げき いもうと
 〜うさぎが鳴く理由(わけ)

 
 
 
 
「……にぃちゃんの趣味はよくわからん」
 兎萌が俺のベッドに寝ころびながら呟く。
 俺は床にクッションを敷いてベッドに寄りかかり、先日買ってきた本を読んでいる。
「……女の趣味とかか?」
「ん〜、まぁ、近いっちゃ近い。これのなんだけど」
 そう言って俺の目の前に開いた本をかざす。
「エロ本」
「見てんじゃねぇよ!」
「取んなよ! まだ見てんだぞ!」
「少しは恥じらえ!」
 がば、と兎萌はベッドの上から俺に飛びかかる。
「返せ!」
「これは俺んだ! 返すもくそもあるか!」
 ぎゃーぎゃーと騒ぎながら本を取り返そうと暴れ続ける。
 が、基本的に兎萌は体力がないからこういったことは長くは続かない。
 そして案の定、1分もしないうちに、飛びかかったままの格好でぐったりと倒れ込んだ。
「はふぅ、はふぅ〜〜。う〜〜、疲れたさ〜……」
「……少しは体力付けろよ、うさ」
「付け方しらん〜」
「運動しろ。走り込みだ、走り込み」
「すぐ疲れて休むことになるから、あんま意味ない〜」
「んじゃ水泳だ。県営だけど、近くにかなり立派な温水プールやってるところあるぞ」
「かなづちなんだよ〜」
「…………」
 体力ないやつはなにやっても無駄なのか?
「基本的に文学少女だし〜」
「うそつけっ」
 とんとんとドアを叩く音。
「祐一? なんだかばたばたうるさいけど、どう……し、たの……」
 名雪がドアを開け、隙間からあたまを覗かせて固まる。
「ふふふふふけつだよ! きょ、きょ、兄妹でなんて!」
 ばぁん、とでも擬音を付けたくなるくらいに勢いよくドアを開け放つ。
 兎萌は俺の右腿を自分の太股で挟み込むようにして俺にもたれかかっている。
 見ようによっては、俺が襲われているか、兎萌が俺を誘っているようにも見えなくもない。
「……あぁ、そうか。うん。それもいいかも」
 兎萌は否定するでもなく、離れるでもなく、ただ奇妙な相づちを打っただけ。
 というかいっそう密着したようにも感じる。
「あ゛〜〜〜〜!」
 すりすりと俺の胸に頬ずりする兎萌。
 兎萌の背中に張り付く名雪。
「おわっ、なにするか名雪ちゃんっ」
 ずぼっと兎萌を俺から引っこ抜く。
 そのまま背を反らせば、強烈なスープレックスがきまりそうだ。
「なにするか、じゃないよ! ていうか兎萌ちゃんがなにするかっ!」
 名雪がよく分からないことになっていた。
「いいじゃんよ〜、ひさしぶりなんだよ〜、ふれあいがほしいんだよ〜」
 そう言って寂しそうに俺の方に向かってふらふらと両腕を彷徨わせる。
 声も微妙に涙声だった。
「あ、そ、そう……そう、だよね……。兎萌ちゃん、ずっと祐一と離ればなれで……」
「オレがにぃちゃんと契れば一生オレのもんになるのさ〜」
「させないよ!」
 前半で丸め込まれそうになった名雪がいきなり怒鳴る。
「兎萌ちゃんと祐一は血がつながってるでしょ!」
「つながってようがつながってまいが、あんまし重要じゃないさ〜」
「重要重要! ていうか重要だから法律で規制されてるんでしょ!」
「にぃちゃ〜ん、にぃちゃ〜ん」
 なおも弱々しく腕を彷徨わせる。
 う〜ん、いいコンビだ。
 見てるだけで飽きない。
「ゆ、祐一も、ほら、兎萌ちゃんに言ってやってよ! なにのんきに寝っ転がってるの!?」
 いいかげん名雪が危ない。
 もう、いろんな意味で。
「ん〜。うさよぉ、そろそろいいと思うんだがなぁ」
「え〜、もうちょいと遊びたい〜」
「……だと、名雪」
「真面目にぃ!」
 あ、切れそう。
「うさ、うさ、時間は腐る程あるだろ? 別にいま遊ばなくてもよくないか?」
「……あぁ、うん。それもそうか」
 あっさり鎮まる。
 変わり身の早さに、名雪は兎萌の腰に手を回したまま呆けてしまった。
「あら、おじゃまだった?」
 開きっぱなしの部屋のドアの向こうに、秋子さんが微笑みながら立っている。
 その視線の先には、兎萌を後ろから抱いてる名雪の姿。
 うん、お耽美。
「……あ、名雪ちゃんって、そっち系だったんだ」
「ちがうちがう! 全然ノーマル!」
「え〜、でも秋子さんのその反応って、娘のこと分かってるからなんじゃないの?」
「お、お母さん!」
「了承」
「了承、じゃなくて!」
「名雪が幸せになれるんなら、恋人の性別なんて関係ないわよ」
「あるある! 思いっきりあるよ!」
「オレは別に、愛は自由でしかるべきかと思うけど」
「いやっ、よけいな事言わないで兎萌ちゃん!」
「了承」
「了承、じゃなくて!」
「認証」
「兎萌ちゃんは言わなくていいから! しかもなに気にアレンジしてるし!」
「認知」
「だから兎萌ちゃんはよけいなこと言わないで!」
「あらあら。認めないつもりなの?」
「女同士だし女同士だし!!」
「名雪、だからって認知しないわけには……」
「するもしないも、できないでしょ!?」
「ひどいっ! あの夜はあんなにも私のことを愛してるって……!」
「会ったの昨日初めて初めて!!」
「名雪、けじめだけはつけなさい」
「っっだお〜〜〜〜〜!!」
 名雪はすごいことになりました。
 
