の襲撃事件は瞬く間に町中に広がった。
 襲撃者は鬼三匹。
 そしてそれを、当主である美坂香里がひとりで撃退。
 その評判も同時に広がる。
 しかしそれを好ましく思わない者もいる。
 噂の張本人、美坂香里である。
 撃退どころか、たったひとりの鬼にすら相手にされなかった。
 眠り続ける妹の傍に座り込み、唇を噛む。
 死んだはずと思っていた栞は、生きていた。
 しかしそれだけだ。
 あれから十日。
 栞は目を覚ますことなく眠り続けている。
 息もほとんど無く、鼓動もきわめて弱い。
 これで生きている方が不思議だが、香里はそれでもよかった。
「まだ……生きてるんだよね……」
 しかし、このままの状態が続けば微かに残った命の火も消えてしまう。
 させない。
 そんなことは、絶対に、させない。
「今度こそ……今度こそ、お姉ちゃんが助けてあげる」
 腰に吊した太刀を握りしめる。
「あの鬼を殺して」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鬼月幻想奇譚
    〜 正しい魔物の屠り方 〜

六ノ門
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 帝直属の高位呪士のひとりである天野美汐は考えていた。
 なぜ私がこんな辺境の、ちっぽけな、甘味処すら見掛けない町へ来なければならないのか。
 こういった事は、末端のヘボ呪士にでも任せておけばいいんです。
 ぶちぶちと小言を言いながら、町へ続く街道をひた歩く。
「……ん?」
 目的地まであと半里ほどというところで、奇妙な三人組が目に入った。
 ひとりはすすけた狩衣を纏った男性。
 ひとりは黒髪を腰まで伸ばした日本的な美しい女性。
 ひとりは緩やかに波打つ金色の髪を肩に掛かるくらいに伸ばした少女。
 その三人が車座になってなにかをしている。
「なんでしょうね……」
 特に目を引くのは金色の髪の少女だ。
 日差しを受けきらきらと輝くように流れている。
 素直に美しいと思える。
 しかし、金色の髪を持つ人間など聞いたことがない。
「鬼?」
 そう口に出した瞬間。
 凄まじい爆発音と共に閃光が辺りを覆う。
 遅れて大地が揺れ、衝撃波と風が吹き抜けた。
「……ごほっ」
 ……一体なにが?
 三人組を見てみると、男性は大きく飛ばされて大の字になって伸びている。
 女性二人は何事もなかったかのように、爆発でむき出しになった地面に座っていた。
 そして女性達が立ち上がり、男性の方に歩いていき、再び座る。
 伸びた男性になにか呟き、その男性も起きあがり、ぱんぱんと体を叩き埃を落とす。
 男性が呪を唱え、三人の中央に光る球体をいくつも作り出した。
 それらはお互いに引き合いながらくるくると回っている。
 初級の呪、光環だ。
 一番簡単で、明かり程度にしか使えないため呪の練習によく使われる。
 ……ということは、先程の爆発は暴発でしょうか。
 美汐はそう考える。
 呪というのは繊細なもので、制御を誤ればすぐに暴走してしまう。
 用途は主に鬼との戦闘だ。
 実践でそのようなことが起これば、それは即、死を意味することとなる。
 従って呪を使いこなすにはそれなりの修練が必要なのだ。
「……ふぅ。見ていられませんね」
 年は若いが、何人かの呪士の世話をしている美汐はああいった呪の初心者には弱い。
 いつの間にか『師匠』と呼ばれていたことも何度かある。
 美汐がその三人組に近付くまでに更に二回、大地が震えた。
 
