BAD END → HAPPY END

 
 
 
 
 
1/ワールドエンド


 世界が哭いていた。
 あまりにも大きな悲しみに共鳴するように、哭いていた。
 たったひとりの少年のその叫びが、世界の心を揺るがす。

 なぜ。
 なぜ。
 なぜ。

 世界は常に選択する。
 幾つもの分かれ道のひとつを選ぶ。
 その先にあるものが、悲しみか、喜びか、例えなんであれ、ひとつを選び、ひとつ以外を選ばない。
 世界は正しい。
 正しいのは世界の選択。
 ”もしあのときああしていれば”
 それは無駄なこと。
 選んだその道は、世界の選択。
 変えることのできない分岐点。
 運命の車輪。
 世界はひとつの道を進み続ける。
 それがたとえ破滅への道であっても。
 世界は幾つも生まれ、選び、消えてゆく。
 世界が辿らなかった道を、世界は辿る。
 生命の樹。
 枝は常に生え、常に枯れる。
 そして今、ひとつの枝が枯れ落ちようとしていた。
 たったひとりの少年の願いによって。
 世界は哭いていた。
 たったひとりの少年の悲しみに心を揺さぶられて。
 世界は調律者。
 世界は再生者。
 世界は破壊者。
 世界は修正者。
 異分子を取り除き、世界を常に世界としようとする。
 ――耐えられない。
 慟哭は世界の『ココロ』を抉る。

 なぜ。
 なぜ。
 なぜ。

 ――選択は間違っていたのだろうか。
 砕けそうなほどの悲しみ。
 潰れそうなほどの憎しみ。
 裂けそうなほどの愛しさ。
 崩れそうなほどの悔しさ。
 ――耐えられない。
 世界は選んだ。
 間違いは常に修正されなければならない。
 たったひとりの少年のために、世界は選んだ。