 
 
 
 
「暇だな〜。名雪ちゃんからかうのも飽きちゃったしさ〜」
 名雪は自室のベッドでむせび泣いている。
「おまえ絶対性格悪いし」
 俺と兎萌はリビングに下りて、まったりとした午後のひとときを満喫中。
 ずず〜、とコーヒーをすする。
 豆から挽いた秋子さんオリジナルブレンドは、俺の好みに合わせて淹れてある。
 なんでもできるんだな、秋子さんって。
 料理も合わせれば喫茶店開けるぞ。
「だって、名雪ちゃんって、なんだか加虐趣味をそそろれるんだよな〜」
「…………」
「『いぢめていぢめて』って顔してない?」
「してないしてない」
 ぱたぱたと手を振る。
「……でもオレに付き合うにぃちゃんも性格悪いし」
「ぐ……」
 いや、たしかに、面白かったから口挟まなかったけど。
「……兄妹ってことだな」
「だな」
 俺の言葉に頷く兎萌。
「そういやさ、にぃちゃん彼女いないんだよな」
「……悪いか」
「いや、いいか悪いかで言ったら悪いぞ?」
「…………」
「いやほんと」
 こんちくしょう。
「そういうお前はどうなんだ」
「いるわけねぇ」
 即答かい。
「だってさぁ、周りにいるやつみんなガキ、子供くせぇ」
「うさもそのガキと同じ年だろうが」
「あ〜あ〜あ〜、全然違う全然違う全然違う」
 三回繰り返すくらい違うのか?
「だって、ほら、オレ様ってば、大人の女だし?」
「…………」
「ケツの青い乳臭いガキとは釣り合わないさ〜」
「……ふっ」
「あ゛? 鼻で笑ったな? いま鼻で笑ったなこら」
「……うさは自分の体の匂い嗅いだことあるか?」
「毎日嗅いどるわい」
 ぐいっと兎萌を引き寄せ、首筋に顔を近づける。
「乳臭いのはうさの方だな」
「う、うそっ!?」
 がばっと首もとを掴んでくんくんと体臭を確かめる兎萌。
 なんかホントに兎みたいな仕草だ。
「あ、あ、あ、いやいやいやいや……うん…………全然大丈夫じゃねぇか!」
「体臭ってのは自分じゃわからんからなぁ……」
 腕を組みながらしみじみと語る。
「全然匂わん!」
「うんうん、うさがそう言うんだったら、それでもいいぞ」
 憐れみと同情の入り交じった眼差し。
「お、オレは乳臭くない!」
「大丈夫だ。不快な匂いじゃないから」
 ひく、と兎萌の頬がこわばる。
 噴火の予兆。
 あ、やべ、やりすぎた。
「ここまで言ってわかんねぇか、あ゛!? ならちゃんと嗅いでみろ!!」
 そう言いながら俺に飛びかかる。
「ぬお!?」
 俺は兎萌のタックルを受けてソファごとひっくり返り、さらにどすんと兎萌の下敷きになった。
 これはいくらなんでもきつい。
 というか激痛い。
「ふぅ〜〜〜〜〜!!」
 猫の威嚇のようにうなり、兎萌は俺の胸の上に馬乗りになる。
「ま、待て、うさよ。話し合おう。話せば分かることもある」
「存分に匂え!!」
 ぐぅぁばぁっ、と上着をめくり上げて俺のあたまに被せ、そのままぎゅうっと抱きしめる。
 というか文字通り、抱き”締め”られている。
「匂うか。匂うか? 乳臭いかぁ!? あぁ!?」
 こっちはそれどころじゃなかったりする。
 顔面が兎萌の肌に埋まっていて、息は吐けても吸えません。
 地味に苦しい。
「ち〜ち〜く〜さ〜い〜かぁ!?」
 おおぅ……酸欠でくらくらっと……
 あ……
 ――ブラックアウト。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 それはいつのことだったか。
 遠い、遠い遠い、昔の話。
 
