月に叢雲、花に風

ありふれない日常編〜夏の渚は天使が一杯〜





何故、俺はあの時あんな返事をしたのだろうか。

俺の周りではしゃぐ皆に囲まれながら、俺は一人溜息をつく。

そして俺は思い起こす。

事の起こりとなったあの日の事を。

あの日の俺は、とても疲れていた。

だから、後先考えずに気楽に返事をしてしまった。

それが如何言う事態を招くのか気付きもせずに。

そう・・・普段なら直に気付くような事に気付けないほど、

俺は酷く疲れていたんだ。

何故かと言うと・・・。

今、学校は夏休み。

一ヶ月以上の長期休暇という社会人から見ると夢の様な期間だ。

しかし、その間には登校日と言う物が何日かあり、そして今日がその登校日だった。

長期の休みの為、朝寝坊に拍車のかかった名雪を何とか叩き起こし、

計ったかの様に遅刻ギリギリの時間に用意を済ませた名雪に付き合い早朝マラソン。

放課後、掃除をサボろうとした所を香里に見つかり校内を追い回される。

結局掃除をさせられ帰宅途中、

今だに懲りないあゆにたいやき泥棒の片棒を担がされ町内を走り回る。

その後、フラフラになりながら家を目指すと、公園付近で栞にモデルを頼まれた。

なんとも形容しがたい、言うなれば疲れる恰好で。

何とか栞から開放されると、今度は真琴と天野に捕まった。

俺は二人に連行され物見の丘に。

無邪気にはしゃぎ回る真琴の相手をする事になった。

何とか二人に別れを告げ、水瀬家の玄関が見えた所でほっと一息を着いたのも束の間、

俺は舞と佐祐理さんに両腕を掴まれ、引きずられる様に連れ去られてしまった。

そして、二人に連れて来られた先で俺は舞から木刀を渡される。

見ると、舞と佐祐理さんも木刀を手に持っていた。

どうやら、全てが解決した今でも、まだ鍛錬は続けているらしい。

そして、舞と佐祐理さんの地獄の特訓を何とか耐え抜き、漸く俺は水瀬家に帰宅する事が出来たんだ。

水瀬家に帰るなり、俺は今のソファに体を投げ出すように横になった。

本当なら自室に帰り着替えを済ませたいところだが、とてもそんな気にはなれなかった。

とにかく、一秒でも早く横になりたかったんだ。

そんな、半分魂の抜けかかっている俺に何時の間にか帰宅していた名雪が声をかけてきたんだ。

・・・・・・今思うと、本当は皆グルだったんじゃないかと思う。

いや、流石にそれは考えすぎだな。

とにかく、名雪はこう聞いてきたんだ。

「あ、お帰り祐一。

あのね、明日皆で海に行こうって話をしてるんだけど、祐一も行くよね?」

と。

ご存知の通り、俺の体は一応生物学上は女な訳で、その事を今はまだ皆には打ち明けていない訳で。

普段の俺ならば、物凄く名残惜しいが、上手く言葉を濁らせて断っていた事だろう。

だけど、その日の俺にはそんな思考能力は残されていなかったんだ。

(海・・・か。

白い砂浜・・・青い空・・・優しく囁く漣・・・。

そして、浜辺には水着を身に纏った天使達・・・・・・。

いいね)

と、本能一直線だった。

だから、

「ああ」

と一言、俺は速攻でそう答えていた。

「本当!!祐一と海に行くなんて初めてだから嬉しいよ〜

あ、明日は朝早くに出発するから今から用意済ませといてね。

おかあさ〜ん、祐一も行くって言ったからこれでメンバー全員揃ったよ〜

楽しみだな〜。わたし、新しい水着、用意したんだ〜」

「了承」

とても嬉しそうに、名雪と秋子さんと話している。

それにしても名雪の奴、海に行くぐらいで大袈裟だな。

そんな事を考えながら苦笑いを零す。

そう言えば、明日は朝が早いから用意を済ませとけって言ってたな。

・・・名雪の方こそ起きれるのか?

まあ、何とかなるだろう。

それじゃあ、そろそろ俺も部屋に戻るか。

明日の用意と、何より制服を着替えないとな。

そして俺は重い体に鞭打つ思いでソファから立ち上がると、二階に行くため階段に足をかける。

そして、二、三歩登った所で俺はある事に思いあたった。

・・・・・・明日は海に行くんだよな?

だったら用意するものは・・・・・・。

水着。

駄目じゃん!!