 悲しみに慟哭する少年を、世界は世界から消し去った。







2/バッドエンド


 白一色の世界。
 誰もいない――何もない。
 俺は……どこにいるんだ。
 水面に漂う木の葉のように、俺の体が、真っ白な世界の、透き通った水の上に浮いている。
 ぬるい、まるで胎内のようなあたたかさと、安心感が全身を包む。
 ……死んだな。
 だというのに、俺はほっとしている。
 もう、悲しまなくていい。
 もう、泣かなくていい。
 そう思うと、不思議と今まで俺を苛んでいた感情が薄れてゆく。
 終わりだ……これで、俺もさようならだ。
 倦怠感に包まれる体は、一切れの布もまとっていない。
 ちゃぷ、と右手をあげて、指の間から流れ落ちる水の感触を確かめる。
 手を眼前に持ってくると、ひどくきれいな指が目に入った。
 ずたずたになるまで殴り続けた拳が、まるで女性の肌かと見間違うばかりに再生していた。
 ……まぁ、これが現実の世界じゃないって証拠か。
 再び腕を沈め、水の上を漂う。
 俺は……無力だった。
 何もしてやれなかった。
 弱っていく友人達を、この目で見ていることしかできなかった。
 助けたかった。
 ……みんなを。
 誰ひとりとして悲しむことなく、幸せないつもを取り戻したかった。
 それが、いけなかったのだろう。
 ……過ぎたことには最善の方法を考えられると言うが、俺には考えつかない。
 どうやっても、みんなを救う方法など、見つからない。
 だとすれば、俺のしていたことは無駄だった、と言うことなんだよな……
 記憶を取り戻しても、どうすることもできない。
 こんなのが……俺の運命なんだろうか。
 たとえ時間を巻き戻せたとしても、変えることのできない歴史。
 そんな運命なんて、くそくらえだ。
 なぜ俺がこんな想いをしないといけないんだ……
 なぜ大切なひとが目の前から消えてゆくのを見ていることしかできないんだ……
 知らず、涙が流れていた。
 目尻からこぼれ落ち、こめかみを通って、水面に溶けてゆく。
 涙は枯れるのだろうか。
 体の水分をすべて流せば、涙も出ないだろうに。
 喉が痛んでくる。泣きたくなる兆候。
 こんな世界だというのに、やはり俺は悲しい。
 悲しみを癒す方法?
 それは、ハッピーエンドを見ることだろうな。
 そしてそれは見ることの叶わないエンディング。
 俺の辿る道はすべて、最悪のバッドエンド行きだ。
 ああ……まだか。
 まだ終わらないのか。
 いつまで待たせるのだろうか。
 俺もいい加減疲れた……
 この水に沈んでいけば、この世界からもさよならできるだろうか。
 この世界、とは言ってるけど、ここがどこかも知らない。
 この様子だと地獄ってことはなさそうだけど、天国でもなさそうだ。
 ――どっちでもいい。
 俺の意識が、ここに留まるのは、勘弁してくれよ。
 じゃないと永遠に涙を流し続けなけばならない。
 永遠に悔やみ続けなければならない。
 でも、もう……いい。
 ゆっくりと、息を吐く。
 肺から空気が減り、だんだんと俺の体が水の中に沈んでゆく。
 外気に触れていた胸が、なまぬるい水に浸食される。
 水が頬に触れ、くちびるに触れ、まぶたに触れ、すべてを呑み込んでゆく。
 ちゃぷん、と水音を残し、俺の体はすべてが水中に沈んだ。
 白い、白い、どこまでも純白に彩られた、不思議な世界。
 いまはそれが、揺れる水面を通して見える。
 耳鳴りのような、きぃんという音が聞こえる。
 ごぽごぽと、肺に残っていた空気が口から漏れる。
 苦しいんだろうか。
 わからない。
 なにも感じない。
 きらきら、水面が光を反射して煌めく。
 俺は――無力。
 いくらあがいても、ただの高校生でしかない。
 せめて、次に生まれ変わるときは――力が欲しいものだ。
 悲しみを打ち破る力が。
 今の俺にはない、力が。
 誰も悲しむことのない世界も、欲しいな……
”それならば、与えましょう”
 どこからかそんな声が聞こえてきた。
”悲しみを打ち破る力。悲しみのない世界”
 迎えといういうには、科白がおかしなものだが……まぁいい。
 もう、終わりにしてくれるんだろ……?
”与えましょう。世界を修正する権限を”
 沈んでいた俺の体が、ゆっくりと浮上してゆく。
 あぁ、なぜ。
 なぜ。
 なぜ。
 ざぶ、と顔が水面をかき分け、柔らかな空気が俺を迎える。
 ――それと、神様のおまけ付きか。
”あいざわゆういち。今からあなたは『修正者』となる”
 背中まで伸びた、艶やかな漆黒の髪。
 大理石のような滑らかな肌。
 ちいさな桜色のくちびる。
 わずかに弧を描いた眉に、切れ長の双眸。
 ……完璧、と言うのだろうか。
 男でもない、女でもない、すべてを超えた存在。
 圧倒され、声も出ない。
”わたしは『世界』。あなたの世界”
 世界?
 名前だろうか、だとしたらおかしな名前だ。
”名前という概念は必要ありません。私は『世界』だから”
 あぁ……こっちの考えてることはわかるわけか。
 声を出すのも億劫だから、それはありがたいことだ。
 それじゃ、聞きたいことが山ほどあるんだが、どれから聞けばいいんだろうな。
”なんでも答えましょう”
 ……まず、なぜ俺を自由にしてくれなかった?
 俺はもう疲れてるんだ。
 終わらせたいんだ。
”それは、いけません。あなたには役目があります”
 役目……?
”『修正者』。世界を修正するのです。それが、あなたの役目”
 なんで俺がそんな、言葉だけでやる気無くしそうなことをやらないとけないんだ。
”ひとつの世界が、終わろうとしています。ひとりの少年の嘆きによって、世界が閉じようとしています。
 それは本来あってはならないこと。ただひとりの人間に、世界を閉じることはできないはずだった。
 世界は世界を保つ。だからあなたはここにいる。これ以上の閉鎖を止めるために”
 よくわからないが、俺がここにいる理由がそれらしいな……
 世界が閉じるとか、なんなんだ?
 そもそも、あんたはだれなんだ?
”わたしは世界。あなたの住む世界。選択者。調律者。破壊者。再生者”
 ……つまりは神様ってことで納得していいか?
”正しくはありませんが、絶対の者としての存在といういう意味ならそうであるとも言えます”
 ……いいのか、わるいのか、どっちなんだ?
”おおむね『いい』です”
 ……わかった。
 で……俺はなにをするんだ?
”……やはり、あなたはこの状況に驚かないのですね”
 別に……驚いてるよ。
 驚いてるけど、それを表に出すことも、もう疲れたんだ。
 俺になにをさせようとしてるか知らないが、なにもできないだろうよ。
”いえ、できるでしょう。せざるを得ない。その悲しみを癒す術を与えるのだから”
 ……なに?
”世界を修正するのです。閉じた世界は二度と戻らない。
 世界が消えれば、世界も消える。それが世界の選んだ道なら素直に消えるでしょう。
 しかしこの場合は違う。あなたの存在が世界に作用してしまった。これはあってはならないこと”
 ……ちがう。
 与えるだと?
”世界は選びました。あなたに世界を修正する権限を与えよう。
 そこで選ぶのは世界ではありません。『あなたです』”
 『世界』が両手を広げたかと思うと、すべてが白に塗り潰された。
 ――穢れのない、純白の世界。
 これが、世界。
 いつの間にか、浸っていたはずの水すら消え、俺は全裸のまま、純白の世界に浮いていた。
”さあ、選びなさい。選択肢は、あなたが創るのです。創り、選びなさい”
 ――俺が、選択する……?
”創りなさい。選択肢を。時すら超える選択肢を”
 時を超える……ばかな。
 そんなこと、できるはずが……
”世界はあなたに与えました。その世界の一部を。修正者の一部を。創りなさい。選びなさい”
 できるはずがない……そんなことは、時を戻すなんてできるはずがない。
 ――でも。
 でも、でも、でも、もし――
 時を遡って、それで、どうする?
 それでもみんなを助けられないという事なんて、理解しているのに。
 理解しているのに、希望を持ってしまう。
 希望は、それは、絶望の始まりだというのに。
 薄れていた悲しみの残滓が、再び溢れようとしている。
 ――あるいは、そう。
 すべての始まりの時。
 始まりの、その時に、戻れば、あるいは……
”――道は創られた”
 凛とした声に、白色の世界は、暗転した。







