「舞、そっちは居た?」
「居た、けど逃げられた……」
 俺は物陰に潜み、聞き耳を立てる。
 荒くなった息を整え、気配を殺す。
 ――くそっ
 なんなんだ、こいつら。
「ふぇ……舞の結界から逃げたんですか? やりますね〜」
「はちみつくまさん……一筋縄じゃいかない」
「隠形は使ってたの?」
「使ってた……でも、結界に触れた瞬間にばれてたと思う」
「舞の結界は特別製なんですけどね〜」
 さっきの嫌な気配はあの女の結界だったのか。
 護鬼の奴が注意しておけと言ってたのはこの女の方だな……
「『鞍馬の鬼』の名は伊達じゃない」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鬼月幻想奇譚
    〜 正しい魔物の屠り方 〜

一ノ門
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 頬に一筋、冷たい汗が伝う。
 漆黒の艶髪を後ろで束ねた、背の高い女。その腰に帯びた二本の太刀。
 あの時、あと一歩踏み込んでいたら俺の首は胴体と別れを告げていたかもしれない。
 足運び、気配の殺し方、全てがあの女が一流であることを示している。
「……佐祐理、もう一度結界を張るから」
「う〜ん、効果は薄そうですけどね……」
「触れれば何処にいるかは分かる。やらないよりはいい」
 舞と呼ばれた女は指を組み、印を結ぶ。
 ――やばいっ
「怨」
 そう呟いた瞬間、気配が吹き抜ける。
「――居た」
 くそっ
 俺は隠形を解き、物陰から飛び出す。
 結界の中に居たのでは隠形も意味を成さない。
 女に背を向け、路地をひた走る。
 真正面から向かってもいいのだが、それではあいつらを殺してしまうかもしれない。
 選択肢は逃走しかないと言う訳だ。
 ……なんで、俺が、こんな苦労を、しなければならないんだっ!
 ただ静かに暮らしたいだけだというのにっ!
 ちらりと後ろを覗く。
 遅れてはいるものの、しっかりと付いてきている。
「佐祐理、捕縛呪」
「は〜い」
 今度はもうひとりの、ふわふわとした女が印を結び、呪を唱えた。
「呼び出したる蛇、彼の者を捕らえる。縛蛇」
 女の足元から紐のような影がズルリと這い出す。
 そしてそれは迷うことなく俺に向かってくる。
「あぁっ、もうっ!」
 俺は紙一重でそれを避け――たと思ったら、影は首を返して再び向かって来た。
 くそっ
 印を結び、呪を唱える。
「来るは闇、去るは光。全ては無に。華散」
 ぼしゅ、と言う音と共に影の頭が吹き飛ぶ。
 続けて幻惑の呪。
「霧と夢、誘いて迷う。夢幻」
 さぁっ、と濃い霧が立ちこめる。
「白き風、吹きて来たれ。想風」
 女の唱えた呪に、俺の作り出した霧はあっけなく風に流された。
 恐らくふわふわした女は高位呪士。
 今の俺では歯が立ちそうにもない。
「となると武器武器――って、持ってねぇよ」
 俺は武器の類は持ち歩かないんだった。
 全て全鬼が持っている。そして全鬼は今睡眠中。
「あぁ、くそ」
 迷路のような裏路地を走りながら考える。
 不意を突いて逃れるしかなさそうだ。
 どうする、どうすればいい?
「銀なる光、奔りて貫く。糸槍」
「うおっ」
 耳元を凄まじい勢いでなにかが吹き抜けた。
 体勢が崩れ、よろけてしまう。
「せいっ」
 ひゅぅ。不吉な風切り音がして、指貫の端が斬られる。
「ちっ」
 舌打ちしやがった。
「おい女、後ろからとは卑怯だぞ」
 逃げている俺に言えた義理ではないが。
「なら逃げるな」
 ごもっともな意見だがな、誰のために逃げてると思っているんだ。
 体を沈める。女には俺が消えたような錯覚を起こしているだろう。
 一瞬の動揺をつき、足を刈り払う。
「あっ」
「憂き空、災いと痛み。禍刻」
 黒髪の女が転んだ隙にもうひとりの女に向かい呪を唱える。
 宵闇を切り裂くように飛翔するひとつの影。
「え」
 がっこ〜ん
 どこから飛んできたのか、大きな木桶が脳天に直撃する。
 いい音だ。
「は、はぇ〜っ」
「……佐祐理、逃げられる」
 当たり前だ。
 ふたりが動揺と痛みに転がっている隙を突き、俺は身を縮めて上へと跳躍する。
 木製の屋根に移り、ため息を吐いてふたりの女を見下ろす。
「なかなか強かったぞ、おふたりさん。あぁ、それとひとつ聞きたいんだが……」
 俺は印を結び、いつでも迎撃出来る体勢を作る。
「……なに?」
「鬼さんから質問ですか〜……いたたぁ」
 ……このほんわかとした空気はなんだというのだ。
「なぜ俺を追い回す。ここ最近、悪さはしていないと記憶しているぞ」
 ふたりはようやく立ち上がり、俺を見上げる。
「……私は鬼を討つ者」
 伏鬼の血筋か……
 道理で結界の精度も高いわけだ。
「懸賞金が懸かってるんですよ、鬼さん全部に」
「全ての鬼にか?」
「はい、そうですよ」
 ……無駄なことを。
 この町には金が溢れているのだろうか。
 俺は細々と毎日を遣り繰りしているというのに。
「……ちなみに貴方には金二五〇両」
「なんだとっ!!」
 に、に、に、二五〇両……なんだ、それは……
「まぁ、『鞍馬の鬼』には妥当な線でしょうね〜」
「……もうひとつ。なぜ俺が鬼だと分かるんだ。ただの勘違いかもしれないぞ」
「あはは〜、舞は伏鬼士ですよ〜」
 ……それもそうか。
 伏鬼士が鬼を見分けられなかったら廃業確実だな。
「他にもこの町には伏鬼士が居るのか?」
「居ませんよ、ね〜、舞?」
「……居ない。この町には私ひとり」
「そうか……じゃあ、おまえら以外にはまだばれていないと言う訳か……」
「……どういう事?」
 印を結び直す。
「知らなくて良い事もある」
 そして呪を唱える。
「深き夢、悦楽へと誘う。淫夢」
 うぉん、と耳鳴りのような感覚。
「く……」
「ふぇ……何をしたんですか?」
 その言葉には答えず、背を向ける。
「俺の平穏な日々を邪魔するな。今度来たら容赦しないぞ」
 屋根から彼女達の反対側に飛び降りる。
 ふぅ……町中の裏路地を走り回ったおかげで疲れたな……
 帰ったらゆっくりと湯に浸かろう。
 そんなことを考えていると表通りへと戻っていた。

