帰宅途中に商店街による。

目的は入り口からすぐのところにある、コンビニである。

小腹が空いたので、適当にパンなりおにぎりでも買って帰ろう。

そう思って、コンビニへ入る。

入ってすぐに目に映るのは、レジと、弁当の棚。

さらにその奥に、カップラーメンの棚が見える。

「……」

そこを見ると、どうしても俺は誰かに伝えたくなるのであった。

あそこにあるのは、もしかしたら……
 
 



「インスタントラーメンの日」






「ただいまー」

土曜日。

午前中に終わった授業の後、俺はまっすぐに家に帰宅していた。

玄関を上がって、リビングへ向かう。

「おかえりなさい、祐一さん」

いつものようにで迎えてくれる秋子さん。

それと。

そこにはあるはずのないものが存在していた。

コップ状の発泡スチロールの容器。

その口には半分はがされた紙の蓋。

まあ、わかりやすくいうとカップラーメンが。

テーブルの上にぽつりと置かれていたのである。

「秋子さん、これは?」

ひょっとして、俺の昼飯なんだろうか。

俺は目の前の現実が信じられなかった。

普通の家庭だったら、土曜の昼ご飯がカップラーメンだということもたまにあるかもしれないだろう。
 

だがしかし。

あの完全無欠の秋子さんが、インスタントラーメン。

ラーメンの麺すら自分で作れるという秋子さんが、インスタントラーメンなのだ。
 

そんなことがあり得るんだろうか。
 

「ああ、それはわたしのお昼ご飯です」

と。

秋子さんの口からは予想外の言葉が出てきた。

「どういうことなんでしょう?」

俺は思わず尋ねた。

「そのままの意味ですよ。あ、祐一さんのお昼はきちんと用意してありますので」
「はぁ」

そういえば奥からチャーハンの香りが匂ってくる気がする。

「お待たせしました。はい」

予想通りチャーハンの盛られた皿が現れた。

そして気になるのは一緒に持ってきたポット。

そりゃまあ、カップラーメンにお湯を注ぐのに使うんだろうけど。

「なんで秋子さんはチャーハンじゃないんですか?」
「なんとなくですよ」
「なんとなく、ですか」

そう言われたら他に質問のしようもないんだけど。

「もう少し理由を聞きたいですか?」
「ええ、聞きたいです」

どうも何か深い理由がありそうな予感がしてたまらない。

「実はですね」
「はい。実は?」

俺は神妙な顔をして聞いた。
 

「ちょっと味を確かめてみたかったんです」
 

がく。

「…そ、そうなんですか」

全然普通の理由だった。

「でも、秋子さんってカップラーメンとかそういうのあんまり好きじゃないのかなあって思ってました」

先ほどにも述べたように秋子さんはラーメンの麺すら自分で作れる人間なのである。

レトルト食品の必要なんかまったくない完全無欠の主婦なのだ。

「そういう訳ではないですけどね。確かに祐一さんが越してきてからはあまり食べていませんでしたが」
「ですよねえ。それはなんでなんです?」
「あんまりレトルト食品ばかりを食べていると栄養に偏りが出てしまいますから」
「…まあ、それは確かに」

それはテレビやら新聞やら家庭科の授業やらで色々聞いた気がする。

「それで家には置かないようにしていたんですけど」

家に無ければ食べることも出来ない。

なるほど、この家の食品が手製ばかりだったのは秋子さんの配慮からだったのか。

「でも、今日はカップラーメンを食べるんですよね?」

いったいどういう心変わりなんだろうか。

「買い物に行くとレトルト食品のコーナーがたくさんあるじゃないですか」

秋子さんは俺の疑問には答えずにそんなことを言った。

「ええ。ありますねえ」

コンビニでもデパートでもスーパーでもレトルト商品、特にカップラーメンが置いてない店は存在しないと思う。

「それで、ずいぶん売れてますし、数も多い。昔わたしが食べたものは……その。あんまり美味しくなかったんですね」
「ああ、最近のは美味しくなったのかなあと気になったわけですか」
「ええ、そんなところです」

なるほど。

秋子さんとしては色々な食品の味を知ってみたいわけである。

「確かに最近のは進化してますからね。生麺タイプとか、一分で出来るやつとか」
「そうなんですか」
「ええ。具とかも変にこだわりの具とかあってですね。すごい厚いチャーシューとか入ってます」
「ふふ。祐一さん詳しいんですね」
「いやあ。向こうでは晩飯がカップラーメンってのもよくありましたんで」