3/リプレイ


 こがね色の絨毯を駈ける少女。
 ――いまその少女は、白銀の野を駆けている。
『魔物が来るの!』
 嘘はやがて、少女の願いを叶え、その心を覆い尽くした。
『あたしたちの遊び場所で、もう遊べなくなるよ!』
 少年を引き止める嘘は、少女を縛り付ける現実となった。
 小さな肩を揺らし、目に涙をため、手にはその辺で拾った木の枝を持ち、見えない『嘘』と戦い続ける。
『ほんとうにくるんだよ……あたしひとりじゃ守れないよ!』
 少年には分かっていた。
 それが自分を引き止めるための嘘だと。
『待ってるから……ひとりで、戦ってるから!』
 ――そして、十年分の、笑顔を、失うんだ。
「くるな! ここは、ここはあたしたちの場所だ!」
 ぶんぶんと腕を振り、見えないなにかを追い払う。
 ……やめてくれ。
 おまえは……そんなことを3年も続けていたのか……?
「祐一が来るまで、あたしがここを守るんだ!」
 やめてくれ!
 俺は……俺は来ないんだ!
 こんな……こんな、残酷なことを、俺は……
「来るなぁぁ!」
 そう叫び、糸が切れたかのように、舞が真っ白な雪の上に倒れた。
「舞!」
 俺の体が弾けたように走り出す。
 ざくざくと雪を鳴らし、舞の元へ駆け寄る。
「舞……あぁ、舞、すまん……」
 ぽたぽたと、雫がこぼれ落ちる。
 二度と会えないはずと思っていた少女。
 それが……目の前にいる。
 たとえそれが7年前の姿だとしても、俺には関係ない。
「……だ、れ……?」
 うっすらと目を開け、そして再び閉じた。
 いまの舞に、この俺が誰かなんて分かるはずもない。
「だれでもない。俺は俺なんだからな……」
 その声は既に舞には届いていない。
 深い眠りの中、舞はなにを夢見ているのだろうか。


 舞の家はごく普通の一戸建てだ。
 呼び鈴を鳴らし、舞の家族が出てくるのを待つ。
 ぱたぱたとスリッパを鳴らす音と、がちゃりと鍵を回す音。
「は〜い……あら、舞?」
 俺の腕に抱えられた舞を見て眉をひそめる。
 出てきたのはまだ若い舞の母親だ。
 ストレートの黒い髪を流し、化粧っ気もない肌はまだまだ現役。
 たしかに舞の母親とわかる。よく似た親子だ。
「あの……舞がなにか問題でも起こしましたか? この子、ちょっと最近……」
 言いよどみ、俺は違いますよと答える。
「遊び疲れているだけですよ。え〜と、お邪魔しても構いませんか? とりあえず舞は寝かせておきたいのですが」
 不躾なお願いにも舞の母親は快く頷き、俺は舞を寝室まで運ぶ。
 そのあとリビングに通され、舞の母親と世間話で盛り上がった。
 このひとは俺を警戒していない。
 聞いてみると、舞はいい人と悪い人を見分けるらしく、悪い人に抱かれてすやすや寝ているはずもないそうだ。
 つまり俺はいい人らしい。きわめて単純な理論だ。
「舞にこんな大きな友達がいるとは、不覚にも知りませんでしたよ」
「大きな……って、まだ高校生ですよ、俺」
「あら、そうなの? なんだか雰囲気がずいぶん大人だったから……」
「はは……それは、ありがとうございますと言ったほうがいいのかな」
 それは恐らく俺の影。
 絶望と後悔に苛まれ続けた心の欠片だ。
「……それじゃ、そろそろお暇しますね」
「もう? もう少しお話ししていってもいいと思うけど……。それとも、やっぱりおばさんとじゃつまらない?」
 おばさん、というよりお姉さんといっていい若々しさだ。
 いたずらっぽく笑っているその顔は、数年前まで病に伏していたとは思えない艶やかさを持っている。
「そんなことありませんよ。ホントならいつまでもここにいたいですけどね。……まだやることが山積みなんです」
 俺はソファから立ち上がり、最後の仕上げを施す。
「俺が来たことは、舞には内緒にしておいてもらえますか?」
「それはまた、どうして?」
「再会は、離れていた時間が長いほど感動的な演出ができるんですよ」
 しかし、もう無くなるかもしれない、物語り。
「ふふ……わかりました。ふたりだけの秘密ね」
 ふたりだけの、を強調して微笑む。
「それと……紙とペン借りていいですか?」
「ええ、いいわよ」
 渡された紙に、舞への伝言を記す。
 ――それは解放のコトバ。
「これ、舞に渡しておいてください」
 俺は背を伸ばし、麗人へ向かい頭を下げる。
「舞のこと……お願いします。俺にできることは、ここまでです」
「……はい。しっかりと、頼まれました」
 顔を上げると、泣き顔が飛び込んできた。
「な、なんで泣いてるんですか……」
「いえ、いえ……なんでもありません……」
 ありがとう、ありがとうと繰り返し、俺の胸にすがる。
 振り払うことはできるわけもなく、俺はこの母親の気の済むまで、背中を撫でながらあやし続けた。