 
「……御主人」
「あ、なに。今話し掛けるなよ。また吹っ飛ぶぞ」
 御主人と呼ばれた男は、手のひらの上で光球を操りながらぶっきらぼうに言う。
「誰か来ます」
「ふ〜ん……」
 いくつもある光を、ひとつ、ふたつと消していく。
 音もなく蛍のような残光を散らせる。
 仄かに瞬く光球は儚く、それでいて美しく瞳に映る。
 人の目を楽しませるために呪を使う者も居るくらいなのだ。
 最後のひとつを消すと同時に声が掛けられた。
「あの……」
「なにか?」
 黒髪の女――全鬼は振り返りもせず答える。
「ここは危険です。早々に立ち去ることをお勧め致します」
「…………どういう意味だ」
「言葉通りの意味です」
 祐一はぐっと言葉に詰まる。
「あ、いえ……危険そうでしたから、私もお手伝い出来ればと思ったのですが」
「君が?」
「はい。一応、都で呪を学びましたので」
「しかしな……」
 顔は渋っているが、祐一は内心喜んでいた。
 全鬼と護鬼はきわめて分かりやすい教え方で嫌気が差している。
 つまり『やって覚えろ』この一点のみ。
 失敗しようが爆発しようが空高く舞上げられようがお構いなし。
「痛くしませんよ」
「……それじゃ、お願いしようかな」
 全鬼と護鬼の眉がぴくりと動く。
「はい、お願いされます。それでは――」
 呪という不思議な技術は古くから伝わっている。
 何百年も練り続けられた呪。
 現在ではその発動法はほぼ確立され、それを学べば誰でも呪を使えるまでになった。
 ただし、それにはやはり才能というものが必要だったが。
 絵を描くには絵の才能、剣を極めるには剣の才能が必要なように。
 それらと同じく、才能が無くても呪は使えるが、力の差は歴然としている。
 美汐の見立てでは、この祐一という男の才能は普通より少し勝る程度。
 そしてそれを遙かに上回る力。
 内包している力の制御の仕方を知らず、不必要なまでに力を放出し、制御に失敗。
 そのために、先程のような大きな爆発が起こっていたのだろう。
 高位の呪を唱えるには修練と才能が必要だが、初級の呪でもこれほどの力があれば結構な威力だ。
 実践で使えるようになるまで四年はかかるけれども。
「――というわけです。つまり呪というのは五つの行程を経て」
「あ、すまん。そこはいいんだ」
 祐一が美汐の演説を遮る。
 む、と口を尖らせて不満を露わにする。
「基本です。これをよく覚えておかないと呪は使えませんよ」
「いや、基本は分かるんだ。大体の呪の知識は持ってる」
 美汐は不思議そうな顔をする。
「それでどうして呪が使えないんですか」
「あぁ……呪はこのふたりに頼りっきりだったから。
 何をすればいいかは分かるけど、どうしていいのか分からない」
「……難儀ですね」
「制御方法とか、言霊の文法とか」
「そうですね……それじゃまず言霊を教えましょう」
 言霊というのは言葉に宿る力のことだ。
 呪は言霊と要素のふたつで発動する。
 要素は力を現実世界に発現させる呼び水。言霊は力に指向性を持たせる。
 言霊がなければ、力は漠然とした『力』として放たれ、なんの意味も成さない。
 行使者が言霊により力を変異させ、初めてその効果を現す。
「基本的に言霊はなんでも良いんですが、これまでに先人達のあみ出した呪は手本になりますね」
 そう言って美汐は呪を唱える。
「戦き風、吹きて揺る。風清」
 ふわ、と美汐の手のひらから優しい風が生まれる。
「言霊は基本的に今のような形式をとります。形、効果、名の順です」
「ふむふむ」
「形はその呪がどういうものなのか。効果はそのまま、どういう効果を現すか。名は呪の名前です。
 この形式をとらなくても呪は発動しますが、威力は劣ります。
 定型の呪は効率よく発動させるために作られていますから。
 五行、要素、言霊、その他全てをひっくるめて『呪』と呼びます。面倒ですからね」
 それを聞いて祐一は首を捻る。
「短い言霊で強力な呪は撃てるのか?」
「まず無理でしょう。強力な呪は言霊も長くなりますし、略式で発動しても大した威力にはなりません。
 まぁ、よほどの力を持った鬼みたいな人がいれば別でしょうけど」
 なるほど、あの女は鬼みたいだったからな。祐一はひとり納得する。
「御主人。美坂香里は人です」
 狩衣の端をつまんでそっと話し掛ける。
「……そうか」
 こうして時々考えたことが伝わってしまうのは考え物だな、と祐一は嘆く。
「…………?」
 美汐はなんのことか理解出来ていなかった。
「定型の呪は覚えておいて損はないです。暇な時にでもこれをどうぞ」
 美汐は懐から薄い冊子を取り出す。
「一通り書いてあります」
「ふ〜ん……」
 祐一はぱらぱらとめくる。
「ありがと。もらっとくよ」
「さ、次は制御法です。こちらはちょっと難しいですよ?」
「臨むところだ」
 こうして祐一は優秀な教師を得て、今までの五年分の成果を一日で越えるまでに成長する。
 ……今での五年分の成果は、限りなく零に近かったが。
「で、これをこうして――」
「え? あ、ちがっ」
 どこまでも青い空に、この日十度目の快音が轟いた。
 