 
 
 えーん、えーん。

 ――声。
 悲しみの声。
 寂しさの声。
 助けを求める声。

 えーん、えーん。

 少女がいる。
 まだ小さな、小さな子供が。
 しゃくり上げ、涙をぼろぼろとこぼし、心のままに泣く。
 目元は擦りすぎて赤くなり、しかしそれでも涙は流れ続ける。

 おにいちゃん、こわいよお、たすけてよお。

 少女は泣く。
 さみしいよ、と。
 ひとりはいやだよ、と。

 おにいちゃん、いかないでよお、うさをおいていかないでよお。

 真っ赤になった瞳が、まるでうさぎのように。
 それがいっそう、少女の言葉を表すかのように。
 ――うさぎは、さみしいと、死んでしまうのだそうだ。

 ひとりはさみしいよ、ひとりはこわいよ。

 ――ひとりになんか、しないよ。

 ほんとうに?

 ――ほんとうに。

 ほんとうの、ほんとうに?

 ――ほんとうの、ほんとうに。

 ……それじゃ、約束のちゅ〜、して。

 ――いいよ。

 ゆっくりと、一歩を踏み出した。
 泣き顔の少女の、嬉しそうに笑う、その顔が見たくて。
 だからそれは、約束。
 ひとりになんか、させない。
 
 
 