 ――魔物は退治しておいたぞ。
   7年後にあの場所で、また会おう。
                祐一 ――





      §   §   §





 自分を名前で呼ぶ少女。
 ――いまはまだ、”わたし”と呼んでいた。
 しんしんと降り積もる雪。
 息をすれば肺まで凍り付きそうなほどの寒空の下、俺は手袋も無しで突っ立っていた。
 向こう側に見える、姉弟を見据えながら。
 弟の手を引き、姉は雪の道を歩く。
 自販機の前で立ち止まり、姉は弟の方を向いてしゃがみ、かじかんだ手を包んで息を吐く。
 その表情は、苦悶に満ちている。そして、厳しさもだ。
 甘やかしてはいけない。
 威厳を持たなければいけない。
 それが『正しい子』になるために必要なのだ。
 ……そう信じている表情。
 そして、それが弟を蝕む病。
 俺は一歩を踏み出す。
 ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ。
 重い、雪の音。
 弟の死は、その姉に深く暗い闇を生んだだけだった。
 ――もう、包帯を手首に巻く必要はない。
「……なにか、用ですか?」
 警戒心剥き出しの少女の声。
 いくら弟に厳しくしていても、姉であることには変わりはない。
 弟を守るのは自分だ、という表情をしている。
「いや、な」
 俺はふたりに、特に弟に視線を合わせてしゃがむ。
 姉の背に隠れている少年は……いや、少年というには幼すぎるか。
 精々が5〜6才だ。
「俺は祐一っていうんだ。君は?」
「…………」
 あ……と口を開けるが、声は出ていない。
「一弥に、なにか用ですか?」
「一弥か。いい名前だ。つけてくれたのは父親かな?」
 俺がそう言うと、一弥はわずかに微笑む。
 ひどくぎこちない、かすれた笑み。
 姉は、その弟の反応に驚いている。
「一弥、帰るよ。ほら、一弥っ」
 そんな弟の手を握りしめ、俺から無理矢理引き剥がすように背を向ける。
 自分ですら見たことの無かった弟の笑顔、それが初めて見る人間に向けられるなんて、とでも思っているのだろう。
 嫉妬と羨望の感情が背中から滲み出している。
 それは、少女の心にある、本当の想い。
「一弥。お姉ちゃんのこと、好きか?」
「…………」
 だ・い・す・き。
 ――そのくちびるの動きは、少女からは見ることはできなかった。
「一弥、だめ、早く帰るよ」
 まだ俺に未練の残る弟を引っ張り、雪の道を進もうとする。
「くく……」
 俺は知らず、笑っていた。口の端から声が漏れる。
「……なにがおかしいんですか。なにを笑っているんですか」
 少女はぴたりと足を止め、俺に鋭い視線を向けた。
 その視線は、同年代の少年少女なら、居竦ませるだけの力が込められている。
「おかしいじゃないか。笑えるだろ?」
 いじらしい弟の想いにも気付かず、正しいと『思いこんでしまった』教育を施す。
 それが自分を苦しめてしまうとも知らず。
「一弥、ちょっとこっちに来ないか?」
 一弥は足を踏み出しかけ、姉を見上げる。
「だめ、ぜったいだめ。……あなた、一弥になにをしようとしているんですか?」
 俺に対する警戒をますます強める少女。
「別に、なにも? ただ暇な心優しきおにいさんが、『遊んで』あげようとしていただけさ」
 眉をひそめ、軽蔑の視線を向ける。
「そんなこと、一弥に必要ありません。一弥はわたしが『正しい子』にするんですから」
 自信と自負。
 正しいと信じる方法。
 しかし、それが正解であるとは限らない。
 そしてこの少女の取った方法は、正解ではなかったわけだ。
「必要ない……正しい子、ね。ばかばかしい」
「なっ……ばかばかしいとはなんですか!」
 信じていたものをばかばかしいなどと言われれば、これくらい怒るだろう。
「それで、本当にいいのか? それが、本当に君の本心か?」
「当たり前です!」
 顔を真っ赤にしてほえる。
 それを間近から受けた一弥が目を回しそうになっていた。
「そうか。それじゃちょっと質問を変えよう。君は『正しい子』か?」
「そうです」
「なら思い出すことだ。”君はどうやって正しい子になった?”」
 少女はわずかに言葉に詰まった。
「そ、それは……それはっ」
 腰を上げ、先程買ってきていた紙袋を抱え直す。
「考えろ。悩め。なにが本当に正しい? なにが正しい子なんだ?」
 抱えていた紙袋を少女の方に放った。
 わたわたとそれを受け、訝しげな表情をする。
「プレゼントだ。本当の君の望み、ありったけの望みを、その中に詰め込んだ」
「え……」
「……いつまでも仲良くな」
 少女が中を確かめ、目を見開く。
「な、なんで……」
 一弥も中をのぞき込み、そして、はじめの微笑みよりも自然な、年相応の笑顔を作った。
 そしてかすれた声で、ありがとう、と言葉を紡ぐ。
 ――使うことの無かった声で。
 