こっちに来てから確実に食生活が改善されたと思う。

なんせ向こうでは一週間のうち8割がコンビニだったからな。

「姉さんったら」

秋子さんは苦笑していた。

「はは。もうそろそろいいんじゃないですか?」

閉じた蓋から湯気の出ているカップラーメンを指差す。

「そうですね。もう三分経ちましたし」

秋子さんは蓋をぺりぺりとめくり、粉末スープを中へ。

「……って。秋子さん。粉末スープはお湯を入れる前に入れるんですよ」
「あら、そうなんですか?」
「そうなんですかって」

俺は一体いつの時代のお家に紛れ込んでしまったんだろう。

「ずいぶん食べてませんから、忘れてましたよ」
「まあ、かき混ぜれば大丈夫だと思いますけど」

そもそもなんで先に粉末を入れるのかが謎である。

中途半端な溶け方するから、結局かき混ぜないといけないのに。

三分間で麺に味が染み込むとも思えんし。

「祐一さん。こちらの液体スープも先に入れないと駄目でしたでしょうか?」
「あ。いや。そっちは後でいいんです」
「不思議ですね」
「ですねえ」

もっと不思議なのは粉末を入れてないのにレトルト具材はしっかり入れてる秋子さんである。

「乾燥しているものはお湯で戻すのに時間がかかるからでしょうか」
「そうなんですかね」
「……そう考えたらやっぱり粉末スープは先だったんですね。今度は気をつけます」
「はあ」

レトルト具材を入れていたのは、乾燥しているものはお湯で戻すという知識のためだったらしい。

乾燥ワカメとかも売ってるしな。

「では、いただいてもいいでしょうか」
「あ、どうぞ」
「では……」

秋子さんは箸で上下に麺を伸ばした後、そっと口へと運んでいった。

ずぞぞぞぞぞぞ。

「……」

うーむ。やはり秋子さんでもラーメンは音を立てて食べるようだ。

スパゲティとかは音を立てて食べるのは品が無いって言われるけど、やっぱりラーメンは音を立ててすするに限る。

「どうですか?」
「ええ。乾燥麺にしてはいい出来ですね」
「おお」

秋子さんにお褒めの言葉をいただけるとは、このカップラーメンは相当にいいやつなのかもしれない。

「でもコシが甘いですね、やはり」
「さ、さいですか」

なんだか俺がカップラーメンの製作者にでもなったようなプレッシャーを感じてしまう。

「汁はどうですか?」
「ん……まあまあですね。これもレトルトにしては及第点だと思います。液体スープとの混合がポイントなんでしょう」
「なるほど。粉末スープを先に入れてたらもっと美味しかったかもしれないですね」
「ええ。もう一度買ってこなくてはいけませんね……」

ずぞぞぞぞぞ。

「む……」

何故俺は秋子さんとカップラーメンの品定めをやっているんだろうか。

「チャーハン冷めちまうな」

さっさと食べてしまうことにしよう。

むしゃむしゃもぐもぐごっくん。

「ふう」

男の食事というものはごく大雑把に早いもんである。

ずぞぞぞぞぞ。

秋子さんはまだお食事中である。

「祐一さん、足りませんでした?」
「いや、ちょうどよかったですよ」
「そうですか。わたしは……ちょっと多かったみたいです」

少し苦笑いをする秋子さん。

本音を言えば、あんまり美味しくなかったというところだろうか。

「じゃ俺が食いますよ」
「そうですか? すいません」

秋子さんからカップラーメンを受け取る。

「……」

そういえばこれは関節キスみたいなもんだろうか。

「うぐぅ」

なんてバカなことを考えながら、ラーメンを音を立ててすするのであった。
 
 
 
 

翌日。

「おはようございます」
「おはようございます、祐一さん」

朝起きると、秋子さんがキッチンでなにやら作っていた。

油の匂いがするから揚げ物だろうか。

朝っぱらから油ものっていうのは、なんだか重い気がするのだが。

「何作ってるんです?」

覗き込むと、ラーメンの麺が置いてある。

「何だと思います?」

何だと聞かれても、答えはひとつしかない気がする。

「ラーメン、ですか?」
「ええ。でも惜しいです」
「惜しい?」

聞き返すと、秋子さんはにっこり微笑んで言った。

「インスタントラーメンを作ろうと思いまして」
「……へ?」
 
 
 

