「唐突で悪いけど、単刀直入に言わせてもらうわ」
「な、なに?」
突然の香里の言葉に、俺は少し狼狽した。
「相沢君、わたしとつきあって頂戴」
月に叢雲、花に風 [if…]
〜花と香りの狂想曲〜
written by Torisugari no Hotta
…………
……はい?
…………
「あの、香里さん、どう言う意味でしょうか?」
恐る恐る、俺は聞き返してみた。
だって、ひょっとしたら、買い物に荷物持ちがいるからつきあってくれとか、そういうことかもしれないじゃないか。
「だから、わたしを相沢君の彼女にして欲しいの」
ほら…………って、
「か、香里、お前、自分が何言ってるのかわかってるのか?」
「わかってるわよ、わたし、相沢君の恋人になりたいんだってばっ」
言葉そのものはキツイが、真っ赤になったその表情を見ていると、冗談で言っているわけではないようだった。
「…………」
「…………」
「本気と書」
「本気と書いてマジよ」
ぐぉっ。即答ですか。
「香里……」
俺は、しかし、これを肯定することはできない。
「ごめん、香里のこと嫌いじゃないけど……特定の彼女のつもりでつきあう気にはなれないんだ……」
俺は、香里に謝るように、やんわりと断る。
しかし、香里は憤ったり、泣き崩れるようなことはしなかった。
「やっぱり、そう言われると思ったわ」
軽くため息をついてそう言った。残念そうな表情ではあるが、口元は笑っている。
香里はおもむろに、ぽんっ、と俺の肩を叩く。
「名雪と比べて勝ち目なんかあるわけないと思ってたもの」
「なんで名雪の話が出て来るんだよ!」
再びうろたえる俺。本人がいまだ熟睡中でよかった。
「あら、ちがうの?」
意外そうな表情で、香里が聞き返してきた。
「ああ、というか、特に誰かを彼女にするつもりは、今ないんだよ……だから、すまん」
俺はもう一度、香里に向かって頭を下げた。
「そう、それでも、あなたの意志なら仕方ないわ。でも」
香里は、優しげな表情を向けた。
「もうしばらくの間は、わたしが相沢君のこと、好きでいてもいいわよね? あなたに迷惑かけたりしないから」
…………
……笑顔。
仮にも自分を振った異性に対する。香里の優しげな笑顔。
以前とくらべると、この香里の温かい笑顔を、よく見られるようになった気がする。
やっぱり、栞が助かったからかな。
でも、今の俺は……
ズキン、と胸がいたんだ。
それは、嘘をついているからに他ならない。
俺は本当は、特定の誰かを彼女として付き合う気がないから、誰ともつきあわない、という、わけじゃない。
『特定の誰かを彼女として付き合うことができない』んだ。
それは俺の気持ちの問題じゃない、もっと、物理的と言うか……根本的な理由で。
俺は――わたしは、“相沢祐璃”、女だから……
「おーい、名雪、早く起きろ」
名雪の肩を揺すってる、今はどうなっているのかと言うと、もう、今日の授業は終わって放課後、だったりする。
「くー」
「名雪、おまえ部活だろ?」
「くー、眠くて走れようにないお〜」
くっ、これは、今日は少し根が深いみたいだぞ?
「……よくないけど、まあ、部活はいいとして、お前、このまま寝て、教室にでも泊まる気か?」
「うにゅ、そうするお」
って、そういうわけにいくかっ!
と、普段なら怒鳴り返すところだが、甘い。今日は、この答えを出させるためにわざと振ったのだ!
「じゃあ、朝飯も学校に持ってきてやるからな、秋子さんのジャム尽くし」
「!!」
がばっ!
それまで惰眠の境地にあった名雪が、いきなり身体を起こした。
「さっ、祐一、放課後だよ」
寝ぼけ眼どころか、何事もなかったような態度で立ち上がり、すたすたと歩き出した。
それを見ていた俺だが、ふっと視線をうつすと、香里のそれとぶつかった。
どうやら、香里も一時始終を見ていたらしく、お互い、肩をすくめて苦笑した。
俺達はいつものように集まって、教室を出ようと……したのだが、気が付くと、ひとり足りない。
「そういや、北川の奴、どこいったんだ?」
「さぁ……」
香里の表情は興味がなさげだった。
それに対して、名雪のほうは、
「なんだか、北川君、最近つきあってる女の子いるんだってよ?」
「なにぃっ!?」
「なんですって!?」
俺と香里は、同時に声を上げてしまった。
「あの北川君が、女の子とつきあってるって?」
「うん、詳しくは解らないんだけど、この学校のいっこ下の子だって」
「それで最近、やたらと香里に付きまとったりしないのか」
俺がいうと、名雪や香里もうんうん、と頷いた。
……と、バカな話をしていると、いつのまにか昇降口まで降りてきていた。
「じゃあ、わたし、部活があるから」
「祐一」
名雪は、至極真面目な顔で俺を見た。
「なんだよ?」
「2人っきりだからって、香里のこと、襲ったりしちゃダメだよっ」
とっとっとっ……
小走りで名雪が、運動部の部室棟の方へと走っていく。
「あ、あいつ、なにを言ってんだろ、なぁ?」
名雪を指差したまま、俺は香里の方を見る。
すると香里は、ぼーっとしていた。顔が紅い。
「おいっ、香里?」
「……はっ、えっ、あ、相沢君? どうしたの?」
……無理も、ないかな?