 俺が既にそこから離れていても、その声はよく聞こえた。





      §   §   §





 次の誕生日まで生きられないと宣告された少女。
 ――いまはそれを知ることなく無邪気に遊んでいる。
 少女は生まれつき病弱だった。
 しかし、それは起きられないというほど深刻なものでもなかったため、よく公園などにふらりと遊びに来ていた。
 まだ姉との関係もさほどぎくしゃくしていないはずだ。
 長くは生きられない、などということは、子供に知らせるにはあまりにも重すぎる。
 しかしそれでも、病弱な妹にどう接していいのか分からないところもあるだろう。
 俺はポケットの封筒の感触を確かめ、スケッチブック片手にうろうろする少女に近付く。
「こんにちわ、お嬢さん」
 びく、と肩を竦め、おそるおそると振り向く。
 俺の姿を認めると、こんにちわ、と小声で挨拶を返す。
「いま暇かな。少し、話をしないか?」
 くいくいと噴水の方を指差し、俺は微笑みながら話し掛ける。
 こく、と頷くが、その表情はやはり、俺を少しばかり警戒していた。
「それは助かる。暇を持て余して、退屈してたんだ。あ、なにか飲むか? 話し相手になってくれる礼に奢るよ」
「あ……それじゃ、あったかいカフェオレ……」
「了解っと」
 自販機から注文のカフェオレと俺用のコーヒーを買い、噴水の前に戻る。
 それを渡し、しばらく話し込んでいると、少女の態度が最初よりも自然なものになってきた。
 自慢の姉の話、病弱な自分の話、好きだけどあまり上手くならない絵の話。
 過ぎていく時間も忘れ、少女は語った。
「なんか、ドラマみたい」
「どこがだ?」
「えっ……と。前から、お兄ちゃん欲しかったから。そんなのできないって分かってるけど……
 でも、こういう風に、お兄ちゃんみたいなひとなら、できるんだ……って」
「栞のお姉さんが聞いたら悲しむな」
 にやにやと笑いながら、俺は栞の頭をぽんぽんと撫でる。
「あっ、お、お姉ちゃんは好きだけどっ。……もう、そんなこと言うひと、嫌いっ」
「分かってるよ。香里のこと、好きなんだよな、栞は」
 ぶすっとしていた顔をぱっと戻し、笑顔で俺に答える。
「うん、大好き」
「そうか。それじゃ、そんな栞にプレゼント」
 封筒を一枚、栞に差し出す。
「……開けていいの?」
「いや、だめだぞ」
 え〜、という顔を作り、栞はなんでと聞く。
「それはな、魔法の手紙。栞が困ったとき、それも半端じゃない困り方をしたとき、開けるんだ。
 すると不思議なことに、勇気と希望が溢れ出すという、なんともインチキ臭いしろものなんだ」
「インチキ臭い」
「でも、それは、本当なんだな。どんなにインチキ臭くても」
「……どうして、そんなものを持ってるの?」
 それはな、と俺はゆっくりと立ち上がり、大仰に振りをつけて、言う。
「実は俺、サンタクロースなんだ。いい子にしてる栞に、ちょっと遅めのクリスマスプレゼントを届けに来たわけ」
 ヒゲもトナカイもないけど、と付け加えると、栞は笑いをこらえるようにくすくすと声をもらす。
「……そっか。サンタクロースだったんだ」
「そう、サンタクロース。香里にもプレゼントがあるんだが、いまはいないからな、栞から渡してもらえるか?」
 栞はう〜んと唸り、でも……と言葉を濁す。
「……そこに、いるんだけど」
「…………」
 振り向くと、眉を怒らせた少女がひとり、俺を凄まじい眼光で睨み付けていた。
 友好的でないのは、一目で分かる。
「栞から離れてもらえる?」
 小学生だというのに、この気迫。
 この少女の目には、俺はきわめて不審な人物に映っているんだろう。
「分かってるよ。もう用事も済んだことだし、俺は退散しますよ。
 ……それじゃ、栞、ふたり分渡したからな」
 え? と栞は手元を確認する。
「あれ、ほんとだ……もらったのは一枚だと思ったのに」
「なにか貰ったの? 捨てなさいよ」
「ん? ただの紙だよ」
 ――俺はふたりから離れ、思案にふける。
 ここに来る前、ある研究室の扉を叩いた。
 そしてひとりの学者に、選択肢を与えた。
『このままつまらない研究に人生を浪費するか? それとも、難病といわれる病の治療法を確立してみるか?』
 7年とは、短いだろうか、長いだろうか。