「作るのは案外簡単なんですよ」

なにやら面白そうなので製作の過程を見せてもらうことにした。

「どうやるんです?」
「インスタントラーメンは油で揚げた麺をお湯で戻してるんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。ですから最近はカロリーが高いと問題になっていて、ノンフライ麺が開発されてるんですから」
「なるほど」

そうだったのか。

「ようするに今回は初代の乾燥ラーメンと同じ作り方をしてるんですよ。味はわたしオリジナルですが」
「おお、それは美味そうですね」

期待満々である。

「では早速麺を……」

小分けにした麺を、ゆっくりと油へ入れていく。

ジュワーという油の音と匂いが心地よい。

「祐一さん、第一号の試食をお願いできませんか?」
「そりゃ、喜んで」
「では座って待っていてください」
「はーい」

はてさて、どんなものが出来るか楽しみである。
 
 
 
 

「お待たせしました」
「おっ……」

目の前に差し出されたのは、ごく普通の乾燥メン。

「うわ、普通に売ってそうなんですけどこれ」
「こっちは祐一さんが起きてくる前に作ってたものですね。乾燥させる時間が必要ですから」
「へえ」

とりあえず割って食べてみる。

こういう食べ方をしても美味いのが初期のラーメンの特徴である。

「ん……やっぱり味は鳥なんですね」
「ええ。基本に忠実にしてみました」
「それが一番ですよ」

最近はなんだかこだわりのなんとかとかいう、余計なことばっかりしているカップラーメンが多いのだが、こういうシンプルな奴のほうがかえって美味いと思う。

「ではお湯を入れて三分」
「はい」

丼にメンを入れ、皿で蓋をしてから三分待つ。

その間はまあ適当に、秋子さんと無駄話をして過ごした。
 
 
 
 

「そろそろいいんじゃないですか?」
「おっと……」

やはり話をしていると三分は早い。

さっそく蓋を開けて、中を確認する。

香ばしい匂い。

「匂いからして美味そうですよ」

これはかなり期待できそうだ。

「んじゃ、いただきまーす」

ずぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ。

「むっ……これは……」

一見コシの無さそうな外見とは異なり、ぷちんと切れる音が聞こえるほどのコシとハリ。

さらに底が見えるほどの透明なスープだと言うのに、どこまでも濃厚ながらすがすがしいコク。

「う、美味いっ! 美味いぞおっ!」

どこかで見たアニメみたいなセリフを思わず叫んでしまう。

「あらあら、どうもありがとうございます」
「いや、マジで美味いですってこれ。カップラーメンじゃないですコレ。プロでもこんなの作れませんよ」
「ふふ、どうもありがとうございます」
「いや、会社の人とかに食べさせたらすぐに商品化されるんじゃないですかね」
「それも面白いですね」
「すげえ美味いですよ。うん。最高だこれは……」

俺はあまりの美味さに感激して、秋子さんの言葉をほとんど聞いていなかった。
 

秋子さんの言葉を思い出したのは、一ヵ月後にコンビニに寄ったときである。
 
 
 
 
 
 

「……なになに、主婦のアイディアを採用して作ったラーメン?」

その日も小腹が空いて、コンビニに寄っっていた。

なんとなくラーメンが食いたくなったので、カップラーメンのコーナーを見ていたのである。

そしてそこに置いてあった新商品を、俺は見ていた。

味はシンプルなチキン味か。うむ、これはよさそうだ。

主婦のアイディアってのが、実に家庭的でいい。

そのうえ昔ながらの袋ラーメン。

「……」

そこまで考えて、ある予感がよぎった。

主婦のアイディア。

チキン味。

昔ながらの懐かしい袋ラーメン。

「これは……まさか」

あの光景が蘇り、俺はそのラーメンを買った。
 

結果は、予想通りである。

あのときの味。

秋子さんの、インスタントラーメンの味である。
 
 
 
 

そのことは、秋子さんに確認していない。

あれが本当に秋子さんが作ったものなのかはわからない。

だから、こう言おうと思う。

もしもコンビニに新しいラーメンが入荷して。

それが物凄く美味しいラーメンだったら。

それは、もしかしたら……