さっき告白されて、それを振ったばかりだもんなぁ〜
しかも、
『好きでいてもいいわよね? あなたに迷惑かけたりしないから』
だもんな……
「…………帰るか」
「ええ」
特に他意があったわけではない、けど、名雪が部活で、北川がいないと言う偶然から、
香里と2人っきりで、下校の道を行くことになってしまった。
しばらく歩いて、校門が遠ざかっていく。
「なぁ、香里……」
「なに?」
香里は穏やかな表情で聞き返してくる。
「その……昼間のときは、ごめん、すまなかった……」
わざわざ蒸し返して、香里の怒りを買うこともないとは思っていたが、やはり、一度謝っておいた方がいいと思った。
そうしなければならないと思っていた。
けれど、香里の反応は、俺の予想に反したものだった。
「ああ……気にしないでいいのよ。むしろ、あたしこそ、あんな衆人監視の中であんなこと言っちゃって、ごめんね」
香里は穏やかな表情のままで――幾分、影は差したが――そう言った。
「っ、でも俺はお前を……」
「ふふ、どうしてかな。あたしなんだか、人のことを好きになれる、そのことでとっても満たされている気分なの。
だから……例えあなたがあたしのこと恋人にしてくれなくても、あたしがあなたを好きでいられる、それだけで幸せなのよ」
香里は、満ちあふれているような笑顔で、そう言った。
「香里……お前」
「前は、ここまで考えることなんてなかった……これも、栞のおかげ、かしらね」
「そっか……」
「それと……」
「あなたの……おかげでもあるわね」
「えっ……?」
香里は優しげな表情のままだったのだけれど、俺は一瞬狼狽してしまった。
「俺は……別に……」
「謙遜する必要はないじゃない。相沢君がいたから、栞は生きる努力をしようとしたの……それに、あたしの心も。
もしあの時……あなたがいなかったら……あたし、っうっ」
わずかに混じる、嗚咽のような声に、思わず顔を見上げる。
「香里?」
「あたし……もうすこしであの子を……なくしてしまう、ところだったから……」
香里は、泣いていた。
でも、それは悲しみだけの涙じゃない。
「…………」
「相沢君」
不意に、香里が俺に近寄ってきたかと思うと、両手で俺の右手を握った。
「わっ!?」
「あ、迷惑だったかしら……」
香里が少し、困惑したような表情をする。
「い、いや、ちょっと驚いただけだ」
妙に照れくさくて、左手の指で頬をかく。
「うふふっ」
香里……
その幸せそうな笑顔……可愛いぞ。
普段の醒めた表情も、よく似合ってるけどな。
栞が助かって……香里も幸せそうで……
俺は……
俺は…………?
不治の病に冒された妹はそれを克服し、
心を閉ざしていた姉は笑顔を取り戻した。
けれど……
けれど……?
俺……わたし……は?