漸く事の重大さに気付く俺。

疲れも何もかも吹き飛んでいた。

俺はキッチンに居る秋子さんの下に殺到する。

「秋子さん!!」

「却下」

まだ何も言ってません。

「いえ、あの、秋子さん?」

「祐一さん。まさか男の方が一度口にした事を覆す気では無いですよね?」

何とも言えない微妙な笑顔だった。

「や、で、でもですね、わたしは・・・」

そこまで言いかけて私は慌てて口を噤む。

「名雪は先程買い物に出かけましたから大丈夫ですよ。

今、この家には私と祐一さんだけです」

ふう、危ない危ない。ほっと胸を撫で下ろす。

興奮のあまりつい地が出てしまった。

と、それはとりあえず置いといて。

コホン、と俺は咳払いを一つ付く

「では、改めて。

秋子さん、俺が海に行く事、如何にか取りやめに出来ないでしょうか?」

「却下」

即答だった。

「・・・・・・」

「却下です」

いえ秋子さん。そんな満面の笑顔を浮かべられても。

「祐一さん、先程も言いましたが、男が一度口にした事を覆してはいけませんよ」

確かに、そうかも知れませんが、それも時と場合によると思いますよ?

それに、

「私、女ですけど」

まあ、隠してますけどね。

「それはそれ、これはこれです」

相変わらず笑顔の秋子さん。

全然譲る気は無いようだ。

何だか頭が痛くなってきた。

「秋子さんは俺の事を全て知ってるでしょう?

でしたら、海に行くのがどれほど拙い事か、解るんじゃないんですか?」

流石に、水着に着替えたりすれば一発でばれてしまう。

「つまり、水着に着替えなければ良いのですね?」

はい?

「そうですね、長時間日差しのきつい所に出てはならない。

そう、お医者さんから止められている。

と、こんなところで如何でしょうか?」

・・・・・・その程度であいつ等を誤魔化せるだろうか。

「それとも祐一さんは名雪や他の皆さんの水着姿を見たくは無いのですか?

・・・・・・勿論、私も水着ですよ?」

俺の周りの美少女達の水着姿・・・。

そして、秋子さんの大人の雰囲気漂う水着姿・・・。

「ごっつ見たいです」

やはり、俺の理性は本能には勝てない様だ。

「ふふふ。

大丈夫です。私が上手く皆さんに説明しますから。

明日は夏の海を心置きなく楽しみましょう。

さあ、もう直皆が帰ってくる時間です。

夕食とお風呂を済ませましたら、少し早いですが今日はもう休みましょう。

名雪の言っていた通り、明日の朝は早いですよ」

そう言って秋子さんは夕食の準備を再開した。

と言う秋子さんの言葉に、まだ少し納得はいかなかったが、

俺も「はい・・・」と返事を返す。

そして、夕食と風呂、明日の準備を済ませた俺は、

一抹の不安と抑えきれない期待に胸を膨らませながら、

何時もよりかなり早い時間にベットの中に潜り込んだのである。



そして翌日。

只今の時刻、午前五時。

一体何処の海に行くのだろうか。

幾らなんでも早すぎると思うのだが。

しかし、そんな事よりももっと驚くべき事態が発生していた。

「うみうみ〜。青い空〜、青い海〜、真っ赤な太陽〜」

物凄く上機嫌で変な鼻歌を歌う『目を覚ました』名雪が俺の目の前に居るのだ。

「誰だお前は」

名雪がこんな時間に起きている筈が無い。

「名雪だよ〜」

嘘だ、俺は騙されないぞ。

「祐一さん、信じられないかもしれませんが、あれは名雪本人ですよ」

横から秋子さんに声をかけられた。

「うん。名雪だよ〜」

そう言いながら、自称、名雪はくるくるとその場で回転している。

何と言うか、名雪は物凄くハイになっているようだ。

それにしても秋子さん。実の娘に何気に酷い事言いますね・・・。

「うぐ〜、海だよ〜」

「あう〜、海〜。・・・・・・ところで海って何?」

さっきの言葉一寸訂正。

水瀬家三人娘、全員ハイになっている。

そんなやりとりをしていると、ピンポーンと水瀬家の呼び鈴がなる。

「如何やら迎えが入らしたようですね。

さあ皆、海へと出かけましょう」

「「「「おぉ〜〜〜」」」」

秋子さんの号令一下、今だ見ぬ海に胸を弾ませながら水瀬家の玄関をくぐるのだった。



それから数時間後。

ここは如何にも南国と言った雰囲気のとあるビーチ。

俺達は目的地へと到達していた。

「あはは〜、皆さん到着ですよ〜。

ここが我が倉田家のプライベートビーチです。

私達の他には誰も居ませんから思う存分楽しんで下さいね〜」

そう、俺達は佐祐理さんの好意により、倉田家のプライベートビーチに招待されたのである。

それはとても嬉しいのですが、佐祐理さん、ここは一体何処なのでしょうか?