 それはいつのことだったのか。
 遠い、遠い日の約束。
 忘れ去られた、遠い日の約束。
 でもそれは――それは、たしかな約束。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 目を開けて、はじめに視界に映ったのは、泣き疲れて眠ってる少女の顔だった。
「……うさ」
 うん、と兎萌は体を揺する。
 辺りを見回す。
 いつものリビング。
 俺はソファに横になっていて、兎萌は俺の胸に被さるようにもたれかかっている。
 ……記憶がいまいち曖昧だ。
 あ〜…………あぁ、息出来なくて失神したのか。
「なんか夢見てたような気がしたんだが……う〜ん」
 霞のかかったようなあたまを振る。
「ん……へぶしっ」
 兎萌が、もぞ、と動いたかと思うとあまり上品とは言えないクシャミをかます。
「ずす〜…………あれ、寝ちまったのか……あ!」
「起こしたな。悪い」
「にぃちゃん……ぐしゅっ……毎度毎度ごめん……」
 見る間に涙が溢れてくる。
「おわ、泣くなって、うさ。つか泣くことか?」
「だ、だって……ほんとに死んだかと思って……」
「死ぬようなことかよ」
「息してなかったし……」
 してねぇのかよ。
「でも、よかった……」
 俺もそう思うよ。
「そう簡単に死にはしないだろ。人間ってのは思ったより丈夫にできてるもんだ」
「……それでも、死んじまうときは、あっさり死ぬのが人間なんだよ、にぃちゃん」
「まぁ、それも一理ある」
「……にぃちゃんは、あっさり死んじまったりしないよな?」
「それは俺にわかることじゃないだろ」
「……だけど、考えちまうんだ。
 もしにぃちゃんが死んだら。もしにぃちゃんがいなくなったら……って。
 そんなこと考えてると……なんでか知らないけど、こう、泣きたくなって……」
 愛されてるな、と感じる。
 いつもがあれだから、実にこそばゆい。
「不吉なこと考えるなよ……別に、俺はいなくなったりしないって」
「……ほんとにか?」
「ほんとにだ」
「ほんとのほんとにか?」
「ほんとのほんとにだ」
「ほんとのほんとのほんとにか?」
「ほんとのほんとのほんとにだ」
「……それじゃ……」
 兎萌は胸元から離れ、顔を俺の前に持ってくる。
「約束のちゅ〜、して」
 ――約束のちゅ〜、して。
 ――いいよ。
 ふと、なにかが掠める。
「んな、ガキじゃあるまいし」
「ガキでいい、子供でいい。もう……」
 ゆっくりと、兎萌の顔が近づく。
「にぃちゃんと、はなれたく、ないから」
 甘い、ミルクのような匂い。
「それなら、ガキで、いい……」
「とぉぉぉぉもぉぉぉぉちゃぁぁぁぁん!!」
 すごごごごっ、と障害物をも押しのける勢いで名雪が突進してくる。
「なに、なななななになに! ていうかなに!?」
 名雪が大変です。
「きょ、きょ、兄妹でなんて不潔だよっ。たとえお天道様が許しても、このわたしが許しません!」
 兎萌の脇に手を入れ、俺から引きはがす名雪。
「ぅえ……」
 とたんに、兎萌は泣き顔になる。
「いや……いやだ、にぃちゃん……はなれたくないよ……」
「またそんなこと言って! もうだまされないよ! ほらっ、もう十分……ふれ、あってる……」
 名雪も、兎萌の様子がおかしいことに気が付く。
「と、兎萌ちゃん?」
「いなくならないって……ひとりにしないって……いやだよぉ……にぃちゃぁん」
 ぼろぼろと、見ているこっちまで悲しくなるほどに、兎萌は泣き始めた。
 わんわんと人目もはばからず、心のままに泣いている。
「あ、あ、あ、兎萌ちゃん、ごめん、ごめんなさい、泣かないで〜」
 名雪は兎萌を抱き寄せて、あやすように話しかける。
「ほら、祐一だよ〜、お兄ちゃんだよ〜」
 もういっぱいいっぱいの名雪。
 ひとの涙に、どう対処していいかわからないようだ。
「にぃちゃん……ぐずっ……にぃちゃん……」
 俺の胸に顔を埋めるように頬をすり寄せ、至福の微笑みを浮かべる。
「にぃちゃん…………くくっ」
「とぉぉもぉぉちゃぁぁん!? なんかいま邪悪な気配がしたよ!!」
「えーん、えーん、にぃちゃ〜ん」
「棒読み、棒読みだよそれ!! まただまされた〜!!」
 今度は兎萌を引きはがしにかかる名雪。
「にぃちゃ〜ん、にぃちゃ〜ん」
「だめだめだめだめ!! って、祐一もにやにやしながら座ってないで!!」
「約束のちゅ〜は、ちゅ〜」
「だからだめだよ!! お母さ〜ん!! 一番テーブルにヘルプおねが〜い!!」
 さらに話をややこしくするファクターを挿入する気か。
 そしてさくっと現れる秋子さん。
「名雪、好きあってる同士のことだから、あまり口を挟みたくないけど……
 そういうことは昼間じゃない方がいいわよ?」
「いやいやいやいや!! 違うってばお母さん!!」
「あら、そうなの? それじゃいまの構図からいくと、名雪が無理矢理?」
「更に違うし!! だから兎萌ちゃんを――」
 喧々囂々――とは趣が違うが、三人のボケツッコミの応酬が、それからしばらく続いた。
 うん、いいコンビだ。
 ……いや、トリオになってるな。
 でも、まぁ……うん。
「気持ちいい空間だよな、このうちは」
「ああ、俺もそう思うよ」
 俺が頷くと、少し目元を腫らせた兎萌が、嬉しそうに微笑んだ。
 
 
 
 
 


あとがけ

サブタイトル?
あぁ、意味ないですよ?

さてさて、うさぎの本心はいずこにありや
後半微妙にシリアス入っちゃったんですけど
全然そんなつもり無かったのに……
こんな話をちょっと真面目に書きはじめてる私はどうにかしてますか?
……はい、どうにかしてます

ところで今回、途中で2回ネタ潰しました
はじめはジャムネタ、次はプールネタ
途中まで書いて気に入らなかったので、最終的にこんな感じに
一応保存はしてるので、なんとか日の目を見せてやりたい
さて……どうしよう

SS index 2002/09/04