 ――しかし。
 首に賞金を懸けてまで鬼を滅ぼしたいか、帝。
 ……まぁ、俺には関係ない。
 あの二人に注意さえすれば事は済む。
 それよりも問題なのが……
「祐一〜、遅いよ〜、何やってたの?」
 ……この隣の住人だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「舞、あの鬼さんの呪、なんだか分かった?」
「……分からない。声も小さかったから、聞き取れなかった」
 二人の少女は不安そうな顔で夜道を歩く。
「変な呪とかだったら嫌だね」
「……多分、大丈夫」
 黒髪の少女はそう言いきった。
「なんで?」
「そう言う卑怯なことはしそうじゃない。来るなら、正面から来る」
「ふぇ……じゃあ、なんだろうね……」
「……分からない」
「う〜ん……悩んでても仕方ないね」
「はちみつくまさん」
 暗い路地から表通りに出ると、ふたりは足を止める。
 大きな布の髪留めをした少女が右の方を指さす。
「佐祐理は今日の分、換金しに行って来るね。舞は先に帰ってて」
「……分かった。気を付けて」
「大丈夫だよ、舞」
 ぽんぽんと肩を叩き、小走りに雑踏の中に消えて行く。
 それを確認すると、黒髪の少女は左の通りに足を向ける。
 
 
 一刻も歩くと、人影もなく闇が一面に広がる広場に出た。
「……いつまで付いてくる気?」
 その言葉が鍵となったかのように、少女の後ろの闇が一層濃くなる。
 それは徐々に人の形を取り、そこにあるものとして認識出来るようにまで形作られた。
「……ばれていたようだな」
「臭いんだ、お前のような鬼は」
 影は姿を現す。が、現れたのは端整な顔立ちの青年だ。
 鬼と呼ばれる異形の者ではない。
「臭い……か。これでも毎日風呂に入っているのだがね」
「無駄な努力」
 切り捨てるように言う。
「……そんなことはどうでも良い。用件は分かっているのだろう?」
 眉をひそめ、確認するように問いかける。
「……用件?」
「なんだ、分からないのか? ……まぁ、どうせ死ぬんだ。気にするな」
 男は右腕を突き出すと、それに力を込める。
 びき、という音と共に肌がどす黒く変色していき、異形の腕へと変化した。
「……勝利は常に正しき者に」
 少女はそう呟き、すらりと太刀を抜く。
 薄明かりに蒼白く光を放つ刃。
 ひゅっ、と一振り。
「ならば俺が正しきものだなぁ」
 ぎちりと、嗤う。
「伏鬼士川澄舞……推して参る!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
解説という名のあとがき
 
コメディっぽいサブタイトルですが、内容はハードなバトルものです(本当か?)
飛び散る血と汗とその他! 血湧き肉躍るチャンバラ!
決して交わることのない人と鬼! 飛び交うスタイリッシュな科白! 
和モノ大好きDEATH!
……こんなSS書ければいいなぁ。
あ、私は祐一最強主義ですので。
でも、展開によってはどうなることやら……

閑話休題。
ここでは用語の簡単な解説、舞台背景、うんちく等を適当にのせます。
このSSではルビは振りませんので、漢字の読み方も。

鬼月幻想奇譚<きげつげんそうきたん>
 タイトルです ちなみに”屠る”は”ほふる”と読みましょう
隠形<おんぎょう>
 呪や技術によって身を隠すこと
呪<じゅ>
 のちのちSS中にて詳しいことが書かれます
伏鬼士<ふくきし>
 まんま 鬼を伏する一族 特殊な訓練を積んだ者だけがこう呼ばれる
 このSS中には舞ひとりだけしか存在しません
帝<みかど>
 都を治めているえらいひと

舞台は平安時代の片田舎。
都のように華やかなところではないけど、それなりに栄えている町を舞台に物語は進みます。
この世界には鬼は当たり前のように存在します。
それを退治して糧を得る人達は鬼狩師などと呼ばれます。

平安時代のひとは滅多に風呂に入らないそうな。
風呂の様式は大体が蒸し風呂。
舞に挑んだ鬼は綺麗好きなのだ。

今回はここまで。
2話公開に先駆けて、改訂と解説を加えました。
本格的に更新再開しますので、近いうちに2話目もお目見えします。
では、次の門が開かれるまでお別れです。


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