 ハッピークリスマス。
 ふたりに幸せな明日を。





      §   §   §





 束の間の奇跡のためにその命と記憶を捧げた少女。
 ――いまはひとの言葉も喋れない。
「ごめんな……もう、帰る時間になるんだ……」
 少年が、抱えていた子狐をはなす。
 ここは、ものみの丘。
 妖狐の住むと言われていた場所。
「また、会えるといいな」
 少年はものみの丘を去る。
 子狐は、その少年の後ろ姿をじっと眺め、やがてそのあとを追うように歩き出す。
 しっかりとした足取りで。
 しかし俺は、ひょいと、その小さな体を抱えて子狐の瞳をのぞき込む。
 澄んだ瞳だ。
 純粋な、疑うことの無い、あの少年を信じている瞳。
 ちりん、と鈴が鳴った。
 首に鈴が掛けられている。
「……秋子さんの鈴だよな、これ」
 触ると、子狐はいやいやをするように体をひねる。
「分かってるって。取りゃしないよ。俺もお前にあげる物があるんだ」
 ポケットから首飾りを取り出し、子狐に見せる。
 不思議そうな目でそれを見て、すんすんと匂いをかぐ。
 どうやら気に入ってくれたようで、俺が首に巻いても抵抗しなかった。
 ――奇跡を起こすための力を肩代わりしてくれる首飾り。
 しかし、首飾り自体にはなんの力もない。
 これは”世界”から力を吸い上げるための、ポンプのような装置だ。
 世界は無限。
 これぽっちのもので、『それ』は枯れることはない。
「さて、これでいいな」
 俺は子狐を抱き直し、振り向く。
「で、さっきから見てるけど、君は?」
「あ……」
 そこには、おどおどと落ち着かない小さな女の子がひとり、俺の方をちらちらと横目で見ていた。
 俺の人を見る目とやらが確かなら……俺は、この子のことを知っている。
 うたかたの奇跡にその心を削られた少女。
 しかし、いまはまだその瞳に影は見えなかった。
「狐、珍しいか?」
「…………」
 人見知りの激しい性格なのだろうか、恥ずかしそうに俯いて、時々こちらを向く。
 俺は子狐を抱えたまま、その少女に近付いてしゃがみ込む。
「触ってみるか? おとなしいから、怖くないぞ」
 おずおずと少女は手を伸ばす。
 しかし、もう少しで触れるというときになって、子狐がそれを拒んだ。
「あっ……」
 俺の手から逃れ、ぱたぱたとしっぽを振りながらものみの丘を駈けていった。
 元々野生の生き物なのだから、仕方がない。
 自我と理性を手に入れるのはしばらく先のことだ。
「残念、逃げられたな」
「……うん」
 少女は目に見えて落ち込んでいる。
「狐、触りたかったか?」
 こく、と頷く。
「また来ればいい。いつか、抱けるようになるよ。
 それでな、特に仲良くなった狐に、これをプレゼントするんだ」
 俺はもう一つの首飾りをポケットから取り出し、少女の手に握らせた。
「……きれい」
「だろう? それはな、親愛の証。奇跡の欠片だ。大事にしろよ」
 少女はひとつ頷き、またねと言って去ってゆく。
 途中で振り向き大きく手を振る。
 俺も振り返し、そして少女の姿はものみの丘から消えた。
 ――再会は、悲しみの始まりにはならない。
 もう、そうなることもない。
 奇跡は幸せのためにあるのだから。





      §   §   §





 7年もの長い間夢を見続けていた少女
 ――いまは大樹の枝の上で微笑んでいた。
「祐一君、遅刻だよっ」
 拗ねたような声を、大木の下にいる少年に向ける。
 少年は息を切らせ、手には赤いリボンの包みを持っていた。
 高いところが苦手で、おまけにひとが高いところにいるのも苦手な少年は、その光景に顔を引きつらせる。
 はやく下りてこいよ――
 そう、言おうとした時、風が吹いた。
 ざぁっ、と木々を揺らすほどに強い風が。
「祐一く……」
 手がなにかを掴もうとして、虚空を切る。
 掴まるものなど無かった。
 ――だけど、それを掴まえようとする手は、ここにある。
「うぐぅっ!!」
 びし、と少女の腕に衝撃が加わる。
 いくら軽いとはいえ、自分の体重をもろに受ければ、それなりの痛みがあるだろう。
「あ、あゆ、どうかしたのか?」
 木の下の少年は、上を見るのも怖いらしく、視線は森の中を彷徨っている。
「な……なんでも、ないよ」
 俺は少女の腕を掴んでいた手に力を込めて引き上げ、そしてもう二度と落ちないよう、しっかりと抱きとめた。
「……うぐぅ」
 少女の体は、震えていた。
 その小さな手は、決して離れないように、俺の服をぎゅっと握りしめる。
「……だから登るなって言ったんだ」
「うぐぅ……」
 片手で少女を抱きかかえ、するすると木を下りてゆく。
 その間も少女は目をつぶり、決して目を開けようとしなかった。
 少年の姿は、木の向こう側に隠れていて見えない。
「もう、危ないことはするな」
 そっと地面に下ろし、頭を撫でてやる。
 それで緊張の糸が切れたのか、ぼろぼろと涙を流して泣き始めた。
「あゆ? どうした、おい、どこ行ったんだ?」 
 少女はうぐぅうぐぅとしゃくりあげ、俺はその背中を押して少年のもとへと歩かせる。
 プレゼントはちゃんと渡せよ、少年。