「っ! 相沢君、どうしたの?」
俺は俺……であってわたし……わたしは……
「……大丈夫だ、なんでもな……っ」
俺……俺は祐一、ちがう、わたしは……
強烈な嘔吐感。
視界がぐるぐると歪み、立っていられなくなる。
そのまま、俺は――
「…………?」
気がつくと、見なれた天井が視界に飛び込んできた。
自分の部屋じゃないか……
俺は、香里と歩いていて……ええと、
「相沢君?」
その香里の顔が飛び込んできた。
「気がついたのね?」
心配しきったという表情で、俺の顔を覗き込んでいる。
「っ、あ、ああ……」
ベッドに寝かされた俺は、弱々しく返事をする。
「よかった……急に倒れちゃって……本当に、心配したのよ?」
香里が、安心したように胸をなで下ろす。
「あら、気がつかれたんですね」
秋子さんが、水のはった洗面器を持って、部屋に入ってきた。
「えと……ここまでは、香里が?」
俺が聞くと、香里はなぜか恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「そ、そうよ……」
「すごいんですよ、香里さん。祐一さんのこと、両手でこうやって……」
と、秋子さんがやったジェスチャーは、いわゆる“お姫さまだっこ”というやつだ。
「家までだっこしてきたんですから」
「あっ、秋子さんっ!」
秋子さんに向かって、顔を真っ赤にした香里が大声をあげる。
「香里……そっか、ありがと……」
「ベ、別にお礼を言われる程のことじゃないわよ……」
香里はまだ恥ずかしそうな表情だった。
「それじゃあ祐一さん、わたし、晩御飯の準備してますから、なにかあったら呼んでくださいね」
秋子さんは立ち上がりながら、そう言った。
「あ、はい、心配かけてすいません」
「いいんですよ、こんな時ぐらい。気にしないでください」
そう言って、秋子さんは部屋を出ようと、ドアノブに手をかけようとしたところで、なにか思い出したように、
「祐一さん」
「はい、なんですか?」
「2人っきりになったからって、香里さんを襲っちゃダメですよ?」
「なっ! 何言ってるんですか!?」
「あああ、秋子さん?」
香里の方もうろたえたような顔になる。
「うふふ、冗談ですよ」
まったく……名雪と同じ冗談言わなくてもいいのに……
やっぱり親子、ってところなのか?
秋子さんが出ていくと、急に会話が途切れた。
…………
なんだか気まずい……無理もないか。
…………
「なあ、香里……」
「なに?」
「栞とは、うまくやってるか……?」
「ええ……それなりにだけど」
「そっか……」
…………
会話が続かない……な……
「相沢君?」
「なっ、なんだ?」
俺が、驚いたように香里の方を向く。
香里は、心配そうな顔をしていた。
「なにかあったの……?」
「えっ?」
「だって……相沢君、さっきから様子が変なんだもの……そうだ、私があんなこと言ったから? 私のせいで……?」
「ちっ、違う……」
香里が申し訳なさそうな表情で言うから、俺は慌ててそれを否定した。
「そんなことない……」
「じゃあ、なにがあったって言うの?」
「それは……」
俺は思わず、口元を手で覆った。
言えない……香里に、こんなことは。
「大したことじゃないんだ」
「大したことない……って、そんなことで、倒れたりしないわよ!」
「でも、本当に大したことがなくって…………」
そんな俺の様子を見ていた香里は、呆れたような表情になった。言っちゃ悪いかも知れないが、彼女には似合う顔。
でも、栞の問題を抱えていた時と違って、その視線はずっと暖かみを帯びていて……
そして、軽くため息を吐いてから、困ったように、言う。
「……泣いてるわよ」
「……えっ?」
言われて、気がついた。
俺はいつの間にか、涙をとめどなく零して……
「こ、これは……」
香里は断じるような大声で、俺に迫って来る。
「ねぇ、確かにあたしはさっき、だけど、あたし達の間って、それだけじゃないでしょ?
あなたは妹の恩人なんだから……栞はあなたがいなければ……」
「そんなんじゃ、ないんだ……俺は、俺は……っく、香里の……ことなんかっ……言えるようなっ、……立場じゃ、ないんだっ」
もう、止まらない。
俺は、そのまま、ベッドの上でうずくまって、泣きじゃくった。
「俺……わたしっ、助けられなかった……っ、祐一のことっ、祐一、死んじゃっ……祐一っ、ゆういちぃっ!!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
「えっ、く、ひっく、えぐ……」
「落ち着いた?」
いつの間にか、香里がわたしのとなりに来て、背中をさすってくれていた。
「っあ、ありがとう、香里……ぃ……」
「はい……」
香里が静かに差し出してくれたタオルで、わたしはぐしゃぐしゃになった顔を拭った。
「相沢君……話してくれるわよね?」
「っ……でもっ……」
わたしは躊躇ったけど、すると、香里が強い視線で私を見据えてきた。
「お願い……あたしを……妹を助けてくれたあなただから、苦しんでいるのを……見ているだけなのは、辛いのよ」
「……香里……が、辛い思いするかも知れないよ……」
わたしは、静かに、だけどはっきりと伝えた。
「構わないわ……」
「そう」
香里の表情を確認すると、わたしはベッドから立ち上がり、おもむろに、シャツを脱ぎはじめる。
「ちょ、ちょっと相沢君、なにを……?」
最初は狼狽した香里だったが、わたしの躯を見て、それとは別の驚きで顔を染めていく。
「これって……相沢君……?」
「……わたしは……わたしの本当の名前は……」
わたしは香里に、全てのことを話した。
わたしが“相沢祐一”の双子の姉であること。
7年前に、“祐一”がこの街で深い心の傷を負ったこと。
そして……“祐一”は、その痛みに耐えられなかった事……
「…………」
香里は驚いたように、目を見開いて絶句していた。
「わたし……は……香里の事、ホントは……なにも言えなくって、うっ、本当は、わたし、祐一の事、助けられなかったから……」
「相沢く……いえ、祐璃、さん……」
香里は、不意に穏やかな表情になったかと思うと、再びわたしの肩を抱いて、
「だから……でしょう?」
「えっ?」
「自分がそうだったから……あたしと、栞の事、放っておけなかったんでしょう?」
「香里…………うん」
わたしは静かに頷いた。
「あなたは……あたしのこと言えない、って言うけれど、それは違うと思うわ。
自分が辛い思いをしてきたからこそ、他のひとがその悲劇を繰り返すのは、耐えられなかったのよ」
「香里……」
「買いかぶりかしら……? でも、仕方ないでしょう? あたしはあなたのこと、“好き”なんだから……」
「えっ?」
思わず聞き返すわたし。でも、香里はお構い無しにわたしを、“抱き寄せる”。
「か、香里? わたし、女の子……」
「わかってる……でも、どうしようもなく好きなの……それとも、あなたは……嫌?」
「ううん」
わたしが言うと、香里はわたしを胸に抱く。
やわらかい……ふかふかしてて……
羨ましい……じゃなくって!