あれから暫く車で移動した後、空、飛びましたよね?

秋子さんも何時の間に俺達全員分のパスポート用意したんですか?

そして皆が持ってる荷物、その量から推測するに泊まる準備万端ですか?。

俺はてっきり日帰りかと思っていたので荷物なんて少ない物ですよ。

何と言うか、生きて無事に帰れるだろうか。

色々な意味でそう思ってしまった。

「それでは皆さん、とりあえず最初は別荘の方に行きましょう。

そして荷物を置いて一休みしたら・・・。

早速海にごぉ〜、です!!」

おお〜〜〜!!

佐祐理さんの号令に女性陣が元気に声を上げ、別荘に向けて移動を開始した。

ぉぉ〜。

これから起こるかもしれない、いや、必ず起きるであろう騒動に疲れを感じながら、

俺はその後をとぼとぼとついて行った。



俺は宛がわれた部屋に荷物を置き一息付くと一足先に浜辺へと来ていた。

因みに俺は、当然と言うか一人部屋だった。

そして舞と佐祐理さん、名雪とあゆと秋子さんが俺の両隣の部屋。

廊下を挟んだ向かい側に香里と栞、真琴と美汐。

以上が部屋割りである。

浜辺に着いた俺はビーチパラソルや折り畳み椅子を俺的ベストポジションに設置する。

秋子さんの説明により俺は長時間陽射しのきつい所に出られないと言う事になっている。

その為泳ぐ事も出来ない。

海に来た意味が9割ほど失われるような気がするが、まあ仕方のない事だろう。

そのため、皆の水着姿を心行くまで堪能し、確りと網膜に焼き付けるのが今回の唯一の楽しみである。

浜辺ではしゃぐ皆の姿を想像しながらベストポジションを試行錯誤する。

そして、漸くベストポジションに落ち着き椅子に腰を下ろした時、待ちに待った女性陣が姿を現した。

「祐一、お待たせ〜」

「名雪、そんなに慌てると転ぶわよ」

「・・・・・・・・・・・・」

「あはは〜、祐一さんお待たせしました〜」

そう言って名雪、香里、舞、佐祐理さんが姿を現した。

・・・・・・なんと言うか、

すげえ

その一言に尽きる。

椰子の実か何か入ってますか?