      §   §   §





 ひとりの少年を想い続けた少女。
 ――いまは雪うさぎにその想いを託していた。
「受け取ってもらえるかな……」
 手のひらにちょこんと雪うさぎを乗せて、それを少年に向かい差し出す。
「わたし……ずっと言えなかったけど……」
 俯き、ためらい、そして顔を上げて、口を開く。
「ずっと……好きだったよ」
 その瞬間、少女の差し出した雪うさぎは、崩れ落ちていた。
「祐一……?」
 気恥ずかしさと意地の悪い性格とが手を組み、少年は思わず雪うさぎを地面に叩きつけてしまっていた。
 自分のしてしまった行動に驚き、そしてそれに後悔し、少女に背を向けて走り出す。
「祐一……雪、嫌いなんだよね……」
 ぽつりと、呟く。
 目に涙をため、ばらばらになった雪うさぎを見下ろす。
「あ〜あ〜あ〜、ひどいことをするもんだ」
 潰れた雪うさぎをかき集め、ぺたぺたと形を作って元に戻す。
 耳と目も拾って付け、それを再び少女の手のひらに収める。
 いくぶん形は悪くなっているが、俺にしては上出来だろう。
「あり、がと……」
「あまり、気にするな。あれはな、恥ずかしかっただけだ。
 子供ってのは変な意地とかあるから面倒なんだよ」
 くしゃくしゃと頭を撫でて、少女の目元を指でぬぐう。
「うん……」
「まぁ、多分これくらいじゃ、君はへこたれないだろうけど」
 少女はくすりと微笑む。
「あたりまえだよ……あきらめ、られないもん」
 そうか、と俺は苦笑する。
 こんなに小さな子供でも、結構女の子してる。
「あ、その……どなたでしょうか」
 そういえば忘れてた、という顔で俺に聞いてくる。
「俺か? 俺は……」
 少し前、公園で言った科白をもう一度繰り返した。
「実は、サンタクロースなんだ」
「わ……そうなんだ……」
 プレゼントは? と期待した表情を俺に向ける。
「そうだな……いま、品切れなんだが……」
 右手を少女の目の前に持っていく。
 手を開き、握り、くるりと返すと、ぽんと一輪の花が現れる。
「わぁ……」
 ぷす、と雪うさぎの頭に刺し、俺は少女から離れるように足を引く。
「永遠不変の花。特別に、君にあげよう」
「永遠……それ、造花?」
「匂いかいでみな。造花の匂いか? それに感触もな」
 花に顔を近付け、くんくんと匂いを確かめると、表情が驚きに変わる。
「本物……」
「大事にしろよ。あ、そうそう、さっきの少年のことなんだが」
「あ、なに?」
「ごり押しはやめた方がいいからな。今は時期じゃないだろうし。
 心も体も十分に大人になって、それでもまだ好きだったら、もう一度挑戦しな」
「うんっ」
 少女のその顔は、いつかの俺が望んでいた笑顔だった。





      §   §   §





 商店街で、俺はひとりの女性に話し掛けていた。
「お荷物、お持ちしましょうか」
 ふぅ、と大きくため息をついて両手の荷物を下ろしたとき、ちょうどいいということで言ってみた。
「あ、すいません……でも、いいんですか?」
「いいんですよ。困ったひとを見つけたら助けてやるのが、人情というやつです」
 女性は口元を隠してくすくすと笑う。
「若いのに、立派な心がけです」
「若いって……そうかわらない年齢でしょう」
「あら、こう見えても一児の母ですよ?」
 しかし、やはりそうは見えない若々しさだ。
「そうなんですか? 全然見えませんよ」
「ふふ……ありがとうございます」
 俺は両手に荷物を抱え、女性の隣へとつく。
 なんの抵抗もなく俺を受け入れるこの女性には、警戒心というものがないのだろうか。
 一児の母であっても、魅力的な女性であることには変わりない。
 もし俺が不埒な目的で近付いたとしたら、それまでだ。
「もう少し警戒してもいいと思うんですけどね」
 俺は女性の自宅へ続く道を歩きながら話している途中、そう言ってみた。
「どういうことですか?」
「世の中、いい人ばっかりじゃないんですよ」
「……知ってます」
 女性は妖艶に微笑む。
「でも、心動かされる男性に声をかけられしまったら、そんなことどうでもよくなるんです」
 少々、その意味を呑み込むのに時間がかかった。
 からん、とドアの開く音が、やけに大きく響く。
 既に家へと着いていたようで、女性は玄関から俺に声を掛けた。
「どうぞ、上がっていってください。お礼も……したいですし」
 それは丁重にお断りしておいた。
 荷物を渡し、俺は別れの挨拶をする。
「それじゃ、俺はこれで。あ、それと――」
 俺はポケットから、用意していた首飾りを取り出す。
 これは前とは違う用途で使うもの。
 ――選択肢を変えるのが、この首飾りの力。
 危機の際、無理矢理にひとつの選択肢を選ばせる。
 それはつまり、危機の回避。
「これ、できればいつも身に付けて頂けると嬉しいです。あなたの命を守ってくれるお守りですから」
 こんなことを言われてほいほいと受け取るだろうか、との心配をよそに、女性は素直に受け取る。
 むしろ嬉しそうですらあった。
「……また、会えますか?」
 俺はそれには答えない。
 ――答えられない。