 
「わ……また揺れた」
 祐一の隣に住む水瀬秋子とその娘、名雪は洗濯物を干しながら辺りを見回している。
「この頃変なこと多いよね」
「そうね……」
 秋子は頬に手を当て思案する。
 たしかにこの頃おかしな事が多い。
 美坂家の襲撃、頻発する鬼による被害、そしてこの地震のような揺れ。
 ……揺れは隣人の仕業なのだが、秋子はそれを知ることはない。
「なにも無ければいいんだけどね……」
 しばらくは何事もなく(何度か揺れはしたが)、家事に集中出来た。
「お母さん。干しかた終わったよ」
 その時、どんどんと戸を叩く音が聞こえた。
「あら、誰かしら」
「あ、わたしが出るよ」
 名雪はそう言って表へ行く。
 戻ってきた時、その手には一枚の紙が握られていた。
「はい、これ」
「わたしに? 誰かしら……」
「わかんないけど。なんか偉そうな人だったよ」
 書かれた文字を目で追っていく度、秋子の表情は険しくなっていく。
「お母さん……?」
「……召集令」
 秋子はぽつりと言う。
「召集令?」
「鬼退治よ、名雪」
「え……」
 秋子は小袖を脱ぎ捨て、直衣を身に纏う。
 その行動の早さは並ではない。名雪が慌てる。
「あ、ちょ、ちょっとまってお母さん。早い早い、あ、あ、わたしの服は……あれ、どこ?」
 櫃の中をひっくり返し、わめき立てる。
「え〜と、え〜と。お、お母さん? あれ、い、行っちゃった?」
 戸を見るが、そこには誰もいなかった。
 開け放たれたその戸から表の様子が見て取れる。
 がやがやと、いつもの風景と変わりはない。
 小袖の前をはだけた格好で、名雪は母の居なくなった戸の向こうを凝視していた。
「…………だお」
 せめて閉めてから出かけようよ、お母さん。
 隣人の相沢祐一が、呆れた顔でこちらを一瞥して通り過ぎていった。
 見られた。多分、上から下まできっちり。
 それでなんの反応もない隣人を少し恨めしく思う名雪だった。
「たしかにお母さんは祐一にご熱心だけどね。少しはわたしにもおこぼれ頂戴とは思うよ?」
 すぱ〜ん、と盛大な音を立てて戸を閉め、狩衣に腕を通す。
 どうにもならないこの思いを、がすがすと床にぶつけた。
 隣から祐一の怒声。
「う……壁越しでもいい声してるよ、祐一……」
 声の内容はきわめて良くなかったが。
 
 
 
 
 


うんちく的あとがき

かおりん復讐を誓う、の巻き(違

車座<くるまざ>
 数人が輪になって座っている状態
儚い<はかない>
 人の夢の書いて(笑
戦き<そよき>
櫃<ひつ>
 衣類などを入れておく箱

呪に関する記述が多かったですね……
くどかったでしょうか。
さて、kanonヒロインは一通り出――あゆが出てませんね。
あゆあゆは、終盤にしか出ないかもしれませんです。
妄想具合でどうなるか分かりませんけど。
男性陣。北川、久瀬とかは出そうか思案中。
オリキャラも出そうだし……どうしようかな。
作中の祐一は強力な呪を使えるわりに初心者だったりと矛盾した記述もありますけど、理由があってのことです。
いくつかヒントのようなものも出てます。

さて、今回のうんちくは……
う〜ん、ネタがない。
特に展開がありませんでしたからねぇ。
今回はパスします。
ここ見てる方で知りたいことありましたらメールなりで聞いていただければ、うんちくで答えようかと。
といっても本編とはあまり関係ないミニ知識みたいなネタですけど。
まぁ、多分来ないんだろうな〜と思いつつ。
以下次回。
 
 

SS index / this SS index / next 2002/05/18