思わずそう聞いてしまいそうだ。

いや、椰子の実という表現は適切じゃないな。何故かと言うと、それはもうブルルンッて感じだから。

流石はグラマーズ、と言った所だろうか。

・・・・・・羨ましくなんか無い。

羨ましくなんか無いぞ。

きっと、何時の日にか、私だって・・・・・・。

そっと自分の胸を見下ろす。

・・・・・・やっぱり無理かなぁ・・・・・・。

一人ブルーになりながらもう一度顔を上げる。

目の前には八つのブルルン。

やっぱり、良いなぁ。

一度はつけてみたいよね。あのボリューム感。

そんな、変な風に感心しながら知らず知らずの内にまじまじと四人の胸を凝視してしまっていた。

そんな俺に、ズビシッと舞のきつい突っ込みが入る。

「祐一、目が怖い」

そう言って恥かしそうに胸を隠しながら舞が顔を赤くしていた。

「祐一は胸が大きい方が好きなのかな・・・?」

「相沢君もやっぱり男の子ね・・・」

「祐一さん、そんなに見詰められると恥かしいです・・・」

名雪、香里、佐祐理さんの三人もそんな事を言いながら顔を赤くしていた。

しかし佐祐理さん、恥かしいですと言うわりには隠すつもりは全く無いんですね。

如何ですか?と言わんばかりに胸を強調している。

思わずお言葉に甘えるように食い入るように見詰めてしまう。

すると、ズビシィッ!!と先程よりも強力な突っ込みが舞いより繰り出された。

「佐祐理、泳ごう」

俺の反論を聞こうともせず、どこか拗ねたような表情で、

そう言って佐祐理さんの手を強引に引きながら、舞は海の中に入っていった。

やきもちか。愛い奴よのう。

でも、チョップはもう少し手加減してくれると嬉しいなぁ。

痛む後頭部を擦りながら、本当に心からそう思った。

椅子に腰を下ろし波と戯れる四人を眺めていると、

「祐一〜〜〜」

「祐一く〜〜〜ん」

「祐一さ〜〜〜ん」

と元気な声が聞えてきた。

見ると、真琴、あゆ、栞、それとその後に少し遅れて美汐、の四人が元気に走って来ていた。

「祐一、どう?真琴の水着姿」

一番に辿り着いた真琴が誇らしげに胸を張る。

「うぐ、祐一君。変じゃないかな」

あゆも恥かしそうに聞いてくる。

「如何ですか?祐一さん。私の魅力にメロメロですか?」

腰に手を当てて栞がそう聞いてくる。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

息を整えるのに精一杯な美汐。

しかし苦しげなその表情は、私の水着姿如何でしょうか?、と美汐の言葉に出来ない感情を強く表していた。

確かに可愛い四人の水着姿。

でも、一番先に頭に浮かんだのは、

仲間だ

の一言だった。

四人のそのなだらかな丘陵に思わず頬が緩む。

「あう、その笑い、何か嫌」

「うぐぅ、祐一君ひどいよ」

「祐一さん!!何か変な事考えてますね!!」

「そんな酷な事は無いでしょう」

速攻で皆にばれてしまった。

「な、何を言うんだ?俺はただ可愛い水着だな、そう思っただけだぞ?」

一応弁解を試みるも、

「「「「・・・・・・・・・」」」」

全く信用されて無い様だった。

「あらあら、駄目ですよ祐一さん」

そう言いながら最後の一人、秋子さんが姿を表した。

「秋子さんまで人聞きの悪い事いわないでくだ・・・・・・」

目の前の光景に思わず声を失ってしまった。

凄いです、凄すぎです秋子さん。

如何すれば、そんな豊満な、たわわなちちが育つのですか?

今すぐにでも、あっきこさ〜ん!!と某怪盗ダイブを敢行したいところだが、

そんな事をした日には間違い無く明日の朝日が拝めなくなってしまう。

「いやぁ、海って本当に良いものですね」

などと何処かの解説者の様な事を口にしながら椅子に身を沈め、心を落ち着かせるのだった。

それから数分後。

真琴、あゆ、美汐も今は海辺で波と戯れている。

俺の隣には同じく椅子に腰掛けている秋子さんと、身動ぎ一つせずに一点を見詰めている栞。

栞は先程から俺の足を、膝まである短パンを履いているのでそれから下の素足を、

それこそ穴の開くほどに凝視している。

「祐一さんの足、綺麗ですね」

どこかで聞いて様な言葉だった。

「触っても良いですか?」

さわさわ。

いや、良いですか?ってもう触ってるし。

さわさわ、さわさわ。

飽きる事無く栞は俺の足を撫で続けている。

暫くそうしていたかと思うと、栞は俺の足にそっと顔を近づけ・・・。

「何をするつもりだ」

栞の頭をぐわしと掴み動きを止める。

「いえ、あまりにも肌触りが良かった物ですから思わず頬擦りしてみたくなりまして」

全く悪びれる事無くそう言ってくる。

どんな思わずだ、全く。

「なあ、栞。もしかして・・・・・・」

「フェチです」

全てを言い終える前に返されてしまった。

即答で。

自信満々に。

まあ、なんだ。

趣味は個人の自由だからな。

それにしても。

匂いフェチに手フェチに足フェチか。

フェチ三冠王だな。

しかし栞は俺の考えなど全く及ばぬ大物だった。

「そうですね。この際ですから全て白状しましょう。

私は手フェチ、匂いフェチ、足フェチ、色々言ってきましたが厳密には違います。

私は、相沢祐一フェチなんです」

そう言ってニッコリ微笑む栞。

ここは、本当ならば、喜ぶべきことなのだと思うけど、

何故か頭の中には『ミザリー』と言う映画が思い浮かばれていた。

気の所為だと思いたいけど、栞の瞳、怪しい光を放っているような気がするし・・・。

「ははは・・・」

「ふふふ・・・」

そんな、どこか乾いた笑いと、妖しい感じの笑い声が、

夏の陽射し輝く常夏のビーチに、絡み合うように木霊していた。



つづく









gift index 2002/08/26