「あなたは……あたしを助けてくれたから……
だから、今度からは、あたしが、あなたの辛い時に、助けてあげたいから……」
あたたかい……
そっか……香里は“姉”なんだね……
祐一……
わたしは……あなたに、このぬくもりを与えてあげられたのかな……
「大丈夫よ、きっと……」
わたしの心を読んだかのように、香里が呟いた。
祐一……
ごめんね……
でも、わたしは歩き続けなければならないから。
あなたの、あなたとわたしの願いを叶えるために……
歩き続けなければならないから。
ひとりで辛い時は……
だれかに、甘えてもいいよね……?
わたしは、ゆっくりと身体を起こす。
「香里……ホントにいいんだよね?」
「ええ……」
そして、香里と向かい合って、お互いに軽く目を閉じる。
――甘い、そして切ない、キスをかわした――
〜おまけ「栞サイド」〜
「本当にこれでよかったのかい?」
女の子の姿の祐一さん(祐璃さん、でしたっけ?)といちゃつくお姉ちゃんを見ながら、
私がお気に入りのアイスクリームを食べています。
「はい……ちょっと悔しいですけど、でも、お姉ちゃんは私のために、いままでずっと自分を犠牲にしてきてくれましたから」
「それで、相沢の事譲っちまうのか?」
「譲る……う〜ん、どうなんでしょう? でも私、男の“祐一さん”は好きですけど、ううん、
だからこそ、女の“祐璃さん”は、お姉ちゃん程好きに慣れる自信がないんです。
でも、それを受け入れられなかったら、本当にあの人の事を好きって言えないでしょう?」
「う〜ん、複雑だね……」
「それに、私には、私があの2人を見守っていると、必ずアイスクリームを持ってきてくれる人がいますから」
「って、ええっ、でもこれは……」
「わかってます。『将を得んとすればまず馬を射よ』ですよね? でも、そんな潤さん、私、結構好きですよ?」
「栞ちゃん……」
「こんな子供っぽい私ですけど、よろしければつきあってくださいませんか?」
「え、えーと……」
潤さんは、すこし困ったように顔を紅くしていましたが、
「こちらこそ、よろしく、かな……?」
私は、差し出された手をぎゅっと握り返しました。
あとがき
…………
…………
……脳に酸素いってないのか? やっぱりこのせまい部屋で石油ストーブは危険か?
それとも風邪のせいかな? ってぐらいヤバ目のラストになってしまいました。
綴さまの想像していたものとは違っちゃってると思うんですけど、
香里っということでネタだししていたら、やっぱり香里が強いイメージになってしまいました。
本編の香里ってもっと弱い女性だと思うんですけどね。(^^;
とりあえず、綴さま、こんなところでいかがでしょうか?
それでは、今回も最後までおつきあいいただいた皆様に感謝の意を表して
2002/01/06 通りすがりの堀田でした。
著作権について
「Kanon」
Key/Visualarts
「月に叢雲、花に風」
綴 裕介 様
以上、それぞれに帰属いたします。
名雪編に続き、香里編まで戴いてしまいました
通りすがりの堀田さん、ありがとうございます
今回はサクッと読める短編もの
いかがでしたでしょうか?
私的にはOKです
レズラブ万歳(笑
通りすがりの堀田さんへのメールはこちら
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