4/ハッピーエンド

 純白の世界
 穢れ無き世界。
 舞い戻った、最果ての世界。
 俺は再び裸のままに、この世界に放り出されている。
”修正を終えたようですね、『修正者』”
 やめてくれ……そんな言い方。
”では、名前で呼びましょう。祐一、世界はこれで閉じることはなくなりました”
 いきなりファーストネームか。
 そういうときは、フルネームで呼ぶのがセオリーだと思ったんだけどな……
”…………”
 冗談だ。
 続けてくれ。
”……悲しみは、癒されましたか? いえ、この世界を見れば分かりますね”
 ……そうだな。
 これで、俺の望んだ世界は、できたわけだ。
 悲しみのない世界が。
 そしてそれがハッピーエンド。
 ……この状態を、思い残すことはない、とか言うんだろうな。
”思い残すことがあっても、困りますが”
 そして、俺は、消えるのか。
”…………”
 世界と繋がっている時、俺は理解した。
 俺は既に世界から切り離された存在だと。
 世界から切り離されれば、その存在は、存在しないということ。
 存在しない存在は、つまるところ『無』だ。
”……そうです”
 やっぱり、奇跡にはそれなりの代償が必要だ。
 ま、俺はどんなものであっても、関係なかったけどな。
 ひとつの存在で、いくつもの心と命を救えるのなら、割のいい選択だろ?
”……わかりません”
 なにがだ?
 『世界』とやらにも分からないことがあるのか?
”なぜ、笑っていられるのですか。なぜ、消滅を受け入れられるのですか。
 世界は長い間存在し続け、様々な人間を見てきました。
 そして、その人間が、笑いながら死んでいくのを、いくつも見ました。
 なぜですか? なぜ、人間は笑いながら死を受け入れられるのですか?
 世界は、世界が閉じようとするのを、あなたを犠牲に阻止しようと醜く抗っているのに。
 世界には、笑いながら消えることなど、できないというのに……”
 ……そんなの、俺に分かるわけがない。
 他の人間がなにを想って死んでいったか?
 そんなの、ただの人間の俺に分かるはず無いだろ。
”……そう、でしたね”
 ただ……まぁ、ひとつ言えることはだな。
 たとえ死への選択が、世界の選択だったとしても、そいつにとっては最高の選択だった。
 ……そういうことなんだろ。
”……それでもやはり、理解はできません”
 しろとは言わないさ。
 ただな、そう言う人間もいるということさね。
 ――さて、そろそろタイムアップじゃないのか?
 俺の体が、だんだん崩れてきてるぞ。
”ええ、ここにあなたが居ることができるのも、あとわずかですね”
 そうか……
 あと、最後に、お願いしても、いいかな。
”構いません”
 あいつらが悲しまない世界を見てみたかったが、それも叶いそうにもないしな。
 世界、その目で、しっかり確認してくれ。
 ……あいつらの笑顔を。
”いいですよ。でも――”







5/エンドワールド

 ぽつんと、純白の世界の真ん中にある、見覚えのあるベンチ。
 他にはなにもない、それだけの世界。
 ベンチまでもシミひとつない白色に塗り潰され、実に味気ない。
 しかし、世界も乙な演出をしてくれる。
 二度目の始まりの時、そして俺の終わりの時。
 始まりと終わりは、常にひとつのもの。
「……しかし、殺風景すぎる」
 空と大地の境界線すら分からない。
 だけど――
「俺には、これがお似合い、か」
 のっぺりとした世界。
 だれひとりとしていない世界。
 広すぎるはずのこの世界は、まるで閉鎖されているような錯覚を持たせる。
 無限の空間が、鉄格子のない牢獄だ。
 俺の罪、それはたったひとりの人間すら救えなかった、無力な自分。
「……なんてな」
 それを責める者はいない。
 それを認める者はいない。
 俺はただ、自分自身を罰したかっただけだ。
 そんなものは、自己満足でしかない。
「ふぅ……」
 ぎ、と背もたれが軋む。
 嬉しいはずだ。
 俺は、悲しみのない世界を創ったはずだ。
 ハッピーエンドになるはずだ。
 結果は見ることはできなかったけど、そうなったはずだ。
 ――はず、はず、はず。
 なにひとつ確証がないのが、不安のタネというわけか。
 それもとびきり大きなタネ。
 桃太郎の生まれた桃に、桃太郎が入ってなかったときに出てきそうなタネだ。
「やっぱり、この目で見るのが一番だけどな……贅沢言えないよな……」
 目の前に手を持ってくる。
 ゆらゆらと、まるで水のように揺らいでいる。
「はぁ……そういえば、礼を言ってなかったな、世界」
 もうどこにいるかも分からないが、あの姿を思い浮かべて俺は想いを口にする。
「ありがとう。そして、さようなら」
 ――世界が、崩れた。
 純白の世界に、色彩と、温度と、喧噪と……すべてが、浮かびだした。
 それは、それは紛れもない、始まりの場所。

”でも――それなら自分の目で見た方がいいですね”

「雪、積もってるよ……サンタさん……」






 ――さようなら。
 そして、おかえりさない。
 わたしのうつくしい世界へ――
 
 
 
 
 

あとがけ

短編で逆行は、きついっす。
ヒロインそれぞれのエピソードもまちまちな内容。
本当は連載にしてもう少し詳しく書こうかとも思いましたが、絶対完結しそうにもないので、短編に仕上げてみました。
とりあえず書いてはみたものの…なんとなく不完全燃焼?
結構ご都合主義的なものもありますしね。

このSSで、いくつか不思議に思う設定があると思います。
解釈の仕方はいろいろありますが、まぁ、説明するのも面倒とかいう…
試験的なお話しですし、結末もこれ以外にもありましたし。
…ちょっと一部危険な方向に向かおうとしていたのもありましたし…

とりあえずこれを読んで、
「それが世界の選択である」
とかいうフレーズ思い浮かんだひともいるんじゃないですかね。
…関係ないですけど。

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